約30年にわたり、チーム大分の選手として国体に出場し続けた大分県杵築市の男性が去年、第一線から引退した。周りから“レジェンド”とも呼ばれる黒石勇次さん、39年に及ぶ競技生活の原動力とは…
ウインドサーフィンの“レジェンド”
海の上で風向きを読みながら風の力だけで進むセーリング競技。
サーフボードに付けた帆=セールを操る種目を「ウインドサーフィン」という。
3月、杵築市の住吉浜で開かれた大学生の大会には県の内外から約80人が出場。
審判のサポート役として大会に携わっている杵築市の黒石勇次さん58歳。
ウインドサーフィンを始めて約40年、日ごろ、この学生たちと練習しているベテランだ。

「いつも一緒に練習している仲間が頑張っている姿を見て非常にうれしく思ったし元気をもらった」(黒石勇次さん)
挫折の連続…悔し涙の方が何十倍も
19歳の頃、当時住んでいた和歌山県で会社の先輩に誘われて競技を始めた黒岩さん。
「最初は乗れなくて何回も落ちて風邪を引いてしまった」と当時を笑顔で振り返る。
1988年に地元にUターンし、1994年からチーム大分の選手として国体に出場し続ける。“レジェンド”と称されるが、去年の鹿児島国体を最後に国体出場の第一線から引退。
最後は3位で有終の美を飾った。

「1年を通してトレーニングもそうだが、いろんな環境を作っていかなければいけないが、自分の満足いく状態を作るのが難しくなってきた。挫折の連続。長年やっているがうれし涙も流したが悔し涙の方が何十倍も流している」と話す黒岩さん。
郵便局の局長という顔も
北杵築郵便局の局長という顔も持つ黒石さん。
国体選手を続ける中で、仕事と競技の両立や体力的な問題など苦しいことも多かったと振り返る。それでも、家族の支えや周りの人からの応援、そして悔しい思いの積み重ねが第一線でやり続ける力になった。

10年前の長崎国体で5位入賞を果たした際には、常に持っているという家族の写真を見せてくれ「泣いてしまうんですよ。家族に(表彰状)見せたい。妻と2人子供がいる。ありがたい」と話していた。
いつも黒石さんの胸にあるのは“感謝の気持ち”。自分が魅了され続けた競技で恩返しができればと考えている。
人生を捧げてきたウインドサーフィン
現在は週に1回の練習の中、一緒に海に出る大分大学の選手に長年の知識や経験を伝えている。
学生たちからは「自分の経験から、どうやったら速くなるか、どうやってうまくスタートするべきかとかが具体的にうまく伝わってとてもわかりやすい」「いつも声をかけてくれるので、これからもアドバイスとかもらいながら練習させてほしい」などといった声が聞かれた。
最後に、黒石さんにとって人生を捧げてきたウインドサーフィンについて聞いた。
「黒石勇次そのものって感じ(笑)これまでの人生すべてがウィンドサーフィンだったと思う。ウインドサーフィンの楽しさを伝えていきたいと思うし、チーム大分の選手ではなくなるがサポーターとしてバックアップしていきたい」(黒石勇次さん)

(テレビ大分)