東日本大震災の津波で両親を失い、2024年1月に二十歳のつどいに出席した岩手・陸前高田市出身の男性の13年。
親代わりとして育ててくれた祖母、支えてくれた人への感謝を胸に未来への歩みを進めている。

感謝を胸に二十歳のつどいへ

2024年3月、二十歳を迎える及川晴翔さん(19)は、地元・陸前高田市で1月に行われた二十歳のつどいに袴姿で出席した。

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及川晴翔さん:
心も引き締まってますし、腹も引き締まってるけど、着られてよかった。

晴翔さんは、これまで自分を支えてくれた人たちへの感謝の思いで、この日を迎えていた。

両親を失った少年の成長物語

父・徳久さんと母・昇子さん
父・徳久さんと母・昇子さん

晴翔さんの父・徳久さん(震災当時39歳)と母・昇子さん(震災当時39歳)は、東日本大震災の津波に飲まれ亡くなった。

震災の直後は両親が行方不明だったにも関わらず、晴翔さん(当時6歳)は兄の佳紀さん(当時9歳)とともに、小さな手で避難所の手伝いに励んでいた。

避難所の手伝いをする兄弟
避難所の手伝いをする兄弟

兄・及川佳紀さん(当時9歳):
晴翔、あっちの手伝い終わった?

及川晴翔さん(当時6歳):
うん、終わった。

共に避難した母方の祖母・五百子さん(当時68歳)は、「よく頑張っているからよろしいです。まだ本人もお母さんとお父さんの顔を見ていないから…すみません(涙)」と健気な2人を大切に見守っていた。

避難所に笑顔を振りまく2人。この表情の裏には切実な願いが隠されていたのだ。

兄・及川佳紀さん(当時9歳):
(両親は)来てくれると思う、頑張っていたら。

「目立っていればお父さんとお母さんが見つけてくれる」そう信じて2人は明るく振る舞い続けたが、両親が迎えに来ることはなかった。

やんちゃでみんなのアイドルだった晴翔さん。
避難所に身を寄せている人たちも「私たちの癒しになっている。3食を自分たちで作っているけど、(晴翔さんが)配膳とかやってくれて、頑張っています」と2人を我が子のように可愛がっていた。

有名力士が慰問に訪れたときは、夢中になっている兄・佳紀さんをよそに、「(Q. 見た?お相撲さん)うん。(Q. いいの?行かなくて。)だって相撲興味ないもーん」と、晴翔さんは我が道を行くマイペースな子だった。

それから2年後…晴翔さんは8歳に。仮設住宅を訪ねると、“かわいいいたずらっ子”になっていた。

カメラを手でふさごうとしている晴翔さん
カメラを手でふさごうとしている晴翔さん

「おい!撮ってんじゃねえ!」と言ってカメラを手でふさぐ晴翔さん。岩手めんこいテレビもまた、晴翔さんの成長をカメラを通して見つめてきた。

地元の七夕祭りで両親の面影を追う

震災から10年(2021年8月)、地元の高校へ進学し、すっかり大人びた晴翔さんは、地元の七夕まつりへ本格的に参加するようになっていた。

山車を押している晴翔さん(当時17歳)
山車を押している晴翔さん(当時17歳)

及川晴翔さん(当時17歳):
七夕祭りをやらないと夏が始まらない(笑)

写真中央で太鼓をたたいているのが父・徳久さん
写真中央で太鼓をたたいているのが父・徳久さん

お祭り好きで威勢よく太鼓をたたいていた父の姿と、手を引いて祭りに連れて行ってくれた母の面影が、記憶にしっかりと残っていたからだ。

この大石七夕祭組の会長・斉藤正彦さんも晴翔さんの成長を見つめてきた1人だ。

大石七夕祭組・斉藤正彦会長:
(晴翔さんは)頼もしくなってきている。あの子たちが大きくなるまで、なんとか俺も頑張ってバトンタッチできれば安泰だと思う。

及川晴翔さん(当時17歳):
楽しかったです。小さいころに憧れていたお父さんがたたいていた姿と同じようにできて、すごくうれしい。

七夕祭りを通して晴翔さんは地域の人にも育てられていた。

祖母との別れと新たな一歩

そして、晴翔さんに誰よりも愛情を注いだのは祖母の五百子さんだ。震災後は親代わりとなって2度目の子育て。

兄の佳紀さんが仙台の専門学校に進学してからは、少し広くなった災害公営住宅で晴翔さんと2人で暮らしていた。

晴翔さんが進学先の仙台に引っ越す前日、五百子さんは晴翔さんが大好きなカレーライスを夕食に作った。

及川晴翔さん(当時17歳):
優しい味がする。俺の中だとずっとこのカレーなので。カレーといったらこの味。

しばらくは食べられなくなる五百子さんのカレーをしっかりと味わった。

災害公営住宅から晴翔さんを見送る祖母・五百子さん
災害公営住宅から晴翔さんを見送る祖母・五百子さん

そして翌朝。晴翔さんが五百子さんのもとを離れるときが来た。
走り出す車の中から手を振る晴翔さんを、五百子さんが災害公営住宅の2階通路から「気をつけてね…」と手を振って見送った。

陸前高田市の発展につなげたいという思いから、晴翔さんは大学では主に「地域学」を学んでいる。講義の内容は地元の課題に置き換えて考えを巡らせている。

及川晴翔さん(当時18歳):
バリアフリーの講義で車いすの人のためにスロープをつけるとか「陸前高田ってそういうの少ないな」と思った。

テニスのサークルに入り親友もできた。大学の友人たちには人柄が評判のようだ。

晴翔さんの友人・田原慧斗さん:
これ以上ないくらい優しいので、みんなから愛されていると感じる。もう大好きですよ。

苦手だった自炊もできるようになり、いつしか1人暮らしにも慣れてきた晴翔さんだったが、それでも気にかけているのは五百子さんの存在だった。

及川晴翔さん(当時18歳):
あっちも年なので年齢からくる体調の変化とか、1人になって寂しくしていないか、たまに電話をして確認している。

二十歳の集いで感謝と決意を語る

五百子さんのもとを離れ2年が経った。
そして2024年1月、晴翔さんが二十歳のつどいに出席するため帰省した。晴翔さんが帰ってくると五百子さんはとてもうれしそうだ。

晴翔さん「明日で私、成人式(二十歳のつどい)ですよ」
五百子さん「おめでとう」
晴翔さん「ばあさんのおかげです」
五百子さん「…(涙)」
晴翔さん「たくさん迷惑かけてきたけど、いつもありがとうね。稼ぐようになったら何か買ってやるから」

13年分の感謝の言葉だった。

2024年1月7日、迎えた二十歳の集い。
避難所を駆け回るあどけなかったあの晴翔さんが立派な青年になった。

五百子さんにも凛々しい晴れ姿を見せることができた。

及川晴翔さん:
良かったと思う、立派な姿が見せられて。

祖母・五百子さん:
皆さんのおかげで助けてもらって、立派な成人式(二十歳のつどい)を迎えることができました(涙)ごめんなさい(涙)

将来、地元の魅力を発信する仕事に就きたいという晴翔さんは、これまで支えてくれた人たちへの感謝を口にした。

及川晴翔さん:
何かしらの形で地元貢献できたらいいのかなと思いますし、ちゃんとしていたら支援してくれた方々への恩返しとして、「頑張っている」という姿を見せて安心させることができると思う。「両親はどちらも「おめでとう」と「立派に育ってくれてありがとう」と言ってくれると思う。

両親を亡くしながらも多くの人に支えられて、たくさんの愛情を受け生きてきた13年。
やさしく、まっすぐに育った青年が、今、明るく照らされた未来へと歩みを進めている。

(岩手めんこいテレビ)

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