福岡・北九州市の特定危険指定暴力団「五代目工藤会」。そのトップの野村悟被告とナンバー2の田上不美夫被告が逮捕された、いわゆる「頂上作戦」から2024年9月で10年が経った。

組織の意に沿わない企業や市民に容赦のない襲撃を繰り返し、北九州の街を恐怖で支配していた「工藤会」。その“最凶”の暴力団に戦いを挑んだのは、警察組織だけではなかった。そこには有名無名の北九州市民がいた。そして、その先頭に立つ北橋健治・前北九州市長(71)がいた。

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あの攻防の最中、何を考えそして何を決断したのか。北橋さんが記した2760日間の日記を紐解きながら、その戦いの日々を辿る。

「暴力団というよりテロ集団」

2010年。工藤会の市民への攻撃は益々、悪質さを増して行く。日記にも明るい話題は記されていない。

■北橋日記(2010年4月9日)「福岡市内の発砲事件(※西部ガス関連会社銃撃、及び西部ガス専務宅銃撃)などの暗いニュース」

■北橋日記(2010年4月25日)「晴れ。暴力追放関係の資料を読む。たとえつらくても歩みを止めるわけにはいかない」

■北橋日記(2010年6月28日)「ハチの頭をなぜてやる。いつも八幡西区の自宅を守ってくれている。お菓子を一緒に食べ、雨のふりしきる庭を一緒にながめる」

■北橋日記(2010年8月18日)「北九州市民暴力追放総決起大会が開催される。過去最大規模の2000人が参加、集会後、猛暑の中、シュプレヒコールをあげながら、暴力団事務所前を行進する」

2011年2月、北橋市政は2期目に入る。しかし、清水建設従業員銃撃、西部ガス社長宅襲撃、九州電力会長宅襲撃と工藤会の攻撃は止むことなく続いた。

そして2011年7月12日。工藤会にも大きな動きがあった。野村悟被告を頂点とする「五代目工藤会」が発足したのだ。それ以降、工藤会はますます凶暴化する。

■北橋日記(2012年7月23日)「暴力団というよりも、まさにテロ集団とさえいえる組織に。異常な事態であると思っている」

長野会館事件を契機に市民が立ち上がった暴追運動から早や2年。全国から北九州市に警察官が駆けつけても工藤会の暴力は止まらなかった。

せめぎ合う「覚悟」と「無力感」

2012年8月、暴力団員の入店を禁じる「暴排標章」制度がスタートした。工藤会はこれに強く反発。北九州地区で標章を掲げた飲食店関係者を襲う事件を相次いで起こした。

この襲撃事件は、暴排・暴追の機運を高めてきた市民の心は折るものだった。標章は隠され始める。飲食店経営者は「泣いているのは、街で働いている私たち経営者や女の子。けがをするのも現実」と嘆いた。

女性をも標的にする工藤会の凶行に北橋さんは、当時のインタビューで複雑な心境を語っている。「今後の暴追運動を着実に進めるためにも市民の”いらだつ”気持ちを正面から受け止めて、警察当局には全力で犯人を検挙してほしいと思います。(市長が先頭に?)市民の中に入ってですか?うーん、いわゆる暴力追放という意味では大変重要な局面に来ているとは思いますが、暴力団排除と言い切れる段階にはありませんのでね、うん」。

一度決めた覚悟と、底知れぬ無力感とが、北橋さんの心の中でせめぎあっていたのだ。

■北橋日記(2012年9月8日)「都心部で連続切りつけ犯罪の蛮行。自治体として何ができるか」

■北橋日記(2012年9月26日)「不安に感じている市民の方も大勢いらっしゃると思う。この小倉都心部の明るい灯を消すわけにはいかない」

全国唯一 特定危険指定暴力団に

2012年12月。福岡県の暴力団情勢を重く見た国は、暴力団対策法を改正。これに基づき福岡・山口両県公安委員会は、工藤会を指定暴力団の中でも「特に凶悪と見なされる組織」として、全国で唯一の特定危険指定暴力団に指定した。

これに対し、当時、工藤会の中枢にいた木村博受刑者は「組織として関与したことは一件もありません。関わった人間は1人もいません。ほとんどの店が標章を貼っている店。何かトラブルがあれば全て暴力団の犯行。工藤会が危険だと市民に思わせる方法。うちは一連の事件に関与していません」と無実をアピールした。

■北橋日記(2012年12月20日)「改正暴力団対策法の成立は、県知事、県公安委員会委員長、福岡市長と一緒に国に要請してきた事項のひとつである。県警察にはこれを契機に、従前から要望している未解決事件の全容解明、市民の安全確保のための保護対策の徹底、取締強化をお願いしたい」

最も凶悪な組織として指定されても工藤会の暴力に歯止めはかからなかった。

2013年1月。野村被告が手術を受けた美容整形クリニックの担当者の女性を刃物で襲い重傷を負わせる事件が発生。

また2013年12月には北九州市若松区の路上で、北九州市漁協組合長の上野忠義さんが、何者かに拳銃で撃たれ死亡する事件が発生した。現在もこの事件は未解決だ。さらに―。

■北橋日記(2014年5月26日)「通勤通学時間帯の小倉北区で男性の歯科医が刺され大けがという卑劣な蛮行が発生し、都市の大きなイメージダウンとなった。安全な街づくりの道のりは遠いが、こうした事件に屈することなく、市民一丸となって暴追運動を継続しなければならない」

工藤会への頂上作戦のキーマンだった元福岡県警の尾上芳信さんは、当時、工藤会対策課とも呼ばれる北九州地区暴力団犯罪捜査課の課長だった。「とにかく当時、工藤会はやりたい放題というか、もちろん警察も大きな事件で容疑者を捕まえきれてないし、幹部連中も捕まえてないという状況だったから…。当時の捜査員の中にもね、やはり家族を守らなければならないんで、一時期、『北暴課』を出してもらいたいという捜査員もおりました」と尾上さんは当時を振り返る。

また、尾上さんは当時の北橋さんについて「危険はあったと思います。怖いという思いは絶対にあるだろうけれども、それを市民の前にあからさまに出すことはなかった」と記憶している。北橋さんからは「1日も早く、今の北九州の現状を変えてもらいたい。何とか工藤会対策を進めてもらって、平和な北九州にしてもらいたい」と会うたびに懇願されていた。

この頃、福岡県警の威信をかけ工藤会トップの逮捕を目指す頂上作戦が、秘密裏に動き出していた。

2014年7月、北橋さんの心のよりどころだった愛犬ハチが世を去った。

■北橋日記(2014年7月14日)「深夜、小倉のアパートに帰る。妻、涙ながらに、ハチ死す、と告げる。我が家を守ってくれた愛しい番犬。散歩に連れて行ってやれず、申し訳なかった。毎日のように散歩に連れていただいたご近所の主婦に感謝したい」

大切な家族と過ごす時間を制限されただけでなく、市長として市の発展に尽くしたいのにそれができない日々。

■北橋日記(2014年8月18日)「北九州市民暴力追放総決起大会。地道な暴追運動の継続が大きな力となり、暴力団の排除に繋がる」

福岡県警がついに頂上作戦敢行

市民や北橋さんが耐えて耐えて耐え続けた日々は突如として、終焉を迎えた。北橋さんが北九州の市長に就任してから2760日目の朝だった。

◆福岡県警・樋口本部長(当時)記者会見(2014年9月11日)「福岡県警察は全国で唯一、特定危険指定暴力団に指定されている五代目工藤会のトップを殺人などの容疑で通常逮捕いたしました。本件逮捕を契機として工藤会対策は、新たな局面に入りましたが、これは数々の凶悪事件の全容解明への一つのステップであります」

2014年9月11日、いわゆる「頂上作戦」が始まったのだ。福岡県警は工藤会のトップの野村悟被告(逮捕当時67)とナンバー2の田上不美夫被告(逮捕当時58)を逮捕した。

「本日、暴力団の幹部が逮捕されました。これまで本市では凶悪な事件が断続的に発生し、その多くは未解決でありました。県警本部長が記者会見で述べられたように新たな局面に入ったと、そして全容解明へのステップアップであると。安全安心の街のイメージを取り戻すために捜査当局に対して徹底した捜査と全容解明を急いでいただくことを期待しております」と北橋さんは、当時のインタビューに答えている。

■北橋日記(2014年9月11日)「今回の逮捕は、安全安心を願う市民を勇気づけるものと考える。今後とも安全安心な街づくりをすすめるため行政、事業者、市民、警察が一体となって暴力追放に全力を尽くす決意である」

捜査関係者によると2000年から野村被告らの逮捕までの約15年間で、工藤会の犯行とみられる発砲などの襲撃事件は113件発生。しかし、野村被告らの逮捕後、こうした襲撃事件は止んだ。

ようやく訪れた平穏な日々

元福岡県警の尾上さんは「9.11以降ピタッと止んだという言い方でいいんじゃないかなと思いますね。頂上作戦以降には、天皇陛下による行啓が行われたり、そういったことも恐らく頂上作戦が成功していなければ、そういったことも行うことはできなかったのかなと私は考えています」と当時を振り返った。

また北橋さんも「今月も事件はなかった。次の月もなかった。今年はなかったというふうに続いていくんですね。でもまた事件が発生するかもしれない。そういう不安は正直、残っていました。それが半年、1年、1年半、2年、10年。よくぞここまで来たと思います。司法当局、警察の不退転の決意とご尽力には市民の1人として感謝」と感慨深げに語った。

北九州の街は明るくなっていく。

■北橋日記(2016年9月12日)「雑誌の8月号。50歳になって住みたい都市日本一のランキングは北九州市という記事。これらの報道が最近あちこちで本市の明るい話題になっている。仕事に励みが出て嬉しい限り」

2019年、工藤会本部は解体され福祉施設へと変貌した。

2020年1月の北九州商議所賀詞交歓会で北橋さんは「もう、やばい街だとは誰にも言わせません、これから前途は大きく開けてくる北九州であります」と乾杯の音頭をとった。

街が上向いていく中、4期目をラストミッションと位置づけていた北橋さんは5期目となる選挙には出馬しなかった。そして16年間、通い続けた北九州市役所への最後の登庁日。職員への感謝を述べたあと記者会見に臨んだ。

■北橋健治市長・退任記者会見(2023年2月17日)「振り返りますと、いつも大きな問題に直面していたような感じがいたします。やっぱり脅迫状が来た時には愕然としましたね。今だから振り返れるんだけど、やっぱり何が起こるか分かりませんし、当時は不安との戦いでした。でも、やっぱり厳しい局面に身を置いたからこそ、みんなと協力し合って一つの目標に向かっていくことの大切さというか、決して挫けない、頑張らなきゃいけないという気持ちにさせてくれたのです。この問題を解決した時に、我々市民が共有できる世界の大きさというものも、みんな大なり小なり気づいていたと思いますし、だからこそ不安の中で、同じような境遇にいるからこそ、励まし合おうということになったということであります。あの時、一緒に苦楽を共にしていただいた方々に本当に心から感謝申し上げたいと思います」

2023年2月。4期16年務めた市長の職、鳴りやまない拍手の中、市役所を後にした。

北橋さんの最後の公務は、北九州マラソンだった。2014年に実現した初開催以来、北九州市内外から1万人以上が参加する一大イベントとなっている。

北橋さんが去ったあとの市役所には、変化が現れている。頂上作戦から2年後の2016年に北九州市が作成した企業誘致のための資料には、刑法犯認知件数の減少を示すデータなどが掲載されていた。しかし2024年の資料を覗いてみると、工藤会という組織名や街の安全をわざわざPRする記述は消えている。北九州市企業立地支援課の石橋課長は「現在、誘致している中では、そういうことを気にされる企業がなくなってきているというのが実感としてあります」と笑顔で話す。

頂上作戦から10年の節目を迎えた2024年の夏の北九州市。北橋さんとともに市の都心部を歩いた。「あぁすごいな!新しい時代の幕開けを感じますね」と北橋さんが見上げたのは2024年7月に竣工した総事業費60億円、地上13階建てのビル。市内では20年ぶりだという本格的なオフィスビルだ。2023年、北九州市への企業進出は過去最高の91件、合わせて2580億円の投資額となった。頂上作戦が行われた2014年以降、北九州市への企業誘致は増加傾向が続いている。

「治安が良くなれば必ず投資は間違いなく増えていく街だと確信しています。この問題の解決はね、1つの組織が解体することでは終わらないですね。組員の人たちも離脱した人たちも市民なんですね。早く投資を呼び込んで、豊かになってね、組員の人たちも離脱をして新しい生活がしっかりできるようにそんな社会にしていかないといけない」

北橋さんが綴った2760日の記録は凶悪な暴力集団を前に一丸として戦った市民、そして北九州の街の記録でもある。

「10年後、20年後にこうなっていることを予測していた人はどれだけいたでしょうか。自分たちが怖い思いを乗り越えた暴追の成果として、今日の状況まで確信を持って見通せた人は、どれだけいたでしょうか。それを思うと長い道のりだったけど、あそこで挫けずに本当によかったな。北九州の地域全体がまた大きな浮揚のチャンスを掴んだと思います」

(テレビ西日本)

テレビ西日本
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