2021年6月、体長1.6メートルのヒグマが札幌市東区の住宅街で次々と人を襲い、4人が負傷する出来事があった。

かつて人食いグマの被害があった地域だが、それは140年以上の前のこと。今では空港が整備されて、東区の人口は約25万人で東京の渋谷区に匹敵する。「まさかそんなところにクマが出るなんて」。行政も住民も事態を想定していなかった。

ヒグマは10キロ以上離れた北の山から川伝いに市街地へ入ってきたとみられる。侵入を防ぐことは難しいと思われる中、壮大なプランが浮上する。「総延長100キロの電気柵で防ごう」。有志が動き出した。

ことしのヒグマの目撃件数はすでに2400件を超えた。人里に姿を現すヒグマは絶えず、駆除も続く。“電気柵の長城”ですみ分けは可能なのか。実現性を探った。

突如住宅街に出没したヒグマ 追走劇の現場

記者の目の前に突然現れたヒグマ(2021年6月)
記者の目の前に突然現れたヒグマ(2021年6月)
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3年前の2021年6月18日午前5時40分すぎ。私は地元テレビ局の報道記者として、ヒグマが目撃された東区北18条東17丁目の現場にいた。第1報は午前3時。通報はすでに30件に達し、午前6時ごろには人的被害の情報も届いていた。

「ショッピングモールと小学校の草むらにクマは潜んでいるとみられます」

人が襲われる危険な状況に、「車内から出るな」と本社から命令が下る。ヒグマが潜んでいる草むらに車内からカメラに向け、リポートを収録した。

私が、ヒグマの姿を確認したのは、直線距離で約4キロ移動した午前8時29分ごろだ。

「ヒグマがいます。こちらを見ています、警察の車が取り囲んでいます」。車の中にいたとはいえ、背筋が凍る。体長1.6メートル、体重160キロのオス。想像以上に大きく見えた。

駆除された直後の現場(2021年6月)
駆除された直後の現場(2021年6月)

ヒグマは警察やハンターに追い込まれ、空港から700メートル離れた茂みに身を隠した。膠着(こうちゃく)状態が続く中、午前9時50分からは緊急特番がスタート。わたしはひたすら中継でしゃべり続けた。

そして午前11時16分。追走劇が幕を閉じる。私の約20メートル先に、再びヒグマが現れた。乾いた銃声が5回響き渡り、ヒグマは駆除された。

「死ぬかと」襲われた男性 あばら骨折で肺気胸

100針を縫うケガで治療を受ける安藤さん(本人提供)
100針を縫うケガで治療を受ける安藤さん(本人提供)

誰にとっても想定外だった。突如後ろから襲われてケガをした安藤伸一郎さん(46)もそのひとり。通勤のため、自宅から地下鉄の駅に向かって歩道を歩いているところだった。ヒグマは後ろから体当たり。覆いかぶさり、何度もかんだ。

「突然で襲われた瞬間はワケがわかりませんでした。時間的には30秒、体感的には1分ぐらいやられていた。何回も噛まれているので、実際死んじゃうのかなって思いました」(安藤さん)

あばら骨が6本折れて肺気胸になった。噛み傷と切り傷で100針以上縫った。被害から3年がたった今も痛みに悩まされ、今年夏、電気を流し、痛みを緩和する手術をひざと脇腹に施した。

100年以上経ち再びヒグマ被害 痕跡を調査

ヒグマの推定経路(ヒグマが札幌市の人口密集地に近づくほど色が赤くなると表現)
ヒグマの推定経路(ヒグマが札幌市の人口密集地に近づくほど色が赤くなると表現)

今回より前に東区でヒグマ被害があったのは、1878年(明治11年)のこと。冬眠から目を覚ましたヒグマが猟師や開拓民を襲い、死者4人を出したと言われている。当時はまだ原始の森があたりに広がっていた。空港が整備され、人が住むようになったこの地に、なぜ100年以上経って再びヒグマが出没したのだろうか。

行政機関や研究者らは痕跡を徹底調査。ふんや足跡、目撃情報から、ひとつの結論に至った。

「オスがメスを求めて南下した結果、住宅地にたどりついてしまった。札幌の北、10キロ以上離れた増毛山地から、当別町を通って、石狩川を渡り、伏籠(ふしこ)川や水路を通って札幌市東区の住宅街に到達した。草が茂って身を隠しやすかったと考えている」(札幌市の担当者)

総延長100km…電気柵敷設の壮大な計画

“電気柵の長城”の整備を訴える小谷さん
“電気柵の長城”の整備を訴える小谷さん

調査結果を受け、通過点とされた当別町で動き出した人がいる。野生動物用のわなや電気柵の製造・販売会社「ファームエイジ」を営む小谷栄二さん(65)。石狩平野と北側の山地の境に総延長100キロの電気柵を敷設する計画を唱えた。まるで“万里の長城”だ。

「当別町から新十津川までの直線で50キロ、総延長100キロ電気柵を使って緩衝帯を作れば、北海道の北側のクマとすみ分けができます。電気柵で人の生活圏に入って来られないようにし、乳牛や肉牛を放牧し経済活動も可能にします」(小谷さん)

小谷さんの考える“電気柵の長城”イメージ図
小谷さんの考える“電気柵の長城”イメージ図

小谷さんは、25年前から過疎化で荒廃した地区への移住を全国から促し、今では約50世帯が暮らす。人が住むことで、東区のヒグマが通ったような、身を隠しながら移動できる草地が整備される。

ヒグマが増えたから減らすのではなく、近づかなくすることが共生には必要だと小谷さんは考えている。「里山が荒廃しているのは北海道だけではない。一日も早く実用化し、全国にも発信したい」。小谷さんは熱っぽく語る。

100キロを敷設するとなると、総額は10億円に膨らむ。しかし、電気柵の敷設により、高騰する輸入飼料に頼らず放牧で育てることができたため、3~5割のコストカットに成功した実績もある。2021年、小谷さんは野生動物と経済活動の関係を模索したい北海道大学農学部とともに共同プロジェクトを始動させた。

電気柵導入で目撃数激減の事例 課題も山積

斜里町で整備している電気柵
斜里町で整備している電気柵

ヒグマが頻繁に出没する知床半島の斜里町では、2006年にクマ対策でウトロ地区を取り囲むように4キロの電気柵を導入、2007年に稼働した。49件だったクマ目撃数は、稼働後1年で5件に激減した。

「ヒグマが出没すると電話を受けて出動するが、その回数もだいぶ減った。シカやヒグマの侵入は確実に抑えられている」(知床財団担当者)

その後、2キロ延伸したが、課題も浮き彫りになっている。費用の3000万円は町が負担。一部を北海道が補助した。草がワイヤーに触れると、漏電し効果がない。小まめな草刈りが必要で、電気代を含めて年間170万円の維持費がかかっている。

北大農学部と共同研究を進める小谷さん
北大農学部と共同研究を進める小谷さん

課題を解決するため、小谷さんは北海道大学農学部との共同研究をすすめ、環境省の研究事業としての認可を目指す。10月18日、事業計画を提出した。

「国への申請には5年くらいかかる。まずは当別町で町有林の活用も含め、10~20キロの緩衝帯の整備。うまくいったら5倍10倍くらいの距離に伸ばしたい」(小谷さん)

単なる防壁ではなく、経済力を持った緩衝帯を創造する。実用化は25年先の2050年。ヒグマとの共生の道に一歩踏み出すべく、息の長い活動は始まったばかりだ。

北海道文化放送
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