テレビがキラキラした魔法の箱だった頃

子どもの頃、私にとってテレビはキラキラした世界を映す魔法の箱だった。

ビデオデッキもないから、大好きな歌番組の生放送、「今、この瞬間」を固唾をのんで見守る。

時には、テレビの前にカセットデッキを置き、「シィ~~~~っ」と真剣なまなざしで家族に沈黙を促して、テレビから流れる音を録るのに緊張したものだ。
(もちろんたっぷりのノイズ混じりで、後でがっかりするのだけれど。

今、2世帯3世代で暮らしていると、テレビを取り巻く環境の変遷が手に取るようにわかる。

70代後半の両親は、リポーターが極力登場しないBSの寡黙な旅番組を好み、小学生と幼稚園の子ども二人にとっては、もはやテレビは膨大すぎるほどのコンテンツが映る箱になった。

放送と通信の垣根もない。
世界中の好きなコンテンツを、好きな時に能動的に選んで観るスタイルだ。
 

 
 
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多様な「個」がそれぞれのメディアを持ち発信する時代

そんな中で、だ。
日曜の朝に、“人”が集う番組を“地上波”で担当する。

日曜の朝、人はどう過ごしているのだろう?
書いた途端に、「人」が一般化できないことに気づく。

現に私自身も、2児がいながら日曜の朝に仕事で家を空ける生活を始めて5年目だ。
そのうち4年は夫が単身赴任をしていた。

我が家に限らず、家族のありようも多種多様だろう。
学校や会社が休みの人、週末に副業をする人、会社員orフリーランス、そもそも働いているか否か、既婚未婚、子どもの有無、性別やセクシュアリティ、、、。

これまでの既成概念のカテゴリーでは収まらない多様な「個」が、それぞれに自分でメディアを持ち、声をあげ、意見を発信できる時代だ。

そして、自分が観たい、知りたい、求める検索ワードを入れれば、その方向性に沿う意見や解説に簡単にアクセスし続けられる。
 

「検索」では見つからない「ざわざわ感」を呼び起こす

これだけ「個」が多様に自分らしさを選択できる中で、人から借りてきた言葉や、何かの立場を全て代表して「〇〇目線」で発言すれば、おそらく観ている方に何も届かないだろう。

私は40代で母親で会社員で、、とさまざまな社会的属性はあるけれど、「母目線で」「働く女性目線で」何かを語るよう作り手から要請されると、困惑することが多い。

だってどれも丸ごと背負って代弁はできないから。

パックンもアメリカ人全ての声を代弁するわけでもない。

話せるのは「あくまでも私」でしかない。

『報道プライムサンデー』の醍醐味は、その瞬間、多様な考えの人が一堂に会すところだ。

スタジオに集うゲストや司会者、それぞれ、「個」を隠さずに言葉にしていくプロセスを、生放送で観て下さる方々と同時間に共有する。

当然、お互いに違和感や共感もあるだろう。
価値観が対立することも、交わり合うこともあるだろう。

そういった、何かしらざわざわした感覚を呼び起こせればと思う。
そのざわざわは、自分が入力する検索ワードでは決して触れられないもの、多様な人が、同じ時間同じ場に集まって、違いを尊重し合いながら対話していくからこそ生まれるものだと信じる。
 

…と堅く書いてきたものの、つまり、自分の好きなもの、意味のあるものだけで世界を固めることができる今の時代に、ちょっと食わず嫌いなものをかじってみたら案外悪くないね!と思ってくださるような番組を創れたらいいなと思っているのでした。

余計、わかりにくいでしょうか…(笑)。

政治部
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日本の将来を占う政治の動向。内政問題、外交問題などを幅広く、かつ分かりやすく伝えることをモットーとしております。
総理大臣、官房長官の動向をフォローする官邸クラブ。平河クラブは自民党、公明党を、野党クラブは、立憲民主党、国民民主党、日本維新の会など野党勢を取材。内閣府担当は、少子化問題から、宇宙、化学問題まで、多岐に渡る分野を、細かくフォローする。外務省クラブは、日々刻々と変化する、外交問題を取材、人事院も取材対象となっている。政界から財界、官界まで、政治部の取材分野は広いと言えます。