信州を愛し、信州に愛された小澤征爾さん。2月6日、心不全のため亡くなった。長野県松本市に市民参加の音楽の祭典を根づかせ、多くの県民を魅了し続けた小澤さんの情熱、そして人柄を振り返る。

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理想の音楽祭を求めて…

小澤さんが追い求めていた理想の音楽祭。それがSKF、サイトウ・キネン・フェスティバル。

小澤征爾さん(1992年):
「松本の人が、街の人が、自分たちのところでやってるフェスティバルだと。長く続くね、細くて長く続くのを何とかしようと。僕も長生きして、なるべく長くやろうと思ってるんです」

初開催を前にNBSの番組に出演した小澤征爾さん。恩師の名を冠した「理想の音楽祭を」と、開催地を探す中で、松本を選んだのは、自然豊かな地であること、バイオリン教育で知られるスズキ・メソードの本拠地であること、そして、県がホールを建設中だったことが重なってのことだった。

左は吉村午良知事(1992年)
左は吉村午良知事(1992年)
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SKFは1992年から「開かれた音楽祭」

1992年9月、ついにSKFが開幕。天皇・皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻)も鑑賞された。

SKFは一流の演奏家が集まる音楽祭でありながら、当初から市民に開かれたものだった。

初回のSKF(1992年)
初回のSKF(1992年)

43万人の子どもたちが鑑賞

こちらはプログラムの一つ、「子どものための音楽会」。小中学生をオーケストラやオペラに招待した。

鑑賞した児童は、「楽器の音色がみんなきれいでよかった」と心を動かされた。

鑑賞した子どもたちは実に43万人を超える。

小澤征爾さん:
「やっぱり若い、子どもたちに聞かせると大人になってまるで違うから。子どもたちにはぜひ練習風景とか教えられる人がたくさんいますから」

子どものための音楽会(1995年)
子どものための音楽会(1995年)

市民合唱団が同じステージに

市民合唱団も舞台に立った。2013年のオペラ「子どもと魔法」は、後に収録したアルバムが「グラミー賞」を受賞。多くの市民が合唱で参加している。

市民合唱団で活動している草間謙一郎さんは、「最高の水準の音楽に、素人が出させてもらって、音楽の技術そのものではなく、それ以上のものを教えてもらったような気がします」と話す。

20年以上、市民合唱団で活動してきた草間謙一郎さん。小澤さんが常々、口にしたり、書いて楽屋に貼ったりしてくれた言葉があったと言う。

「トイトイトイ」。ドイツ語で「大丈夫」「うまくいくよ」。小澤さんの魔法のおまじないだ。

草間さんは、「破天荒であったのかもしれないですけど、自信と熱意と子どものような情熱があったんで、私もどんな形であれ、音楽を楽しみたいなと思います」と、誓った。

オペラ「子どもと魔法」のリハーサル(2013年)
オペラ「子どもと魔法」のリハーサル(2013年)

運営支えたボランティア 

松本にSKFが根付く大きな要因となったのが、運営を支えてきた多くのボランティア。長くまとめ役をしてきた青山織人さんは、小澤さんの思いと人柄があってのものだと話す。

松本市文化芸術振興財団の青山織人理事長は、「音楽祭をこの街に定着させるという強い思いがあったと思います。お客さんを迎えるのに、ボランティアでいいのかという議論がありますよね。そこが小澤さんなりの理解と思いがあったんじゃないか。『街の人と一緒にやるぞ』っていう、小澤さんは考えたから、われわれもできた」と振り返る。

恒例のそばパーティーは交流の場に。

小澤征爾さん:
「最高、気持ちが伝わってきますから」

小澤さんは大のそば好きだった(2014年)
小澤さんは大のそば好きだった(2014年)

松本市文化芸術振興財団の青山織人理事長は、「気さくなキャラだから、ボランティアに平気で声かけるし、そういうキャラがあったから、みんなものっていった。スタッフシャツを着てるんですよね、小澤さんも着てるんですよ。オーケストラのメンバーも着てるんですよ。自分たちがやってるんだ、街の人たちも一緒にやってるんだと」と、小澤さんの人柄について語った。

小澤さんやオーケストラのメンバーもスタッフシャツを着用
小澤さんやオーケストラのメンバーもスタッフシャツを着用

SKFによって人生が変わる人も

小澤さんのSKFによって人生が変わった人もいる。

そば店を営む浅田泰一さん(74)。もともとはホテルマンで出演者の宿泊を担当していたが、小澤さんの好きなそばでSKFを盛り上げたいと一念発起。45歳で店を開いた。

それを聞きつけ、小澤さんは何度も店に足を運んだ。

浅田さんは、「並んで待ってるんですよ、ちょっと申し訳なくて。それでも、そば好きだったからね、待たれても食べましたよ。小澤さんの遺志を引き継いで、音楽祭を続けられればね。松本市民が全員で続けられるように努力しなければいけないと思っています」と、涙をぬぐいながら、話してくれた。

そば店を営む浅田泰一さん
そば店を営む浅田泰一さん

情熱衰えず「ぼく、指揮したい」

SKFは2015年からOMF、セイジ・オザワ松本フェスティバルへ。

小澤征爾さん(2016年):
「運命の女神が微笑んで、ここ(松本)がぴったりだった。長野県の人、松本の人、(涙ぐみ、なかなか声にならない)人柄が素晴しい」

小澤さんは体調を崩しがちになり、タクトを振れない年が増えていったが、情熱は衰えなかった。

小澤征爾さんの会見(2019年):
「ぼく、指揮したいですよ。だから指揮させてください」

そして、2022年、3年ぶりにステージに。車いすから手を振る小澤さんに会場はスタンディングオベーション。

3年ぶりのステージ(2022年)
3年ぶりのステージ(2022年)

小澤さんが根付かせたもの…これからも

OMFは今年も8月末からの開催が予定されている。

青山さんは、小澤さん亡きあとも「音楽を楽しむ文化は松本から消えない」と断言する。

献花台の遺影
献花台の遺影

松本市文化芸術振興財団の青山織人理事長は、「あれだけの時間と力を尽くした、小澤さんが。なくなるわけないですよ。30年という時間と小澤さんの持つ力が合わさって、そんな簡単につぶれないですよ」と、力強く話してくれた。

献花する青山織人さん
献花する青山織人さん

(長野放送)

長野放送
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