古くから日本の伝統を淡々と守ってきた技術。いま日々、消えつつあるその伝統技術を守るために、商品開発で新たな活路を見出す親子を取材した。
取材班が訪れたのは福岡・古賀市。県道沿いの建物の看板には“一級染色補正”と記されている。店名は『翔』。中に入ると鮮やかな色彩の着物が並べられている。「着物関係なんですが、染色の補正業をしています」と話すのは、翔の店主で一級染色技能士の森本隆文さんだ。
この記事の画像(11枚)“染色技能士”という国家資格
「染色の補正業」とは、着物や、着物に仕立てられる前の素材、反物の汚点やシミなど落としたり、日焼けなどによる色褪せた柄の修正などを行ったりする仕事のこと。この仕事ができるのは、“染色技能士”という国家資格に認定された人に限られている。この道40年以上の経験を持つ森本さんは、そのなかでも最上の“一級”を取得しているのだ。
「この部分の修正をします。色の差がはっきりと分かると思います」と森本さんが指し示したのは、着物の襟部分の日焼けによる色褪せ。色が抜けた部分だけを元の色に染め直すという作業だ。修復は染料を調合し、エアブラシを使って行う。色を作る作業は感覚で行われる。「いままでやってきた感覚のなかで『この色が最適だろう』と。見ただけで『コレだ!』と。“一発”でいきます」と森本さんは話す。
森本さんだからこそできる熟練の技。柄を潰さないよう繊細な手つきで色を付けていく。わずか3分ほどの作業だったが、日焼けによる色褪せ部分が、どこか分からないほどきれいに補正された。
江戸時代から続く伝統技術だが…
こういった仕事は、いつごろからあるのか?森本さんに尋ねると江戸の末期だという。300年以上続く伝統技術で、色を付けるだけでなく、しみ抜きも得意とする。この技術を頼りに「大事な服をもう一度着たい」という依頼も少なくない。しかし「和服離れという意味合いでは、どんどん呉服店も減っていますし…」と業界としての現状は厳しいと森本さんは話す。着物の支出額の推移を見ると、30年ほど前と比べ6分の1に縮小。染色技能士への仕事も減っているのが実情だ。
低迷する業界に飛び込んだ息子
低迷する和服業界。にも関わらず、この世界に飛び込んで来たのが、息子の翔馬さんだ。「小さい頃からずっと着物に囲まれて育ったんで、不思議とこの道に、勝手に進んでいた」と話す翔馬さん。高校卒業後から6年間、クリーニング店で修業し、家業を継ぐため8年前に帰って来た。「厳しい状況のなかで、息子が継いでくれると聞いたときは、すごく嬉しい思いをしました」と父の隆文さんは素直に喜びを語る。
しかし、嬉しい気持ちの反面、森本さんには低迷する業界への不安もある。そんな現状を打破するために森本さんが新たに始めたのは、靴や洋服などにも技術を活かすこと。「これから幅広く仕事をやってもらうためには、こういうものもやっていく技術を養ってもらいたいなと思っています」と新しい技術への抱負を語る森本さん。着物の仕事だけでは生きていけない時代。森本さんが持つ技術を息子の翔馬さんへ伝授し、現代に合ったかたちで残そうとしているのだ。
伝統技術を残すための新技術
「最後にテープを剥いだら完成です」と翔馬さんが紹介してくれた新技術。色褪せていた靴が新品のように生まれ変わった瞬間だ。この技術だけでなく、さらに幅を広げるため翔馬さんは福岡県のプロジェクトにも参加している。
県のプロジェクトとは、いったい何なのか? 商工部新事業支援課の城山宗一郎さんに聞くと「福岡県内の企業ベースでいえば9割以上、中小企業が占めています。その中小企業が、より元気になっていくことが福岡県内の経済がより発展していくという認識の下で、中小企業の後継ぎ支援をスタートしました」という。その名も「アトツギ・サッシンベンチャー支援プログラム」。後継者問題を解決するため3年前にスタートした。これまで43社が参加し、モノづくりや新規サービスの開発などを県が支援している。建材などを扱う会社の「たき火用遮熱シート」や桐箱メーカーが作る「桐のシューケース」など、いままでの枠に囚われない新しい商品が次々と誕生しているのだ。
プロジェクトに参加した森本さん親子が開発した新商品。2024年2月に商品化し、800本以上売れている『しみぬきトントン』。衣類の油性汚れに特化した商品で、べったり付いた口紅も簡単に落とすことができる優れものだ。
伝統技術を残すため、形を変えながら挑戦する染色技能士の親子。受け継ぐ2代目は「日々頑張って、父を超えられるように頑張りたい」と大いなる目標を掲げている。
進化を遂げる伝統技術、今後も楽しみだ。
(テレビ西日本)