令和六年能登半島地震から二ヶ月近く経ちましたが、天皇皇后両陛下は3月下旬に現地を訪問することで調整されていることがわかりました。

能登半島は地震で大きな被害を受けた
能登半島は地震で大きな被害を受けた
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天皇皇后両陛下は、関係者からいろいろ話を聞きながら、現状の把握に務められてきました。

そして、被災地に負担をかけないように、お見舞いに行くタイミングを、慎重に探られてきたのです。

実は、地震で大きな被害を受けた能登半島には、両陛下ともたくさんの思い出をお持ちです。

陛下は皇太子時代5回能登地方に

天皇陛下は、皇太子時代に5回能登地方を訪問されています。

最初に皇太子として能登地方を訪れたのは、1994年9月で、「全国育樹祭」へのご出席のため石川県を訪問されたときのことでした。

その際、押水羽咋海岸を散策したほか、七尾市の老舗旅館・加賀屋に宿泊し、翌日は障害者支援施設の青山彩光苑を訪問されています。

このご公務には、結婚して約1年となる皇太子妃だった雅子さまもご一緒で、海岸を散策されました。

「第9回日本アグーナリー」出席のため珠洲市へ 2003年8月
「第9回日本アグーナリー」出席のため珠洲市へ 2003年8月

2003年は、「第9回日本アグーナリー」にご出席のため、珠洲市を訪問されています。

日本アグーナリーは、障害があるスカウトが、海外を含めたくさんのスカウト一緒にキャンプ生活を通じて交流を持ち、明るい希望を持って社会生活に参加することを目的に4年に一回開かれているものです。

「第9回日本アグーナリー」出席のため珠洲市へ 2003年8月
「第9回日本アグーナリー」出席のため珠洲市へ 2003年8月

珠洲市のりふれっしゅ村鉢ヶ崎で開かれた「石川の夕べ」開会式では、「日本各地から参加された多くのスカウト・指導者の皆さんと共に、能登空港が開港した能登・珠洲の地で開かれる、第9回日本アグーナリー「石川の夕べ」に参加できることを、うれしく思います」とお言葉を述べられています。

能登空港に到着 2003年8月
能登空港に到着 2003年8月

開港して1ヶ月経たない中で、皇太子さまは能登空港を利用されたのです。

また、七尾市にある「能登中島祭り会館」を訪問し、大きな旗が林立する「お熊甲祭り」の踊りの実演などをご覧になっています。

能登地方には、たくさんのお祭りが伝承されています。

そのうちの一つ、天狗の面を付けた猿田彦を先頭に、大きな旗が続く伝統的なお祭りにも触れられたのです。

陛下が飲んだ日本酒の酒蔵も倒壊

2013年に能登地方を訪れたのは、「全国農業担い手サミット」に出席されるためでした。

このとき最初に訪れたのは「春蘭の里」という、里山の景観や伝統的な農法を保存し継承しながら、地域活性化を目指している農家民宿群です。

能登中島祭り会館を視察 2013年
能登中島祭り会館を視察 2013年

農業民宿「春蘭の宿」で、ご主人の多田喜一郎さんなどから、高齢化する集落をなんとか農村として再生していけないか、という説明を受けられたといいます。

高齢化に過疎化という能登半島の抱える問題をお聞きになられていたのです。

この日の夜、七尾市の加賀屋で全国農業担い手サミットの中央交流会が開かれました。

このとき、乾杯に使われたのが輪島市にある酒蔵「中島酒造」のお酒でした。

全国農業担い手サミットの中央交流会 2013年10月
全国農業担い手サミットの中央交流会 2013年10月

「中島酒造」は2007年に能登半島で発生したマグニチュード6.9の地震で大きな被害を受けた酒蔵で、知事から「地震から復興し、ここまでお酒が造れるようになりました」と説明を受けられていたそうです。この中島酒造は今回の地震で、再び店舗や家屋の大部分が倒壊するという、大きな被害を受けました。

倒壊した中島酒造の建物 2024年1月
倒壊した中島酒造の建物 2024年1月

能登は酒造りでも有名な場所です。

酒造りの専門的な技術を持ち最高責任者である「杜氏(とじ)」を排出している地域です。「能登杜氏(とじ)」によるお酒は、濃厚で華やかとも言われています。

これまでの地震でも大きな被害を受けるたびに、皆さんの努力で復興し酒造りは続いてきています。陛下も、その味とともに苦労をよくご存じなのです。

能登に伝わる伝統文化に、実は陛下は浩宮さま時代から触れられています。

1986年5月、浩宮さまは「第70回高校相撲金沢大会」のため石川県を訪問し、能登地方へも立ち寄られています。

輪島漆芸技術研修所を視察された 1986年
輪島漆芸技術研修所を視察された 1986年

その際、ご覧になったのが人間国宝の技術伝承者を育成することなどを目的に作られた「輪島漆芸技術研修所」で、ここで、蒔絵や沈金の制作過程などを見学されています。

また、能登を代表する夏祭りで使われるキリコと呼ばれる御神燈をご覧に。26歳の陛下は、能登の伝統文化に深く触れられているのです。

そして、直近で能登の土地を訪問されたのが2018年のことでした。

「日本スカウトジャンボリー」と地方事情ご視察でした。

ボーイスカウト大会で2度能登へ

実は、2006年も当時は「日本ジャンボリー」と呼ばれた大会のため珠洲市などを訪問されています。

珠洲市で開催された日本スカウトジャンボリーにご出席 2006年
珠洲市で開催された日本スカウトジャンボリーにご出席 2006年

このときは、中能登町の障害者支援施設「つばさ」を訪問したほか、能登町の「のと海洋ふれあいセンター」へも足を運び、貝殻で壁飾りを作ったりスノーケリングを楽しむ子どもたちと触れ合われています。

今回の地震で、展示物が落下したほか、探索路に被害が出たことから、2月現在は休館しているということです。

4年に一度開かれる日本スカウトジャンボリー。

ボーイスカウトの国内最大の行事で、世界から十数カ国も参加する大会です。

陛下は1978年の第7回の東富士演習場で行われた大会にご家族で参加し、第8回の宮城県白石蔵王で行われた大会では、キャンプして1泊されています。その後も即位するまで、大会に参加されてきました。

珠洲市で行われた日本スカウトジャンボリーにご出席 2018年
珠洲市で行われた日本スカウトジャンボリーにご出席 2018年

2018年の大会は、珠洲市りふれっしゅ村鉢ヶ崎で行われ、陛下は「ここ能登の地は、長い時間を掛けて自然と調和した人の営みが造り上げた里山里海を有しています。能登の豊かな自然と文化に触れながら、多くの活動に参加し、貴重な思い出を作ってください」とお言葉を述べられました。

そして珠洲市の「日本の渚100選」にも選ばれた鉢ヶ崎海水浴場を望むように建てられたリゾートホテルに宿泊されました。このホテルは2月現在、営業続行が不可能と言うことで休業中です。

宮内庁東宮職の池田行幸主務官 2018年8月
宮内庁東宮職の池田行幸主務官 2018年8月

この日の夜、陛下のご訪問1日目のご感想が、宮内庁東宮職の池田行幸主務官から披露されました。

その中で触れられたのが、40年以上前に訪問されたお話でした。

高校時代に能登を訪問されていた陛下 焼けた輪島朝市にも

陛下の感想を引用すると、「あしたは、輪島地方に向かい、私が高校生の時にバスの車窓から眺めた白米千枚田やそのときに訪れた塩田を再訪するのを楽しみにしています」というものでした。

1975年(昭和50年)8月に学習院高等科の時に所属していた地理研の研修旅行で能登地方を訪問されていたのです。陛下、高校一年生15歳の時のことです。

この研修旅行は、日本の自然や風土がそこに住む人とどう関わっているのか、自分たちの目で確かめ調べてくる目的で行われ、学校の文化祭でも、その内容を発表しようというものです。

このときは、2泊3日の予定で、東海道新幹線で米原に行き、そこから金沢へ入られたそうで、初日には兼六園や九谷焼の窯元などを見学されています。

九谷焼の窯元を見学された当時15歳の陛下 1975年
九谷焼の窯元を見学された当時15歳の陛下 1975年

翌日は、貸し切りバスを使い能登地方へと向かわれます。

内灘砂丘などを見た後、羽咋市では千里浜なぎさドライブウェイや前田家ゆかりの古刹、妙成寺、さらには輪島港を訪れています。

輪島港を訪問された陛下 1975年
輪島港を訪問された陛下 1975年

陛下は、輪島では、朝市や夕市にも行き、お土産を買われたといいます。

今回の地震により、朝市通りは大きな被害を受けています。

1月2日に撮影された輪島朝市があった地域
1月2日に撮影された輪島朝市があった地域

ここにも陛下は思い出をお持ちなのです。

青春時代に目にした能登の夕日

そして、最終日には、2018年の感想で触れられた、白米千枚田と角花家の塩田を訪問されているのです。

珠洲市にある角花家の塩田では日本で唯一残っている「揚浜式の製塩」が行われています。

塩田にくみ上げた海水をまき、塩のついた砂を集め、塩と砂を分離する作業をして塩を作っていきます。

潮撒きの実演を視察された 珠洲市 2018年8月
潮撒きの実演を視察された 珠洲市 2018年8月

陛下は40年ぶりに訪れた塩田で、角花家五代目の角花豊さんによる潮撒きの実演をご覧になりました。

説明を受けた六代目の洋さんに、海水をまく桶「おちょけ」の形や四方の隅まで均等に海水を撒く技術などについて質問されたと言うことです。

そして、40年前にご覧になったときに、四代目の菊太郎さんに説明を受けたこと、さらにそのときの実演も五代目豊さんだったことを明かされています。

40年ぶりに再会した豊さんは、「40年くらい前、高校生の時に同級生たちといたしたことがあり、皇太子さまも覚えていて、私の顔を見てお元気ですか」と。

さらに陛下から「体も熱くなりますから、体を大事にして作業をやってください」「いつまでも長く続けるようにやってください」と声をかけられたといいます。

輪島市の白米千枚田を訪問された 2018年8月
輪島市の白米千枚田を訪問された 2018年8月

白米千枚田では、お供から40年前の写真を受け取り、実際の風景と見比べ「懐かしい」とおっしゃられていました。そして、今回も写真を撮られていました。

40年前の思い出を大切にされている天皇陛下。

研究旅行の思い出は、その年の宮内庁の職員文化祭での一枚の写真にも残されています。

実はこの高校生の旅行で、陛下は日本海を初めてご覧になったそうです。

陛下が撮影した「能登の落日」 1975年8月
陛下が撮影した「能登の落日」 1975年8月

「能登の落日」珠洲市から金沢へと戻る際、日本海に沈む夕焼けを撮影された作品でした。

この日、夜行列車で東京まで戻られた陛下。

高校一年という青春まっただ中の思い出は、能登の各地に散らばっているのです。

頭に蝶々が…皇后さまも能登に思い出

皇后さまが陛下と能登を訪問されたのは、1994年だけですが、ご成婚前にはやはり能登を回られたことがあるそうです。

また、能登ではありませんが、1998年にお二人で全国農業交歓大会のため金沢市を訪問された際、鶴来町の昆虫館に立ち寄り、皆さんもよく目にする、雅子さまの頭に蝶々が止まる映像が撮影されました。

皇后さまの髪に蝶が… 白山市(当時鶴来町) 1998年
皇后さまの髪に蝶が… 白山市(当時鶴来町) 1998年

皇后さまにとってもたくさんの思い出があるのが石川県です。

こうした思い出の詰まった石川、能登に、両陛下はお見舞いに行きたいと強く思っていらっしゃいます。

ただ、今は交通の便が悪く、たとえヘリコプターで現地を訪れても、警備や関係者により渋滞が起きてしまうこと。

また、水などのライフラインが復旧しておらず、避難している人たちの生活が落ち着かないこと、などなどを考えると、すぐには現地へと行けないことを両陛下はよく理解されています。

宮内庁提供
宮内庁提供

そうした状況は、侍従を含め周辺の方々からよく話を聞かれています。両陛下は、慎重にタイミングを計った上で、3月下旬に高校時代からの思い出の詰まった能登地方へ訪問する方向で調整が行われています。

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橋本寿史
橋本寿史

フジテレビ報道局解説委員。
1983年にフジテレビに入社。最初に担当した番組は「3時のあなた」。
1999年に宮内庁担当となり、上皇ご夫妻(当時の天皇皇后両陛下)のオランダご訪問、
香淳皇后崩御、敬宮愛子さまご誕生などを取材。