イベント会場などで「プラレール」のオリジナルレイアウトを組み立てる「レールトイ・レイアウター」の男性が鳥取県にいる。彼の活動は、シングルファーザーとして重病の息子を支えた親の愛がきっかけで始まった。
プラレールのレイアウトを仕事に
この記事の画像(21枚)「イメージの具現化ができる。自由な発想でできる」と、誰もが一度は目にしたことのあるプラスチックのレールを小さな列車の模型が走る鉄道おもちゃ「プラレール」の世界について熱く語るのは、鳥取・倉吉市の真壁浩志さん(45)。
「レールトイ・レイアウター」の肩書で活動し、「プラレール」で様々なレイアウトを実現させることを生業にしている。
見る人を圧倒する、立体的なレールのタワー。
そして、複雑な曲線レールはコンパクトに収められ、まるでラビリンス。
プラスチック製のレールを組み合わせて組み立てられたレイアウトは、もはやアートの域だ。
10年ほど前からイベント会場などに招かれ、「プラレール」をレイアウトしている。
今では「レールトイ・レイアウター」を名乗り、これを仕事にしてしまった。
卓越した技と表現力が世界から注目
組み立てを手がけたレイアウトや、その制作過程を紹介するYouTubeチャンネルは登録者約13万人にのぼり、動画の再生回数は、最も多いもので5000万回を超えている。
視聴者の8割は海外からだといい、プロとしての卓越した技と表現力が世界から注目されている。
この日は、鳥取・大山町の温泉施設を訪れ、週末のイベントに向け、会場でレイアウトを組み立てた。
プラスチックのレールを使って、いかに立体的に、そしていかに整然とレイアウトしていくか、技術とセンスが問われるという。
その極意について聞くと、真壁さんは「この組み合わせかっこいいなというのを最初に作る。そこからそれをつなげていく。点と線を結ぶ感じ。いつもノープラン」と、ひょうひょうとした表情で教えてくれた。
レイアウトに使うレールやパーツは全て自前で用意。
購入には年間100万円以上をつぎ込むといい、もはや「プラレール」に生活の全てを捧げている。
今では、「プラレール」のプロとして活動する真壁さんだが、実は子どもの頃は「プラレール」に全く心をひかれなかったという。
大人になってから、レイアウトづくりにのめり込むようになったそうだが、それにはあるきっかけがあった。
闘病する子どもを元気づけるために
真壁さんは高校卒業後、就職、21歳で結婚し、3人の子どもに恵まれた。
しかし、その後、離婚。
当時、8歳、5歳、2歳の3人の子どもを男手ひとつで育てることになった。
シングルファーザーになった真壁さんに、さらに転機が訪れた。
レールトイ・レイアウター真壁浩志さん:
末っ子が4歳になってすぐ、ネフローゼという病気になった。血液の病気で3カ月入院して寛解、治るところまでいったが、すぐに再発してずっと入院が続いた
入院生活は2年に及んだ。
その間、母親と交代で付き添い生活を続ける中で、病院から一歩も外に出られない息子のために始めたのが「プラレール」だった。
「注射を我慢したらプラレールを買ってあげるよ、という感じにやったら、がんばって耐えてくれていた」そうで、真壁さんはプラレールを病室に持ち込んでは、治療に耐える息子を元気づけたという。
結局、ネフローゼの治療はうまくいかず、その後、10歳で腎移植を受けるまで、約7年間にわたる闘病生活の心の支えになったのが「プラレール」だったと、真壁さんは振り返る。
息子を喜ばせたい、励ましたい一心で始めた「プラレール」だったが、真壁さんは、闘病生活が終わった後もレイアウトづくりにハマり続けた。
プラレールで家族がつながってほしい
イベント会場に出向いては、ひたすらレールを組み立て、長年の研究でレイアウトの技を磨いて、いつしかその道の「プロ」になっていた。
レールトイ・レイアウター真壁浩志さん:
フリーマーケットなどで場所を借りて組み立てて、来場者に見てもらっているうちに、あるときから「お願いします」という声が増え始めた
真壁さんのレイアウトの緻密さ、美しさに驚いた人たちから、やがて「うちでも設営してほしい」という声がかかるようになった。
10年ほど前に、真壁さんは会社を辞めて、「レールトイ・レイアウター」一本で生計を立てることを決意し、今では中四国地方を中心に、全国からオファーがあるという。
「自分の作品を見て、レールを組み立てる時の参考にしてもらえれば」と、やさしい表情で話す真壁さん。
発売から65年、親子3世代で愛されてきた「プラレール」で、これからも家族がつながってほしいと、プロ「レイアウター」として、既存の概念にとらわれない自由なレイアウトをこれからもつくっていきたいと話した。
(TSKさんいん中央テレビ)