2024年3月31日、ゲーム芸人フジタ(46)に、初めての子どもが生まれた。
「実感がない…」それが彼の感想だった。
幼少期に母を亡くし、父に捨てられる壮絶な人生を味わったフジタにとって、家族を持つこと、親になること、それが幸せなこととは、すぐに受け入れられないのだろう。
しかし、フジタに家族を持つように勧めたのは紛れもなくあの人だ。
ハチャメチャな人生で、周りを振り回し続けたけれど、どこか憎めない父・陽人(あきひと)さん。
子どもの頃からずっと父を憎んできたフジタは認知症介護を通して、父とぶつかり合いながら、親子の絆を取り戻した。
そして、初孫誕生の知らせを聞いたわずか6日後、父は安心したかのように他界。84歳だった。
妻との出会い、新たな命
後にフジタの妻となる、しずかさん(仮名・32)を紹介されたのは、今からちょうど1年前、2023年5月のことだった。互いに「子どもが欲しい」と熱望していたことが2人を強く結びつけたと感じた。
口数少ない、しずかさんに、フジタを好きになった理由を尋ねると「優しいから」と答えてくれた。
その後、二人は旅行に出掛け、程なくして、しずかさんは妊娠する。フジタが真っ先に報告したのは、認知症が進行する父だった。
最初は意味が分からなかったようで、「結婚していないのに、(順番が)違うんじゃないの」と言っていたそうだ。フジタは紙に「真也に子ども(孫)が生まれる」と大きく書いて、父にも見えるよう壁に貼り付けた。
秋が始まる9月の終わりにフジタは、しずかさんを初めて父に紹介した。場所は父の大好きな回転寿司店。
終始うれしそうに、しずかさんの出身地を聞いては「昔、車の仕事でよく行ったんだよな」と同じ話を繰り返していたという。
フジタとしずかさんは、11月22日「いい夫婦の日」に結婚届を提出。めでたく夫婦となった。
年が明けた2024年1月、父の家の近くに新居を借り、フジタは妻との新生活を始めた。再び独り暮らしになってしまった父は、この時、思いもよらぬ大きな病に冒されていた。
父を襲った病、希望と絶望の間で
1月20日深夜、就寝中にベッドから落ちた父は、そのままベッドに上がることができず、真冬の冷え込んだ部屋で、その身一つで朝まで過ごすことになってしまった。
翌朝、予定通り、デイサービスに出掛けたものの、38℃を超える高熱で自宅に帰される。連絡を受け、慌てて駆けつけたフジタが見たのは、苦しそうに息をする父。
フジタは迷わず救急車を呼んだ。
父は「肺炎」と診断され、そのまま入院となった。
肺炎はほどなく回復したものの、父の体にもっと大きな病気が見つかる。
フジタが医師から告げられた病名は、直腸がんでステージは3b。父の腸内には複数のがんができており、他の臓器へ転移している可能性もあるという。もはや内視鏡手術での切除は難しく、年齢を考慮すると外科手術には高いリスクがあると告げられた。
さらに、ケアマネジャーからは「病状を考えると、今後の独り暮らしは無理である」と言われる。
その頃のフジタは、3月末の出産を控えて帰省したしずかさんの実家と父の病院とを車で往復する毎日が続き、心身ともに疲れ切っていたように見えた。
フジタは父には「独り暮らしは無理だ」と説明し、退院後は認知症の人が共同生活を送るグループホームへの入居を勧めていたのだが、病床の父は「家に帰りたい」と頑なに繰り返していた。
家に帰りたい…グループホームでの日々
2024年2月22日、フジタの父は退院する。
しかし、1カ月におよぶ入院生活で体力は衰え、もはや自力で歩行することさえ困難だった。それでも「家に帰りたい」と言い張る父をフジタは懸命に説得する。
「一人でトイレに行けるようになったら、家に帰れるから」と半ば嘘を言い、何とか父をグループホームに預けることができた。
しかし、それはフジタにとっては別の意味で「苦しい決断」でもあった。
これまでのような在宅介護であれば、父の受け取る年金の範囲内で何とかやりくりできた。しかし、グループホームの入居となれば、費用の負担は倍以上となり、不足分は、息子であるフジタが補うしかない。
不安定な芸人の稼ぎで、父のグループホームの費用を負担しながら、新しく増える家族を養うことはできるのだろうか…、この頃のフジタは、いつもお金のことで頭を悩ませていた。
息子のそんな悩みはつゆ知らず、父は持ち前の明るさで、グループホームの人気者になっていた。ここでの生活に満足しているのか…、と思いきや、やはりフジタの顔を見れば「家に帰りたい」と言う。
理由を聞くと「ここには自分の物がない」「家には真也がいるから」と言う。
父と暮らした散らかし放題のあの家は、そもそもは、父が内縁の妻と一緒に暮らすために、2人で探した「終の棲家」だった。父にとって初めて自分のお金で買った家でもある。
結局最後まで、あの家で内縁の妻と一緒に暮らすことは、かなわぬ夢となってしまったのだが…。
娘の誕生と父の旅立ち
2024年3月、出産予定日を過ぎて、ようやく妻の陣痛が始まった。
その時、フジタは立会い出産のために妻の実家に待機し、しずかさんの身を案じていた。そして、陣痛が始まって20時間…、3月31日、午後5時17分、フジタが待ちわびた初めての子ども。元気な女の赤ちゃんが産声をあげた。
その声を聞いた時、フジタの不安は一気に喜びに変わり、気が付けば、頬を涙が伝っていたという。
グループホームで暮らす父に報告できたのは、4月2日のこと。初孫の誕生を息子から電話で知らされた父が発したのは「ありがとう」の一言。ただ、その「ありがとう」は、かすかに涙声だったとフジタは言う。
そしてフジタは父の元を訪ねる約束をしたのだ。孫娘の写真を見せにいくと決めたのは6日後の4月8日。
そして、この日が、フジタ親子にとって「運命の日」になろうとは、この時は思いもしなかった。
2024年4月8日、息子が初孫の写真を持って訪ねてくる、その日がやってきた。
その前夜、フジタの父は、いつものように夕食をとり、いつものように眠りについたという。
日付が変わった午前1時、職員がトイレのために声掛けをしたときも普通に応じていたという。
異変が起きたのは午前3時過ぎ。部屋でせきこむ父を職員が訪ねると、額に脂汗をにじませながら、「ここが痛いんだよ」と言って、みぞおち付近をさすっていた。
その様子を見た職員はすぐに、事務室へ戻り、救急車を呼んだ。
そして、父の部屋へ戻ると、すでに意識を失っていたという…。
心臓マッサージを施しながら、救急隊の到着を待った職員。父の意識は戻らぬまま、救急搬送されていった。
2024年4月8日、午前4時19分。搬送先の病院で父・陽人さんは息を引き取った。
虚血性心不全、84歳だった。
息子であるフジタは、グループホームからの連絡を受け、病院に駆けつけたものの間に合わなかった。目の前に横たわる父の遺体を前に、フジタは自分の手が自然に動くのを感じたという。気が付けば、フジタは父の手を強く握りしめていた。
8歳で自分を置いて家を出ていってから初めてのこと。フジタにとってそれは、憎み続けた父を心から許すことができた瞬間だったのかもしれない…。
ハチャメチャな人生を生き、最後は認知症になって、フジタを振り回し続けた父。
その死は、フジタに何をもたらすのだろうか…。参列者のほとんどいない小さな葬儀を終えたフジタが、こっそりと私に教えてくれた。
「娘が生まれた3月31日は、母の命日なんですよね」
突然、父を失い、新しい“家族”を築こうとしているフジタ。家族というものを憎み、その一方で、家族に憧れ続けた彼にとって、ここからが本当の始まりなのかも…、と私は思った。
(取材/記事:朝川昭史)