ルフィと名乗る指示役のもと日本全国で行われた広域強盗事件。その中で唯一、犠牲者が出てしまったのが東京狛江市の強盗致死事件だ。その事件の実行役で、当時19歳の元大学生に対する裁判員裁判が東京地裁立川支部で開かれた。
ルフィ実行役の元少年の裁判員裁判
この記事の画像(10枚)2023年1月、東京都狛江市の住宅で発生した強盗事件。当時90歳の女性が高級腕時計を奪われた上に、バールで殴られ死亡した。ルフィなどと呼ばれた指示役の男の指示のもと、実行役として犯行に関わり、強盗致死の罪で起訴されたのが石川県白山市出身の住所不定、無職の元大学生、中西一晟被告(当時19歳)だ。東京地裁立川支部で始まった裁判員裁判。中西被告は「強盗部分のみ認めます」と起訴内容を一部否認し、女性の死亡には関わっていないと主張した。
起訴内用一部否認の被告に遺族「バールで20発殴らせてほしい」
8月29日に行われたのは、被害者遺族の心情陳述。長い前髪に眼鏡姿の中西被告を前に被害者遺族の悲痛な思いが代理人弁護士から告げられた。
被害者の息子の陳述:
「私が母の遺体と初めて会ったのは、ドラマで見る遺体の安置所などではなく、調布警察署の駐車場の一角のスペースです。台車に乗せられてポツンと置かれていました。冬の寒い日に薄い布だけがかけられて、母がこんな粗末な空間に置かれているとは思いませんでした。母の顔は生前見たことのない、辛く、無念な顔をしていました。想像を絶する痛みだったでしょう。母は普通の女性で、普通のおばあさんで、恨みを買うような人ではありませんでした。食事や身支度まで1人でこなし、慎ましく生活する人でした。健康に注意しすぎるほど、病院によく行っていました。母はあと10年生きたら100歳でした。100歳まで生きて欲しかった。私は遺体に触れられませんでした。母に会うまでに母の体中の骨が折れていることを知ったからです。残酷な現実を受け入れたくないと、両肩にそっと手を置きました。私の家族は泣いていましたが私は泣きませんでした。何も思うことはなく、何も考えられませんでした。天井から俯瞰して見ている感覚で、無心だったと思います。」
さらに…「母は『お父さん助けて』と言っていたそうです。父は20年以上前に死んでいます。バールで暴行されながら取った必死の行動が、20年以上前に亡くなった伴侶へ助けを求めることでした。母の手には結束バンドで縛られた跡が残っていました。それを見て、一生懸命に父に助けを求めていたのではないかと思いました。被告人には憎しみしかわきません。被告人の刑は、当時少年であったことが考慮される可能性があります。私はこれだけの事件が減軽されてはならないと思います。悲惨な事件を許してならないと思うのならば、極刑に処すことが良いのではないかと。被告人は私たちに対して罪を償う、申し訳ないと言っています。私に被告人をバールで20発殴らせて欲しい、20発の内に殺してみせる。目には目を、歯には歯を。被告人は死刑にはならないでしょう。バールでも殴られないでしょう。そして何年か先に自由になるでしょう。事件のことを思うと全てがどうでもよく感じます。この事件は連日、センセーショナルな見出しと共に報道されました。その度に母の名前と写真を見ては、母の死に顔を思い出しました。私は体力的にも精神的にも疲弊しきり、カウンセリングを受けるまでになりました。この裁判まで本当に長かった。私はここまで這いずりながら辿り着きました。犯人の姿を見ると私は冷静ではいられないと思います、だから弁護士を通して参加することにしました。事件について見せてもらえる資料は全てに目を通しました。母の写真は顔が2倍に腫れて膨らんで、脳みそや内臓を見るために皮膚を剥がされた写真もありました。中でも細部まで目を通したのは被告人の供述調書です。夜中まで目を通し、メモをとって記憶しました。弁護士のところへ何度も足を運び内容を読み込みました。裁判まで目にしていた被告人の供述からは、人をなぶり殺した自覚や、反省が感じられません。裁判での保身としか思えない発言からもその感想は変わりません。母の死に際の言葉を忘れないで、極刑にならないのであれば出来るだけ長く、刑務所にいて欲しいと思います」と悲痛な思いを綴っていた。
争点は被告が被害者の死亡に関わったかどうか
続いて行われた検察の論告。中西被告は、宅配業者を装って女性の家に侵入し、女性が抵抗できないよう結束バンドで縛り付け、タオルで口を塞いだと指摘。女性が死亡するに至った前提となる暴行を中西被告が行ったと述べました。さらに他の仲間が、女性に対して暴行を加えるところを目撃した上で、バールを持った仲間の元へ女性を運んでいることなどから、強盗に暴力が伴うことを認識し、それを共有していたことは明らかで、強盗致死罪が成立すると主張。中西被告がバールや拳などで直接暴行を加えていないことや、当時19歳少年であったことを踏まえても大きく刑を軽くするのは妥当ではないとし、懲役25年を求刑した。
一方の弁護側。中西被告は結束バンドで縛りやすいように女性の肘を押さえただけで、タオルも軽く当てただけだとし、バールについては金庫を開けるためのもので、拷問のために使用することを認識しておらず、実際に暴行も加えていないと反論した。また犯行前、別の実行役として起訴されている当時、金沢市在住の永田陸人被告に、道案内ができないことでひどく叱責されて恐怖心を持ち、その指示に従ったに過ぎないと述べた。さらに中西被告が深く反省し、将来は弁護士になりたいとの夢を語っていることなどから更生の兆しが見えているとして、懲役13年の判決を求めた。
最終陳述にも落ち着いた声で「償い続けることを誓います」
被告人の最終陳述、スーツに青いネクタイ姿で証言台に立った中西被告。
「事件に関わることになったきっかけは覚えています。金に苦心し、シュガーさん(指示役の男)の甘い誘惑に乗ってしまいました。仲間のカトウ(広島県での強盗に関与していると見られる実行役の男)が捕まっていなかったことも私の背を押し、事件に関わってしまいました。1月19日(事件の日)は自分にとって、被害者にとって分岐点でした。誘惑に負けず、踏みとどまっていればと申し訳なく思っています。でも事実として1月19日の事件に関わってしまいました。今でも夢に見ます。行けと言われて(被害者宅の)インターホンを押したこと。女性を縛った瞬間。地下室で目撃したこと。仲間が殴打行為をするのを見ながら、散々怒鳴られた恐怖と、(永田被告に)少しでも指図と取られかねないことを言えば殺されると思いました。暴行を止めないといけないと思ったのに私は立ち尽くすのみでした。自分が目撃する前に何をされていたかは分かりません。止められていても結果は変わらなかったかもしれません。暴行を止めたかったと思っています。苦痛や痛みを少しでも減らしたかったです。犯行現場を後にしたあとも、罪を重ねました。逮捕されて奪った命の重みを、悲しみの大きさ、苦しみを知れば知るほど全てを後悔し、絶望しました。その中で自分で罪を償わせて欲しいと思わせてくれたのは、取り調べをしてくれた警察官や弁護士の先生でした。それから遺族の方への手紙を書き始めました。償いになっていないかもしれないけど、手紙を書くことには意味があると思います。漠然としか受け止めていなかった命の尊さや、罪を重ねることの後悔を知ることで遺族に償いたいと思いました。手紙を書くことで自分の精神は成熟し、ここに立っていると思います。地下室で被害者を見た時、何もできませんでした。遺族に償えるかは分からないけど、自分が責任を持って被害者に償いを続けることをここに誓います。私が断罪される言葉を借りて、被害者、遺族に謝りたいです。大変申し訳ありませんでした。地下室での暴行を止められなかった自分を許さずに生きていきます。罪を償いきれずとも、償い続けることを誓います。遺族の心の傷がほんの少しでも癒えることを願っています」と、落ち着いた声で話していた。
裁判はこれで結審し、判決は、9月6日に言い渡される。
(石川テレビ)