「学長が注目する学長」として3年連続1位に選ばれている(※)のが、群馬県前橋市にある共愛学園前橋国際大学の大森昭生学長だ。「定員割れ」「赤字経営」「Fラン」などと地方大学に厳しい視線が向けられる中、地方大学の学長でありながら最も注目されている大森氏に「なぜいまこそ地方大学が必要なのか」聞いた。
(※)朝日新聞出版が毎年発行する日本の大学総合評価誌「大学ランキング」
地方、私立、小規模が日本の大学の典型
「地方の小規模大学が日本の大学の主流だと、皆さんは意外とご存知ないですね」
筆者が「いま地方大学には厳しい見方がありますね」とたずねると、大森氏は開口一番こう語った。
「東京の大規模大学というのは大学の中でも特殊な事例です。約800ある大学のうち7割は地方小規模大学です。もう1つ重要なのは、日本の大学生の8割は私立大学に通っているということです」
そして大森氏はこう続けた。
「いま地方、私立、そして小規模であることが三重苦のように語られますが、それが日本の大学の典型なのです。そこに人口減少社会・少子化時代が加わります。たとえば群馬県では18歳人口がいま1万7千人くらいですが、いま出生数は1万人を割れています。つまり18歳人口が18年後に半分になるということです。もし何も手を打たなければ大学は潰れ、地方で大学に通うことが難しくなる。そうすればいま6割程度で頭打ちと想定されている大学進学率も、やがて下がっていくでしょう」
この記事の画像(5枚)大森氏は1996年に学校法人共愛学園に入職し、2016年より共愛学園前橋国際大学の学長を務めている。また、文部科学省や内閣官房など政府の委員のほか、中央教育審議会でも様々な委員を歴任している。研究者としての専門はアメリカ文学と男女共同参画論で、アメリカ文学ではヘミングウェイの研究一筋だ。
地方大学なくなれば日本のパワーは落ちる
地方での大学が減少していく未来を大森氏はこう懸念する。
「暮らしている地域で高等教育にアクセスできるチャンスを残しておかないと、やがて日本全体のパワーは落ちていくでしょう。いま大学が多すぎるという議論がありますが、大学側からすると『社会が大学生を必要とするので増やしてきた』という感じはあります。私は大学の教育力を信じていますので、この先日本は困ったことになると思っています」
では今後地方大学を存続するためにはどうすればいいのか。まずは国からの財政的な支援が求められるが、一方で「Fラン大学に助成金を出す必要はない、もったいない」という声もある。こうした声に大森氏は「そもそも運営費の9%しか国から助成されていません」と反論する。
「国からの助成が少ないから私学経営は学費、つまり個人、家庭負担に頼らざるを得ない状況になっています。本当に国には人材を育成する気はあるのかという思いです。先日慶應義塾大学の伊藤塾長の“国立大学の授業料を150万円に”という発言が波紋を呼びましたが、私は非常にまっとうな発言だと思いました。なぜなら国立大学も学生を育てるために今以上にお金が必要ですし、私立大学と国立大学の学費の格差があまりにも大きいので公平な競争環境に無いからです。もちろん学生への奨学金ありきの話ですが」
「地方大学こそ地方創生の要」
大森氏が学長を務める共愛学園前橋国際大学が前身の短期大学を改組して設立されたのは1999年。国際社会学部を持つ単科大学で、学生数は約1300名。
そしてこの大学の特色は「地学一体」という言葉にある。
「『地学一体』に込めた思いは、大学は地域の一部であり、人材が必要なのは地域なのだから大学と一緒に育てましょうということです。大学では前橋市や群馬県が授業を持っていますし、大学に通う代わりに市役所や地元企業、NPOに4か月間インターンに行く学生もいます。群馬の特産品で商品を作るPBL型の授業や地元企業のビジネスミッションを海外でこなしてくるようなハードな授業もあります」
「これまで自治体は自分の地域にある大学を自分事化してこなかった」と大森氏は言う。
「そもそも大学は文科省の直轄で、自治体には予算も許認可権限もありません。だから自治体からすると公立以外の大学はアンタッチャブルなものでした。しかしいま状況は変わってきて、長野県は国立、私立も含めた高等教育を推進する部署を作りましたし、大分県も国立や私立も含めた地元大学の定員充足率をKPIにあげました。その背景には、地方大学こそが地方創生の要だという認識が共有され、地域が大学との連携を自分事としてとらえるようになったことがあります」
「Fラン大学のほうが教育力は高い」
最後に地方大学への「Fラン」批判を大森氏はどう見ているのか聞いてみた。
「まず、地方大学=「Fラン」というのは偏見です。事実、本学もそうではありません。また、偏差値という単一の物差しで大学を見ることもナンセンスです。そのうえで、『Fラン大学は要らない』とよく言いますが、『本当に無くなっていいんですか』と逆に問いたいです。昔、ある大学で、ジャージ姿で通学していた学生が、大学での学びを通して、スーツを着て就職活動を始めたという話を聞いたことがあります。いわゆる“階層移動”の装置として大学が機能をはたし、納税者が1人育ったわけです。そういう役割を大学は持っているのです」
そして大森氏はこう続けた。
「Fラン大学=教育力が低いとよく言われますが、学生たちに力をつけることを一生懸命やってきた大学のほうが教育力は高いんです。『ジャージからスーツに着替えるプロセスは大学じゃなくてもいいでしょう』という議論もありますが、ではどこがそれを代わりにやりますか?そのオルタナティブはまだ日本では用意ができていないのではないでしょうか」
地方大学こそビジョンと役割を明確に
これまで地方大学はミニ東大を目指し、それが没個性につながった。大森氏は「地方大学こそビジョンと役割を明確に」と強調する。
「地方の大学こそ、自らのビジョンと役割を明確にし、そのヒエラルキーの外側に出る大学作りをしないといけませんよね。いずれにても、私たち大人には、地方大学を揶揄するのではなく、地方で生き生きと学び、頑張っている学生たちに自尊心と自信を与える役割があると思います」
地方で高等教育へのアクセスが無くなれば、若い世代の人口流出は益々止まらないだろう。国、自治体はいまこそ地方大学から地域の未来を考えるべきだ。
(執筆:フジテレビ報道局解説委員 鈴木款)