パリオリンピックのレスリング日本代表、桜井つぐみ選手(22)=女子フリー57kg級・育英大助手・香南市出身=と清岡幸大郎選手(23)=男子フリー65kg級・三恵海運・高知市出身=。同学年の2人をジュニア時代から育ててきたのが、つぐみ選手の父でもある高知レスリングクラブの桜井優史監督(48)だ。2人の教え子を高知から世界最高峰の舞台に送り出せた背景には、「子供を伸ばすため」の指導哲学と自身の挫折を踏まえた一つの“仮説”があった。

「この子なら…」最初の弟子との出会い

桜井監督は香川県出身。小学1年生の時、「体が小さかったので鍛えるため」親から勧められた柔道を始めた。高校進学時、開催が迫っていた東四国国体に向けてスカウトされ、レスリングに転向。3年生で「地元国体で優勝する」という目標をかなえ、進学した群馬大学でも全日本学生選手権3位など活躍を続けた。

高知国際高校の教師でもある桜井監督
高知国際高校の教師でもある桜井監督
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大学を卒業した1998年、就職のきっかけも国体だった。2002年のよさこい高知国体に向けて関係者から「声がかかって」高知県の採用試験を受け、高校教師になる。“最初の弟子”として白羽の矢を立てたのは、自分と同じ柔道をやっていた中学3年生。体型も自らと似ていたという。

桜井監督:
運動神経が良かったので、「この子やったら私が育てたら強い選手にできる」と思って誘いました。私も地元国体で優勝して、自分の人生を切り開いてきた。その経験が大きかったので、教え子をとにかく高知国体で優勝させたいと私の技を徹底的に仕込んで、3年間育てました。

栄光の裏で感じていた挫折

迎えた国体の決勝戦。しかし、手塩にかけて育てた弟子は敗れてしまう。相手はジュニアからずっとレスリングをやっていて「最終的にはオリンピックに出る、ちょっと強い選手」だった。

「かなり差がある試合でした。その選手にはそれまでも何回も負けた経験があって、その差を高校3年間で埋めるのは難しいなと。やっぱり高校から始めたんじゃ厳しいぞと」

監督自身は高校から始めて国体優勝、大学でも活躍した経験がある。しかし、「やはり厳しい…」と感じたのは“選手としての挫折”もあったからだ。

「国体で優勝した当時、取材の時には『オリンピック選手に』とか答えていたけど、心の中ではオリンピックを本気では目指していなかったです。もっと強い選手がいたので。『上には上がいるな』『本当にオリンピックを目指す選手というのは、私とは違うな』という感じで競技生活を送っていました」

桜井監督はつぐみ選手の父でもある(真ん中は妹・つきのさん)=写真提供:桜井監督=
桜井監督はつぐみ選手の父でもある(真ん中は妹・つきのさん)=写真提供:桜井監督=

桜井監督によれば、ジュニアから始めた選手は「マインドの部分で大きな差がある」のだという。

「全国で優勝するとか、世界で勝つということになると、小さい頃から全国トップを目指してチャンピオンになって、そのマインドを持って、中学・高校、その先に…とつなげていかないと、なかなか勝てない。勝負に対するこだわりもそうですし、レスリングをしっかり理解して『試合で勝つにはどうすべきか?』ということを小さい頃からやっていないと難しい」

一念発起でジュニア教室を立ち上げ

自身の挫折体験と、弟子を勝たせられなかった悔しさ。「やるしかない」と奮起し2004年、教師の仕事のかたわら高知レスリングクラブを立ち上げた。最初に教えることになったのが、当時2歳だった長女のつぐみ選手と、家族ぐるみで付き合いのあった清岡選手だった。「最初はボール遊びから始めたようなもの」という。

清岡選手(左)とつぐみ選手は高知南高校の同級生でもある
清岡選手(左)とつぐみ選手は高知南高校の同級生でもある

ーー「この子たちならいける」と思っていた?

桜井監督:
いや、最初はそんなことは思っていなくて。特につぐみなんか本当にどんくさくて。体を動かすのは嫌いじゃなかったと思うんですけど。小学校に入ってからも、ゆっくり硬筆したりとか毛筆したりとか、そっちの方が向いているんじゃないかなという子だった。

清岡選手の母と桜井監督の妻が元同僚で家族ぐるみの付き合いに
清岡選手の母と桜井監督の妻が元同僚で家族ぐるみの付き合いに

おしめを替えたこともあるという清岡選手については「本当に活発な子で、面白いなとは思っていた」という桜井監督だが、「この子らが強くなるとか、それこそオリンピックにとかは考えてなかった。この子らをベースにして、強い選手をつくっていきたいという思いでした」と振り返る。

子供たちのためにプライドを捨てた

ーー指導で心がけたことは?

「自分のそれまでやってきたプライドを全部捨てて、一から学ぼうと。子供たちのために学んで、しっかり勉強しようという気持ちでスタートしました。高知国体に向けて選手を教えていた時は、私の技を教えて、私のレスリングを子供達にやらせてという形だったけど、それでは勝てなかった」

子供たちに指導する桜井監督(2014年)
子供たちに指導する桜井監督(2014年)

「私はグレコローマンスタイルの選手なんです。タックルとかはやったことがなくて。世界で勝つためには、タックルであったり組み手であったりアンクルホールドであったりとか、私ができない技術も必要。私のレスリングとは全然違うレスリングをつくりあげていった」

“最初の弟子”が愛娘に伝えた得意技

ジュニアの指導は“素人”だった桜井監督。毎週のように香川の高松レスリングクラブに通い、指導方法を学んだ。「その子に合った技は一人一人違う」として、自らは基礎の指導に専念。「いろんな所からいろんな要素を取り入れる機会」を与えたいと、技術指導を受けさせるために車で東京へ連れていったりもした。

つぐみ選手は小学4年生の頃から全国大会で好成績を残すようになる
つぐみ選手は小学4年生の頃から全国大会で好成績を残すようになる

そんな中、つぐみ選手は小学4年生になり、頭角を現し始める。きっかけは桜井監督の“最初の弟子”である森誠司さん(現・高知東高校レスリング部監督)だった。2002年の国体で準優勝後、桜井監督と同じ群馬大学に進学。その後、高知に戻って高知レスリングクラブで指導に携わることになり、つぐみ選手に得意技となる“腕取り”を教えた。

「もともと私が得意だった技なんですけど、私は子供たちに私のレスリングは教えていなかった。そこに森先生が帰ってきて、“腕取り”を徹底してやって、つぐみにその技が合った。そこから“レスリングの勝ち方”が分かってきて、全国でもトップになっていきました。森先生が教えた“腕取り”がはまって、今のつぐみのスタイルの基礎を築いた」

夢は「オリンピック優勝」と取材に答える12歳のつぐみ選手
夢は「オリンピック優勝」と取材に答える12歳のつぐみ選手

指導者としての最初の国体での苦い経験。「自分の技を教えて自分のコピーをつくってというのでは、やっぱり勝てなくて」とあえて封印した自らのレスリングが、その弟子を通じて愛娘のレスリングをつくった。

目標は「金メダルを取ること」

世界に通用する選手をつくるにはジュニアからーー。

2人の教え子を送り込んだパリオリンピックは、20年に渡って実践してきた“仮説”の答え合わせでもある。

つぐみ選手は世界選手権3連覇中
つぐみ選手は世界選手権3連覇中

「レスリングは独特な動きがたくさんある。体の使い方であったり柔軟性とか鋭敏性とか、回転したりする能力であったり。それを彼らは本当に小さい頃から培ってきている。レスリングの幅、できることの幅が私なんかとは比べ物にならないぐらい、いろんなことができるんです」

清岡選手はつぐみ選手が「1番のライバル」で、お互いに高め合ってきたことでオリンピック出場も決められたと話す
清岡選手はつぐみ選手が「1番のライバル」で、お互いに高め合ってきたことでオリンピック出場も決められたと話す

「幸大郎は中学校の時には大学に連れて行ったりとか、オリンピック選手の技術を学ぶ機会を何回か与えたんですけど、しっかり学びをして、なおかつ自分のレスリングにも取り入れていって。それを中学校レベルでできると思ってなかった。意識が高くてやる気のある子は、早くに良い学びをする機会を与えると、どんどん成長していく。そこは私の仮説というか、想像よりも子供たちの力はすごい」

オリンピック壮行会で肩を組む、つぐみ選手と清岡選手
オリンピック壮行会で肩を組む、つぐみ選手と清岡選手

桜井監督:
2人の今の目標は金メダルを取ることです。小さい頃からの2人の夢も「オリンピック選手になる」ではなくて「オリンピックで金メダルを取る」ということなので。最後は「2人ともよかったな」と終われたらと思っています。

つぐみ選手が出場する女子フリースタイル57kg級は8月8日、清岡選手が戦う男子フリースタイル65kg級は10日(いずれも日本時間)に幕を開ける。

(高知さんさんテレビ)

高知さんさんテレビ
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