スケートボード男子ストリートで見事オリンピック連覇を果たした堀米雄斗選手。東京オリンピック後のルール改正なども影響し、代表漏れの危機を乗り越えての大逆転勝利だった。
難度の高いトリックと共に注目されたのは堀米選手の足元。スニーカー販売店「SNKRDUNK」原宿店のタフリー謙店長にデザインや配色に込められた裏話を聞いた。
スケーター専門店の入手困難モデル
ーー堀米選手が履いていたのはどういった靴?
これはナイキの「SBダンク」というモデルです。ダンクはもともとは1985年にバスケットボールシューズとして誕生しましたが、2000年代の初頭にナイキがSB(スケートボード使用)に作り替えたモデルで、皆さん『堀米ダンク』と呼んでいます。
ーー金メダル翌日の反響は?
朝からたくさんのお客さんが来てすごく盛り上がりを感じています。1年前の2023年8月25日が発売日ですが、堀米選手は東京五輪後の世界大会とかでもよく履いていたので、発売直後からずっと反響はありました。
堀米さんのモデルに限らずSBダンクというモデルは、大手小売店のスニーカーショップには入荷されず、スケートボードを取り扱っているスケーター専門店でしか最初は販売されません。しかも抽選販売になるので、入手が困難な商品になっています。
アスファルトと桜、堀米家の家紋も
スニーカーの配色は堀米選手がスケートボードを始めた馴染みの公園をイメージし、ヒールの部分には堀米家の家紋が刻印されるなど、日本人選手がナイキとコラボするレアで貴重なモデルとなっている。
ーーデザインや配色の意味合いは?
堀米雄斗選手がスケートボードを始めたのが大島小松川公園というところで、そこの雰囲気や色をシューズに取り込んでいます。グレーの部分はスケボーをするセクションのアスファルトの色になっていて、後ろのピンクと茶色は公園のきれいな桜の木をイメージしています。
さらに靴の外側のヒールの部分には堀米家の家紋が刻印されています。またシュータグのNIKEのロゴの下に「YUTO HORIGOME」の名前が刻まれているのもポイントです。一個人の日本人がナイキとコラボするのは結構難しいことなので、それを実現したことはやはり偉大なアスリートでありスケーターであることをこのスニーカーが物語っています。
動きがあるシンプルなワントリック
一方、堀米選手を小さいころから知るムラサキパーク立川立飛の林秀晃さんは、オリンピック2連覇の偉業に「こんなにすごい選手になるとは思っていなかった」と嬉しさを語る。
ーー金メダルに輝いた堀米選手を見た感想は?
予選から全部見ていましたが終盤は「いつメイクしてくれるの?」とかなりドキドキさせられました。堀米くんの技は、動きがあるけどシンプルなワントリックなんです。板を回してかけて板を回して降りるというトリックがある中で、彼の場合は1回の動きに全部の技を詰め込むのが特徴です。1回叩いて回転してかけて降りるというシンプルな技だけど、あれだけの点数が出るというのがすごいところだと思います。最後は着地も一切手を着くことなく、ブレずに一直線に走っていたので良い点数が出るだろうなと思って見ていました。
ーー堀米選手はこのお店にも来た?
今はアメリカが拠点ですが、もともとは足立区にあったムラサキパークというところに所属していたのでそこで練習していて、日本に帰ってきたタイミングでこの立川のムラサキパークにも遊びに来て、練習してくれることがあります。
ここはオープンしてちょうど1年ですが、僕が覚えてる限りでは3~4回来ていて、日曜日の昼に来た時は子どもたちも一緒にワイワイ滑っていました。
スケボーは日本の国技
堀米選手の東京オリンピックでの金メダルを機に全国各地にパークが増え、10代の若い選手が続々と誕生する中、林さんは「スケボーは日本の国技と言っても良い」と話し、次のオリンピックにも期待を寄せる。
ーー堀米選手のモチベーションは?
常にストリートで撮影をして、どこかしらに怪我を負いながらハードなスケジュールで転戦しているので、オリンピック出場までの道のりは大変なチャレンジだったと思います。
最後の最後に決めるパターンが彼の勝ち方として多いので、集中力はものすごく高いと思います。いざという時にちゃんとメイクして、さらに誰もやっていないトリックで高いポイントがつき、全てがうまく噛み合っているのだと思います。
ーー堀米選手はどんな少年だった?
堀米くんは江東区の出身で、僕も地元が浅草なので、パーク以外に滑りに行っていた小さい公園で一緒になりました。僕は堀米くんのお父さんと同世代ですが、雄斗は3兄弟の1人として小さいころから見ていました。まさかこんなにすごい選手になるとは思っていなくて、嬉しい存在です。今は会えば少し世間話をしますが、SNSを見て応援しています。
雄斗がオリンピックを2連覇し、ここからまたスケートボードをしたいという子どもが増えていったら嬉しいと思います。東京オリンピックで彼が活躍してくれたおかげで全国各地にパークが増え、新しい10代の若い選手が続々と生まれてきています。スケボーは日本の国技と言っても良いと思うので、次のオリンピックはその10代が中心となって世代交代をしながら盛り上がっていってほしいです。