ウクライナ侵攻から2年。 関西が「もう一つのふるさと」であるウクライナ人・ボグダンさんがウクライナから来日しました。
■【動画】侵攻から2年…戦時下のウクライナからボグダンさん来日 日本の支援者に現地の真実伝える
関西テレビ「newsランナー」で、これまで何度も中継で話を聞いてきたボグダン・パルホメンコさんが、侵攻後初めてウクライナを出て、日本を訪れた。戦争が日常になったウクライナから、平和な日本へ。なじみのある大阪の神社を訪れ、思わず涙があふれ…
■“もう一つのふるさと” 5年ぶりの大阪

ウクライナからポーランドを経由し、5年ぶりに大阪にやってきたボグダン・パルホメンコさん(38歳)。
記者:ようやく会えました。
ボグダン・パルホメンコさん:2年ぶり、というか初めてですね。
記者:疲れてないですか?
ボグダン・パルホメンコさん:今まで睡眠薬を飲んでも眠れなかったけど、日本についた途端、心のモヤモヤみたいなものが取れたのか、すごく安心感があります。
5年ぶりの大阪の街に…
ボグダン・パルホメンコさん:すごいですね、(建物が)全部高い。昔よくここを自転車で走っていました。
母親の仕事の関係で、4歳から中学卒業までの12年間を神戸と大阪で過ごしたボグダンさんにとって、関西はもう一つのふるさとだ。
ボグダン・パルホメンコさん:うわ、懐かしい。『クリスタ長堀』とか夏場は涼しいでしょ。台風の時、外に出たらだめじゃないですか、ママが出たらあかんよというから、クリスタ長堀で遊んでいたんですよ。だって下(地下街)は安全でしょ。
次々と飛び出す大阪ローカルのフレーズ。童心に返ったようで、会話も弾む。
ボグダン・パルホメンコさん:本当、こういうバカな話ができないんですよ、ウクライナでは。これがどれだけ幸せかっていう。
■ボグダンさんの2年間…「誰にも経験してほしくない」

2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻。
ボグダン・パルホメンコさん(2022年2月 キーウ市内):夜中はもちろん銃声も聞こえたし、爆弾が爆発するような音もありました
日本で暮らしたことがある自分なら正確な発信ができると、軍事侵攻が始まってから毎日のように私たちの番組に現地からの中継で出演してくれたボグダンさん。 その後、日本向けのSNSを作り、ウクライナの日常を発信し続けてきた。
共感した日本の人たちからたくさんの寄付が寄せられ、家族や友人と一緒に市民や前線の兵士に物資を届けた。 しかし、戦争の終わりは見えない。
今年2月、ボグダンさんが住むウクライナの首都・キーウでは、ミサイルの破片が集合住宅を直撃して4人が死亡。さらにボグダンさんが日本に到着した頃、ウクライナ東部の重要な拠点だった街をロシア軍に制圧され、ウクライナ軍が撤退。戦況は厳しさを増している。
■お参りした神社で思わずあふれた涙

「難波神社でお参りをしたい」。大阪にいた時によく訪れていた場所だという。お参りを終えたボグダンさんは、思わずあふれた涙を拭った。
ボグダン・パルホメンコさん:自分が生きて戻って来られるとは思わなかった。当たり前に生きていますけど、当たり前じゃないから。死んだ人がいっぱいいるし、これからどれだけの人が死ぬかも分からないし。やっぱり感情をセーブしていますけど、本当にギリギリのところで、神さまに残されたなっていう感じですよ。誰にも経験してほしくない。21世紀で戦争なんか、絶対だめ。
戦争が日常になったウクライナ。2年間戦い続けてきたボグダンさんの心が、折れそうになっていた。
ボグダン・パルホメンコさん:今月でウクライナの地対空ミサイルの数がなくなってしまうんですよ。迎撃率が今もう半分まで下がってしまって、来月はもう迎撃できない。だから…本当どうなるの?っていう。迎撃しても破片が落ちてきて人が亡くなる。死ぬ。家がなくなる。迎撃できなかったらもう…生活できないです。
一番僕の中で悲しいことは、2年間がむしゃらに頑張ってきたけど、現実的にどうしたらいいのか分からないタイミングになってきた。やったところで戦争が終わらないとやっていることの意味がないんですよね。ちょっとなんかもう、疲れちゃいましたね。

記者:言葉が出ないです。
ボグダン・パルホメンコさん:ないんですよ、答えが。ないから、どれだけ考えても、どれだけ言っても、無理なんですよ。
■支援者たちとのオフ会 “心の支え”になったのは

ボグダンさんが大阪市内にあるカフェを訪れた。今回の来日の大きな目的の一つが、SNSを通じて支援してくれた人たちに会うことだ。
支援者:こんにちは。奈良から来ました。最近電気ベストを送ったんです。あとはマルガネツクの孤児院に子供服を届けていただいたんですけど。

その様子は、ボグダンさんのYouTubeで配信されていた。さまざまなサイズの下着などが詰まった段ボール。2023年11月、寄付された服や下着などが、避難した子どもたちが暮らす施設に届けられた。
ボグダン・パルホメンコさん:孤児院も洋服が足りないとおっしゃっていたので、皆さんの思いを届けられてうれしい。本当に人のためになっています。

今回の来日についてSNSで告知したのは3日前だったが、会場に入りきらないほどの100人近い人たちが集まった。
支援者:大阪の淀川区から来ました。息子がずっと2年間支援をしていて…。ちょっと痩せられたので、すごく心配しています。お肉をしっかり食べて、大阪のおいしいものを食べていただいて、元気で帰っていただけたらすごくうれしいです。
支援者:どんなことがあっても、最悪何があっても、日本に来たらいいんですから。貪欲に生き抜いて。
ボグダン・パルホメンコさん:どれだけのことを言っても伝えられない感謝を、皆さまに対して持っています。僕らが2年間、心を折らずにがんばって来られたのは皆さまからのサポートがずっと続いているからです。
戦時下のウクライナから出国することも、通常は難しい。しかし、この2年間の活動が政府に認められたボグダンさんは、ウクライナの現状を伝えるために日本に来ることができた。

日本のコンビニで買ったおにぎりとパンを食べて「実家に戻った感覚」と、笑顔で話したボグダンさん。 安心して過ごせる“普通の日常”を、一刻も早く取り戻せる日が来ることを切実に願っている。
(関西テレビ「newsランナー」2024年2月22日放送)