筑後川の夏の風物詩として親しまれてきた鵜(う)飼いが、いま岐路を迎えている。どうやって伝統を残していくのか。鵜匠の胸に迫るものを取材した。
静寂に包まれた夜。滔々と流れる筑後川。筑後川は福岡県南部を流れる一級河川だ。
この記事の画像(8枚)明かりの灯された船上で手綱を握り、鵜を巧みに操るのは、臼井信郎さん(40)。「鵜飼い」を生業とする家に生まれ、鵜匠となって20年になる。筑後川では長い間、近隣の3軒で鵜飼いが受け継がれてきたが、現在では臼井さんを含む2軒のみが残っている状況だ。
1300年の伝統を守り繋いでいく
筑後川の夏の風物詩、鵜飼い。奈良時代に記録されたとみられる木簡に記述があるほど古くから行われていて、現在では地域の貴重な観光資源にもなっている。白井さんが自宅で飼っているのは、キキとララの2羽。それぞれに性格が違うと笑う。
普段、夜に漁火を灯して行われる鵜飼いだが、この日は陽の高いうちから“出勤”だ。軽トラックに鵜を乗せて向かった先は「道の駅・原鶴バサロ」。水槽のようなものを載せた別のトラックと合流する。
臼井さんたちが準備していたのは、鵜飼いの実演ショー。アユを泳がせた水槽に鵜を飛び込ませて、鵜飼いの様子を見せようというもの。水槽の周りには物珍しさから見物客が集まってきた。そしていよいよ出前鵜飼いショーの始まりだ。
出前“鵜飼ショー”は大盛況
「嘴から喉、ここからお腹」と白井さんは、鵜が喉までしかアユを飲み込めない状況を説明して鵜を水槽に放つ。勢いよく泳いで漁を始める鵜。狙いを定め、目にも止まらぬ早業でアユをパクリ。またパクリ。そしてまたパクリ。喉にアユを貯え水槽から出てくると食べたはずのアユが吐き出される。子どもたちも間近で見る鵜飼いに大喜びの様子だ。この日は2回のショーを行い、ともに大盛況だった。
「お客さんに喜んでもらえるの一番ですよね。身近で見てもらって、どうやって魚を獲るのか。まず鵜飼いって何?からですから」と話す白井さん。新たに始めた異例の取り組み。きっかけは7年前のあの出来事だった。
九州北部豪雨で筑後川がズタズタに
2017年7月、朝倉市などを襲った九州北部豪雨。福岡、大分、両県で、死者、行方不明者42人を出した大災害だ。鵜飼い関連でも、鵜船が川岸に打ち上げられ壊れるなど深刻な被害を出した。筑後川にも大量の土砂が流れ込み、魚の餌であるコケも埋もれてしまった。その後も豪雨は数年おきに発生。かつてのような鵜飼いができない状態が、筑後川ではいまも続いている。
「砂が全体的に川底に詰まっているんですよ。川が浅くなっちゃって、砂が石を隠しているので魚が住めなくなっている」と話す白井さん。鵜飼いの伝統を繋いでいけなくなるかも知れない。そんな状況のなかで思いついたのが、出前の鵜飼いショーだった。度重なる水害。そして担い手の減少も重なり、危機感を募らせた臼井さんや近くにある原鶴温泉旅館協同組合が企画し、出前鵜飼いショーを実現させたという。
筑後川の川底には流木や巨石が
「いま、水位が下がっていて、鵜船が上りづらくなっているので、大きな岩、邪魔になる岩をどかして…」と本番の鵜飼を前に臼井さんは、本来の仕事場である筑後川で船が進みやすいように川底を整える作業を進めていた。1人で、黙々と力の要る仕事を1時間以上かけて続ける。筑後川の川底の流木や巨石は、取り除いておかないと鵜船を阻んでしまうのだ。
陽がすっかり暮れ、あたりに闇が迫る。岸辺にある船に明かりが灯ると、次々と客が集まって来た。「初めて見るんで、めっちゃ楽しみにしています」と客も待ちきれない様子だ。いま、鵜飼は川底が浅く小型の船しか使えないため、近くの原鶴温泉に泊まっている客限定となっている。
「家業なので、どうにかこの仕事を残していきたいっていうのが、一番ですし…。鵜飼いの楽しさを知ってほしいです。魚獲りなんで、素直に獲ったら楽しいなと思ってほしい」と話す白井さん。自然と向き合いながら鵜飼いを続けようと奮闘している。筑後川とともに育ち、度重なる災害に見舞われながらも鵜匠を続ける。そこには、伝統を繋ごうとするひたむきな姿があった。
(テレビ西日本)