イカの“墨”は、イカが捕食者から逃げるときに吐くイメージがある。しかし「エゾハリイカ」のオスは、メスに求愛する時にも使っていることが分かった。
東京大学大学院の大学院生・中山新さんと大気海洋研究所の岩田容子准教授、青森県営浅虫水族館らによる研究グループは、コウイカの一種、エゾハリイカのオスが求愛する時に“イカ墨”を使って自分の背景を操作することで、求愛ディスプレイ(交尾を受け入れてもらえるように、相手に特定の姿勢・動き・音などを示す儀式的な行動)を視覚的に際立たせていることを明らかにした。
研究グループが、エゾハリイカの求愛行動を、浅虫水族館において世界で初めて詳細に観察した結果、オスはメスの背中を長い腕で撫でたり、小さな墨の塊を吐いたりを規則的に繰り返す、繊細な求愛行動を長時間にわたり行うことが分かった。

さらに求愛のクライマックスには、求愛ディスプレイを行う場所の背景に広く墨を吐き、白く輝く体色で体全体を伸ばす求愛ディスプレイを行うことが明らかになった。
この行動について研究グループは「墨は周辺環境を暗くし背景を均一にすることから、ディスプレイを目立たせる効果があると考えられます」としている。
“イカ墨”を使ったこの行動を「求愛行動」と判断した理由は何なのか? また、墨を使った求愛行動をするイカは過去に報告されているのか?
東京大学大気海洋研究所の岩田容子准教授に聞いた。
イカの求愛行動は種によって様々
――そもそもイカの求愛行動は種類によって違う?
種によって、様々に異なります。ただし、求愛行動が詳しく観察されている種は沿岸性の一部の種に限られており、分かっていない種も多いです。
――エゾハリイカについて分かっていることは?
日本沿岸の広く生息する種ですが、水深50メートル程と、やや深場に生息すること、小型(胴体の部分が12センチ程度)で基本的に漁業対象として利用されていないことから、基本的な生態はほとんど分かっていません。
――エゾハリイカのオスは、墨をどのように使って求愛行動を行う?
墨の使い方は大きく分けて2つあります。
(1)求愛行動の途中で、オスが腕でメスの背中を撫でる行動をとりますが、その時は粘性が高く、小さな塊で漂う墨を吐きます。
この墨は通常捕食者に襲われた時にも使う、自身の影武者(デコイ)となるような性質の墨です。
コウイカ類は第一の防御行動として、海底でじっとカモフラージュすることが知られているので、この墨吐きには、メスが海底にじっとする行動を促す効果があるのではないかと考えています。
(2)一連の求愛行動のクライマックスに、粘性が低く拡散する墨を、メスから見てオスの背景となる場所に大量に吐きます。
その墨を背景に、オスは白く輝く体色で、腕と全身を伸ばす求愛ディスプレイを行います。この墨には、背景を均一にし、暗くすることで、求愛ディスプレイ時のオスの体色を際立たせていると考えています。

――墨を使ったこの行動を「求愛行動」と判断した理由は?
複数のオスで繰り返し、観察されること、一連の行動が毎回決まった順番で行われる“儀式的”な行動であること、ディスプレイの直後に交接(頭足類での交尾)が観察されたことから、「求愛行動」と判断しました。
イカ・タコ全てで初めての例
――墨を使ったエゾハリイカの「求愛行動」をどのように受け止めた?
求愛行動で墨を使う例はこれまで報告がなかったので、非常に興味深いと感じました。
初めて見た時から体色を引き立てる効果があるのだろうとは直感的に考えましたが、それを研究結果として示す、まとまったデータを集めるのは非常に大変で、大学院生の中山新くんの粘り強い観察によって、今回、発表することができました。
――墨を使った求愛行動をするイカは過去に報告されている?
求愛に墨を使うことは、イカ・タコ全てで初めての例になります。
――今回の発見は、どのようなことに役に立つ?
今回、観察された「元々は捕食者からの回避に使うために進化してきた“墨”という形質を繁殖行動に転用する」という現象は、繁殖行動のための形質をゼロから進化させるよりも、迅速な進化を導く可能性が考えられます。
動物のコミュニケーションに用いられるシグナルの進化プロセスとして、新しい例を示すことができたと考えています。

オスがメスに求愛する時に墨を使うことが明らかになったエゾハリイカ。基本的な生態はほとんど分かっていないようなので、今後さらなる研究で詳しい生態が明らかになることを期待したい。