数々の映画やドラマのほか、バラエティー番組でも活躍した俳優の中尾彬さんが、5月16日、心不全のため亡くなった。81歳だった。

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中尾彬さんは以前、取材時にこう話していた。「死んでいくときに他に必要な物、何も無いじゃないですか。カミさんが側に居てくれてたら良いことで。ありがとうございましたって言うしかない(笑顔)」

1961年に日活第5期ニューフェイスに合格

中尾さんは、1961年に日活第5期ニューフェイスに合格し1964年に映画でデビュー。

1978年に結婚した、女優の池波志乃さんとは、芸能界を代表する“おしどり夫婦”として知られてきた。

ーー初キスは覚えてる?
中尾彬さん(当時75):
覚えてない 手を握るのが…。

池波志乃さん:
だから 飲み屋の帰りですよ。

中尾彬さん(当時75):
あーそうなの。

池波志乃さん:
ちょっと寒めの方がいいですね。暑苦しいとき、いやじゃないですか。

中尾彬さん(当時75):
お前何の話してるんだよ。笑

2人の絆は、病魔を乗り越えたことで強くなった。2007年、中尾さんは急性肺炎で入院。他にも重篤な症状を併発した中尾さんを志乃さんは献身的に支えた。

中尾彬さん(当時67):
カミさんの目の前で言うのも照れくさいけど、いろんなことで「ありがとう」ってことは言いたい。もっと重い、いい言葉ないかなって考えてるんですけど、結局はありがとうになっちゃうんでしょうね。

池波志乃さん:
2年経つと既に忘れかけているので。

中尾彬さん(当時67):
誰が!忘れちゃいませんよ。笑

中尾さんは大病を機に志乃さんの提案で“終活”を始め、トレードマークの“ねじねじ”も数多く処分した。

池波志乃さん:
自分が悲しくなる物は捨てない方がいい。

中尾彬さん(当時75):
でも俺捨てられたよ、これ(ねじねじ)200本くらい。

池波志乃さん:
悲しくならないでしょ。

ーー200本捨てて何本残っているんですか?

中尾彬さん(当時75):
200本。笑

終活の一環で自ら墓をデザイン

2023年6月に生出演した番組では、既に、中尾さんが自らデザインした墓を建てていることを明かしていた。

中尾彬さん:
中尾家の墓とは書いてないんでね。下に無っていう字を書いてる。お墓って立ってるじゃない。俺は横にしてるんだよ。

池波志乃さん:
デザインは不思議と思ったけど、立ってるより安定よくて。笑

2024年に入り体力が落ち、自宅で静養していたという中尾さん。池波さんは、最愛の夫の最期をこう明かした。

(中尾さんは)時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです。

ドラマ「GTO」で共演した反町隆史さんはこう振り返った。

初めて共演したときは演技を超えた存在感に圧倒され、役とは違う柔らかな笑顔に魅了されていました。

日活ニューフェイスの同期、高橋英樹さんはブログで盟友の死を悼んだ。

奥さん同士とも共演しあって心は近い存在でした。寂しくて涙も出ないよ。

中尾さんの葬儀・告別式は、本人と遺族の意向で既に近親者のみで執り行われたという。
(「イット!」 5月22日放送より)

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