「監督を務めた人が、他球団でコーチなんて……」という考えをお持ちの人もいるかもしれないが、前にもお話しした通り、山内(一弘)さんや中西(太)さんだって打撃コーチとしてよそのメシを食べていた時期があったし、旬の選手たちを指導することに充実感を得ていた。
立場が変わって立浪だって山内さんたちと同じような感覚で選手たちを指導できる可能性がある。
3年間の監督経験をどう次につなげるか
それに監督からコーチになった人は、山内さんや中西さんだけではない。
西武、ロッテで合わせて9年間監督を務めた伊東勤だって、2019年から21年までの3年間、ドラゴンズの与田剛のもとでヘッドコーチをしていたではないか。
尾花(高夫)だって、横浜の監督を2010年から2年間務めて結果を出せなかったその1年後、巨人の二軍投手総合コーチとして現場復帰している。実は尾花はこのとき4球団からオファーをもらっていたが、他の3球団は一軍で、巨人だけ二軍でのコーチ要請だった。
「監督として学んだことを実践するには、完成された一軍の選手より、二軍のほうがいい」という理由で巨人を選んだ。監督を経験したことで、「指導者として持ち続けなければいけない矜持」について学んだのだろう。

立浪はドラゴンズで監督を務めた3年間の経験をどう次につなげていくのか。
監督以外の何らかの肩書でユニフォームを着て、よそのメシを食べていくことが一番しなければならないことじゃないかと思っている。
そのためには、立浪自身は謙虚さを失ってはいけないし、どんなタイプの選手から声をかけられても、的確にアドバイスできるだけのさまざまな引き出しも用意しておかなければならない。
だからこそ、監督で思うような成果が出せなくたって、落ち込んでいる場合ではないのだ。
そもそも私に言わせれば、プロ野球の監督を3年間務めることができただけでも幸せだし、なんなら勝ち組だと思ったっていいくらいだ。