能登地方の5カ所を継続取材し人々の暮らしや心の動きを追う、シリーズ企画「ストーリーズ」。今回の舞台は輪島港だ。元旦の能登半島地震で地盤が大きく隆起した輪島市。大きな被害を受けた港の復旧工事が続く中、2024年9月に1隻の船がなりわいを再開した。3人の子の父親でもある遊漁船 諏訪丸の山中雄飛船長を通して見えてきた、港やまちの現状とは。
【輪島港の基本メモ】
県内一の水揚げを誇っていたが、能登半島地震で海底が最大2メートル隆起。約200隻ある船は港から出られなくなった。製氷施設なども壊れ、地震から10ヵ月経った現在もほとんどの船は営業を再開できていない。国や県は一年で最も稼ぎ時となるズワイガニ漁解禁までに漁師たちが漁を再開できるよう、海底を土砂を取り除いたり仮桟橋を設置したりして港の復旧を急いでいる。輪島市の基幹産業である漁業をどのように再生していくか。その中心「輪島港」を取り巻く人々を追いながら漁業の現在地を見つめていく。
輪島港で営みを再開する船
2024年9月17日、夜明け前。一隻の船が生業再建に向けた一歩を踏み出した。
遊漁船「諏訪丸」だ。船長は山中雄飛さん、30歳。
港では山中さんと釣り人たちが荷物を船に運び入れていた。港の地盤は大きく隆起しており、船に乗るためには船着場から大きく降りなければならない。
遊漁船 諏訪丸 山中雄飛船長:
潮位があんまり…今日は下がってるかな、昨日はもっと乗りやすかった。(地震前は)もともと貝殻付いている部分まで海に浸かってたので。これが面だった。
船を出す環境は大きく変わってしまったが、輪島の海での釣りを楽しみにしている客は変わらずやってきてくれる。
山中さん:
釣れるか分からんすよ。
お客さん:
きのうとかどうやったん?
山中さん:
きのう・おとといはシケで休みで。土曜日だけ出たんです
山中さん:
まだ漁師とかしっかり水揚げとか漁が出来ていない状況で、こうやって自分たちだけやらせて頂いているのをすごく感謝してますし、わざわざこうやって来て頂いているお客さんにも感謝してますし…本当に周りの人がいて今こうやって商売ができている。
輪島の海の魅力をたくさんの人に知ってもらおうと、父と2人で遊漁船を営んできた山中さん。漁師たちが漁をできない中、一足早い営業再開に葛藤もあったという。それでも漁師たちが背中を押してくれたため、営業再起を決意した。
山中さんが船を運転しながら、船室の小窓から顔を出して釣り客に話しかける。
どうやら、竿に当たりがあったかどうかを確かめているようだ。
お客さん:
当たり方あったんですが来てないっす。
山中船長:
じゃあ小アラかな、でも叩いとるね(食いついてる)。
釣りあがったのは、想像よりもサイズの大きなアラだった。山中さんと釣り客が喜びの声を上げる。
山中船長:
おーアラや!しかも(サイズ)上ですね、中アラ。小アラではない。
この日釣りを楽しんだのは、金沢や富山から来たおよそ10人。
富山からの常連客:
久々に来られてよかったです。すごく嬉しい。街の中はぐちゃぐちゃですけれどね、困っている人もたくさんいると思うんですがちょっとずつでも回復していってほしい。
富山からの客:
今回初めてです。すごく親切でいい船。あんまり言うとみんな来て困るんですけれどいい船見つけたなと。また是非来ようかなと。
久々の客との交流はどうかと尋ねると…
山中船長:
やっぱりいいなぁとは思います。あんまり楽しいとか言葉としてよくないのかもしれませんけど、自分の中では心が騒ぐじゃないですけど、人と接しているのが楽しい
「ありがとう」「気を付けて」
客を見送る山中さん。営業を再開できた喜びを素直に言葉にしていいのか、という逡巡もあったが、この日客が輪島の海での釣りを楽しむ姿は、確かに山中さんを元気づけていた。
地震で一変した輪島港
ここで、記者は輪島港の現状を見せてもらった。去年まではたくさんの漁師たちで活気に溢れていた輪島港だが、今いるのは復旧作業を行う工事業者。県内最大の水揚げを誇っていた輪島港は、地震で一変してしまった。
海底は2メートル隆起し、製氷施設なども被災。製氷施設の利用には現在時間制限が設けられており、震災以前のように利用することは未だ出来ない。約200隻ある漁船は、今も漁を再開できていない状況にある。
海女の素潜り漁はモズクのみ。メインのアワビ、サザエは断念した。
漁師や海女たちは、国からの委託で舳倉島の清掃や海底調査を行いながら、漁の再開を待つ日々を送っている。山中さんも船を出せない間は、その仕事を手伝ってきた。
この経験を山中さんはポジティブに捉えている。
山中船長:
自分たち団体としては大きくないので、漁師たちと面と向かって何かすることが無かったので、みんなと触れ合う機会にもなりましたし、みんなで助け合いながら仕事していく中で本当にいい人ばっかりですごく感謝。
自分にとってはプラスになったかな。自分のことも知ってもらえたかなとか。
人の繋がりは増えたのでそういった面は本当にすごく良かったのかなと。
豪雨により再び一変してしまう輪島
しかし、釣り船を再開して1週間後、奥能登を豪雨が襲った。
輪島港近くの塚田川では住宅が流され、4人が行方不明に。
9月29日には、海女や漁師たちは船を出し行方不明者の捜索に協力した。そこには諏訪丸を操縦する山中さんの姿もあった。
山中船長:
だいぶ塚田川からこっちの方に来てる。こんな捜索はなかなか無いですね。
自分たちも妻も幼少期は久手川町の団地に住んでたから…流された家とか全部知ってる。
大切な場所がまた、自然の猛威によって一変してしまった。この日は波が荒く、およそ2時間で捜索は終了した。
災害で居場所を奪われる子どもたち
今回の豪雨は、山中さんの家族にも影響を与えている。
公園で遊ぶ山中さんの娘さんは、空咳を繰り返していた。大雨の後から、こういった咳が続いているという。
山中船長:
自分も出るんですが…スッキリしないというか。
咳の原因は、町に流れ込んだ泥が乾いた後の粉じんだ。
この粉じんは、子どもたちの幼稚園行事にも影響を与えている。
山中船長:
10月5日に(上の子は)園最後の運動会が控えてて。楽しみしてたんですけど…この水害で中止。決定です。この砂ぼこりで外で練習もさせてあげられないっていうのが先生たちの判断で。
山中さんの語りから、歯がゆい思いを感じた。子育てがしにくくなっているかとたずねると…
山中船長:
子供にとってはちょっと住みにくい環境にはなってますね。
妻・静佳さん:
もう毎週何すればいいんやろって、子供らになにさせようって…
山中船長:
雨降ったら地獄だよね。
静佳さん:
うん…
日常を取り戻そうとしていた矢先の豪雨。
山中船長:
地震や水害がある前は子供育てるには、自然で遊ばせるの好きやったんで。めちゃくちゃ輪島って自然が揃ってるし、いい所だなって思ってたんですけど…自然災害っていうのにやられて、本当に何も無いんですよね。
山中船長:
船のことで色々大変ですけど家庭でも大変…現状子供たちにとってプラスのことって無いと思う
仕事も子育ても以前のようにできなくなってしまった。そして何より、子供たちが何の心配もなく遊ぶことができる場所が、なくなってしまっている。
船の営業は再開できたとしても、自然災害が続く中、このまま輪島で子どもを育てていいのか。子育て世帯の葛藤は続いている。
(石川テレビ)