事件は、2023年の暮れに起きた。東京・練馬区の自宅で当時86歳の夫が、81歳の妻の首を絞めて殺害したとされる。50年以上にわたって共に生活してきた高齢夫婦に一体何があったのか?法廷で明らかになった証拠や証言から事件に迫った。

初公判の吉田被告
初公判の吉田被告
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薄いブルーの半袖シャツを身にまとい法廷に現れた男は傍聴席に向かって小さく頭を下げながらゆっくりとした足取りで進み、席に着いた。職員から手渡されたイヤホン型の補聴器を耳に入れ「聞こえますか」と問いかけられると、少し経ってから「ああ、聞こえます」と返事をした。男の名前は吉田春男被告。現在87歳(事件当時86歳)。

吉田被告は2023年12月、81歳の妻・京子さんの首を両手で絞めて殺害した罪に問われている。検察官が起訴状を読み上げ、裁判長から「何か間違っていることはないか」と問われると、「ありません」と小さくかすれた声で答え、起訴内容を認めた。

吉田被告と京子さんは1965年に結婚。その後3人の子どもが生まれた。吉田被告は勤めていた印刷会社を1999年に定年退職し、事件が起きるまで京子さんと2人の息子と東京・練馬区の自宅で暮らしていた。

長男らの証言によれば、夫婦は昔からよく口論をしていたが年を重ねるにつれ口論は減っていったという。長男は「車に乗せてもらったり、父に野球に連れて行ってもらった」と家族の思い出を語り5年前には台湾旅行に行くなど「普通の家庭の思い出はある」と話した。

変わっていく妻の生活 長男が感じた“父の異変”

生活に変化があったのは事件の約1年前、2022年11月のことだ。足が弱っていた京子さんが外出中に転倒。それ以降外出を控えるようになったという。そして、自宅の中での生活も大きく変わっていった。

事件があった吉田被告の自宅(2023年12月)
事件があった吉田被告の自宅(2023年12月)

京子さんはトイレや入浴、食事の支度など身の回りのことは自分一人ででき、すぐに介護が必要な状況ではなかったというが、事件の半年ほど前の2023年夏ごろからは、入浴の頻度が減り、夜中まで大きな音でテレビを見るなど「昼夜逆転」の生活を送るようになったという。そんな生活態度をめぐって、吉田被告とたびたび口論するようになっていく。

そんな中、吉田被告に大きな影響を与える出来事が起きる。事件2カ月前の2023年10月、吉田被告が頼りにしていた甥が急逝したのだ。甥は吉田被告より11歳下で、70年以上の付き合いがある。幼少期には吉田被告が甥の子守をすることもあり、大人になってからは同じ町内に住み、話が合う存在だった。甥の死に、吉田被告は大きなショックを受けた。眠れないことが増え、食も細くなり体重は最大15キロも減った。

同居する子どもらも吉田被告の異変を感じていた。証人尋問で長男は「おかしなことを言っていることがありました。『首を絞めて殺される』などと言うこともあった。目の焦点が合っておらず、うつろな目をしていました」と話した。

初公判の吉田被告
初公判の吉田被告

吉田被告は、甥の死で“死”をより身近に感じるようになったという。

吉田被告:
健康だと自分では思っているけど急に(亡くなる)、ということもあると思うようになった。

この頃から吉田被告は、眠れない夜にインターネットで「老人ホーム」「終活」「親の介護」などと検索するようになった。長男には「家を売って老人ホームに入りたい」などと相談するようにもなった。長男は「すぐにはできない」と答えたものの、翌年3月には自分が退職して両親の面倒を見ると伝えていたという。

引き金は昼食巡る口論 積もった怒りが頂点に 

そして2023年12月14日。事件の引き金はやはりいつもと同じ“口論”だった。午後1時ごろ、吉田被告が京子さんに「早く昼食を食べた方がいいんじゃないか」と声をかけた。これに京子さんは「(昼食を食べるのには)まだ早いんだ」と反論しながらも玄関方向にある台所へ向かって行ったという。

吉田被告は、その後のやりとりの詳細は思い出せないというが、検察は冒頭陳述で、吉田被告はこの時、積もった怒りが頂点に達し、京子さんの殺害を決意したと主張している。京子さんと玄関付近で向かい合う形になった吉田被告は、両肩を押してトイレのドアの前に押し込めた後、倒れ込んだ京子さんの首を両手で絞め続けた。京子さんは「やめて」などと抵抗したがそのうち動かなくなり、吉田被告は手を離した。

将来の介護への不安「犠牲になってもらわないと…」

事件当時のことを吉田被告は、法廷で「介護のことが念頭にあった。その時点では元気になるとは思えませんでした。犠牲になってもらわないといけないと思った」いつか到来するかもしれない“介護への漠然とした不安”があったことを語っている。

殺害後、吉田被告は子供らに電話をした後、自ら119番通報。「ちょっとですね、殺害したのですが。妻を殺害しまして、動かないのですが」などと話し、その後マイナンバーカードなどの身分証明証や「妻を殺害いたしました」と書いた紙をテーブルの上に用意して、救急と警察の到着を待っていた。

遺族は「家族の責任」と寛大な処分を要望

検察は論告で「自分たちでは介護はできない、介護を避けるためには妻を犠牲にするしかないと考えた」とした上で「長年生活を共にしてきた夫から身勝手で理不尽な理由で首を絞められ、驚きと苦痛の中で、その生涯を閉じることになったのであり、その無念さは計り知れない」と指摘して、懲役12年を求刑。

東京地裁で開かれた初公判(2024年9月12日)
東京地裁で開かれた初公判(2024年9月12日)

一方の弁護側は「50年以上連れ添った妻を見かね、子どもに面倒を見させる迷惑や苦労に思いをいたした被告人なりの思いや考えがあった」と主張して、懲役5年が相当だと述べた。遺族でもある子どもたちは事件について「家族の責任」と話し、また京子さんの兄弟も吉田被告に対して「寛大な処分を望む」としている。

厚生労働省の2023年の発表によれば、同居して介護する世帯のうち、介護を受ける人と世話をする人がともに65歳以上のいわゆる「老老介護」の割合は63.5%となっている。今回の事件は、夫婦ともに身の回りのことは自分ででき、「老老介護」の状態ではない。吉田被告も「妻を介護施設に入れる検討もしたが、要介護の基準に届いていないので現実的には難しいだろうと思った」と語っている。しかし年老いていく中で吉田被告と同様の立場に置かれ、“漠然とした介護への不安”を感じる人は少なくないのかもしれない。

裁判員から「京子さんがどう思っていると思うか」と問われた吉田被告は、「それを私も一番聞きたい。どういう風に思ってくれてるのかなと。50何年一緒に過ごしてましたからね」と話した。判決は、9月20日に言い渡される。
【執筆:フジテレビ 社会部 司法担当 空閑悠】

空閑 悠
空閑 悠

フジテレビ報道局社会部記者。
2017年から政治部で政府与党、野党などを取材。
2021年からは社会部で厚生労働省を担当。
現在は司法担当として主に東京地検特捜部などを取材。