石川県珠洲市の60代の夫婦は、85歳のおばあちゃん、娘さん、そして飼い犬の4人と1匹で生活していた。

飼い犬はメスのダックスフントのりんちゃん、14歳。犬としては高齢であるりんちゃんを2人は我が子のようにかわいがっていた。

そして、1月1日・・・そんな家族たちの家も能登半島地震の被害を免れなかった。

震度6強の地震から一夜明けた石川・珠洲市(1月2日)
震度6強の地震から一夜明けた石川・珠洲市(1月2日)
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りんちゃんの“お母さん”:
本当にね、こんなことになってしまって・・・うちらの住んでた地域はほとんど全部の家が被害を受けて住めなくなってしまいました。

一家の自宅の屋根瓦も落ち、壁も崩れた。雨漏りもかなりひどく、“立って”はいるが、危険なためもう住むことはできない。地震発生以降、夫婦とりんちゃんは、避難所である市内の小学校で過ごすことになった。ただし、室内ではなく車中泊だ。

りんちゃんの“お母さん”:
避難所ではペットを飼ってる方がいらっしゃらなかったので、やっぱり入らない方がいいのかなと判断しました。なので、最初はお父さん(夫)と私とりんは車で寝泊まりすることにしたんです。おばあちゃんは体育館、娘は離れた避難所にいました。
5日目からは私は体育館に移って、おばあちゃんのお世話をしながら一緒に学校の中で寝泊まりすることにしました。お父さんとりんはもうずっと車中泊です。

りんちゃんと過ごす車内は避難のため荷物があふれていた(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)
りんちゃんと過ごす車内は避難のため荷物があふれていた(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)

こうした避難生活で夫婦にも疲労が蓄積していく。そして、1週間、10日と経つ頃、“お母さん”はある思いを抱くようになってきた。

「親切な方にお預けできたら・・・」

りんちゃんの“お母さん”:
やっぱりね、かわいそうかなって。ずっと車だし。夜もね、おしっことかうんちに連れ出してあげなくちゃならないけど、寒いし、高齢でしょう。
りん、もうガタガタ、ガタガタ震えて。それで慌てて車に連れ帰ってぎゅーっと抱きしめてあげてね。私たちもつらいし、りんにもかわいそうなことしてるなって思って・・・。りんには、脂肪種と気管支炎の持病があるからそれも心配で。どなたか親切な方にお預けできたら、と思い始めたんです。

1月の珠洲市は、夜は0℃近くまで下がり雪も降る。

その頃、被災地でのペットに関する支援やニーズの調査などを始めていた犬の保護団体があった。「ピースワンコ・ジャパン」( 本拠地:広島・神石高原町)だ。静岡県の施設に所属する西さんも経験豊富なスタッフとして1月9日から珠洲市に入った。

被災地で犬の支援物資を配る「ピースワンコ」西香さん(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)
被災地で犬の支援物資を配る「ピースワンコ」西香さん(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)

「ピースワンコ」西さん:
現地に行ってみると、これまで立っていた家々がぺちゃんこで、本当にぐちゃぐちゃになっていました。被災したワンちゃん、猫ちゃんは、飼い主さんと車中泊だったり、避難所に入れないため、もう1度大きな地震が来たら崩れてしまいそうな家に置いておくしかないというような状況だったりで、見ていて苦しくなるような感じでした。
あるおばあちゃんは避難所の学校の玄関にワンちゃんを置き、ご自分はその横の下駄箱周辺で寝起きされていました。雨風はしのげますが、寒くて冷える環境で過ごされていて心配でした。

大切な家族との“別れ”を決断

悩んだ結果、夫婦はりんちゃんについて支援を求めることを決意し「ピースワンコ・ジャパン」と繋がった。

りんちゃんの“お母さん”:
お父さんは最初、反対してたんです。「俺はりんと今離れたら、もう、もしかしたら、会えなくなるかもしれないから・・・絶対にいやだ」って。でも、お父さんも今後働きに行くし、このままずっと車中でいるのも大変だしと説得しました。お父さんは、りんを、それはもう目の中に入れても痛くないくらい可愛がっていますから。

「ピースワンコ」西さん:
1月11日に初めてお会いしました。りんちゃんは最初からしっぽを振って出迎えてくれるような元気なワンちゃんという印象でした。この日はお母さまとだけお話して、2日後にお預かりすることになりました。

1月11日 りんちゃんについて西さんたちに説明する“お母さん”(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)
1月11日 りんちゃんについて西さんたちに説明する“お母さん”(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)

13日は雪が降りしきる寒い日だった。預けるのに反対していた夫も一緒にりんちゃんを胸に抱き、西さん一行を出迎えた。避難所の軒先でのりんちゃんとの別れは1時間近くかかった。

「ピースワンコ」西さん:
(ご夫妻は)「これも持って行ってください、これもあった方が。これも使ってたものなんで」そうおっしゃって、りんちゃんの好きな物やご家族のニオイのついている物、いつも使っていたリードやキャリーケースなどすべてお渡しくださって、心からりんちゃんを心配されているのが分かりました。お2人とも涙を流され、代わる代わるりんちゃんを抱きしめていらっしゃいました。大切な家族との別れですからおつらいと思います。

りんちゃんとの別れを惜しむ (写真提供:ピースワンコ・ジャパン)
りんちゃんとの別れを惜しむ (写真提供:ピースワンコ・ジャパン)

りんちゃんの“お母さん”:
絶対迎えに行くからね、って。また会えるからね、がんばってね、私たちもがんばるからね、ってりんに何度も何度も言いました。

「絶対にまた一緒に暮らそうね」 そう何度も話しかけた(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)
「絶対にまた一緒に暮らそうね」 そう何度も話しかけた(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)

そうすることがお互いにとって今は最善なんだと自分に言い聞かせた。

“お父さん”は溢れる涙を何度も指でぬぐい、りんちゃんを両腕で包み込む。りんちゃんのぬくもりを感じながら、心と心で対話をしていたのかもしれない。

言葉少なげにりんを抱きしめていた(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)
言葉少なげにりんを抱きしめていた(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)

そしてりんちゃんは翌14日に無事、静岡・浜松市にある「ピースワンコ」の施設に着いた。検査の結果、体調面も当面心配なさそうということで、現在は西さんたちと一緒に元気いっぱいに過ごしている。夫婦のスマホには2日に1度は西さんからりんちゃんの動画が送られてくるそうだ。

浜松の施設に到着し、元気に過ごすりんちゃん(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)
浜松の施設に到着し、元気に過ごすりんちゃん(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)

りんちゃんの“お母さん”:
もうね、何度も何度も、届いた写真を避難所でずっと繰り返し見てます。お父さんなんか特にね。「会いたいなあ。やっぱり、あの子と一緒にいられると幸せだろうなあ」って。
りんは私たちの癒しなんです。何か嫌なことあってもあの子の顔を見たらなんかね、なんも、もう全部。
自分の家族も同然のりんを預けるなんて「冷たい」って言う人もいるかもしらんけど、暖かい場所で優しくお世話してもらっていますから、今の状況では一番いい選択だったって思っています。なにもかも西さんには本当に感謝しています。

浜松の施設で 西さんに抱かれるりん(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)
浜松の施設で 西さんに抱かれるりん(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)

りんちゃんの“お母さん”:
私たち、今の家のことはもう諦めてます。そりゃできれば、生まれて今まで生きてきた珠洲から離れたくありませんが、どうするかは分かりません。今後の見通し・・・全然たたないですが、とりあえず仮設住宅に申請しましたけど、当たるの難しいですよね。りんと一緒に住めるような仮設住宅があればいいのですが。
でも、りんは8月で15歳になります。高齢ですから、あまり長くはかけらないなって思っています。私たちもしっかりして、早くそうしてやらんと間に合わないかもしれない。

一緒にまたくらすことを目標に(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)
一緒にまたくらすことを目標に(写真提供:ピースワンコ・ジャパン)

震災から1カ月。
りんちゃんを預けたご夫妻は車中泊をやめ、今は学校内で生活している。85歳のおばあちゃんと娘さんは、一緒に2次避難場所へ移ることができた。

りんちゃんの“お母さん”は声に力を込めて「そうね、まだ何にも決められんけど・・・私たちも早く動き出さんとね。りんを迎えに行って、一緒にまた暮らすこと、それが今の目標です」と話してくれた。その声は、ご自身を鼓舞しているようにも聞こえた。

一日も早く、その日が来ますように。
 

(取材・執筆:フジテレビアナウンサー兼報道局解説委員 島田彩夏)

島田彩夏
島田彩夏

人の親になり、伝えるニュースへの向き合いも親としての視点が入るようになりました。どんなに大きなニュースのなかにもひとりひとりの人間がいて、その「人」をつくるのは家族であり環境なのだと。そのような思いから、児童虐待の問題やこどもの自殺、いじめ問題などに丁寧に向き合っていきたいと思っています。
「FNNライブニュース デイズ」メインキャスター。アナウンサー兼解説委員。愛知県豊橋市出身。上智大学卒業。入社以来、報道番組、情報番組を主に担当。ナレーションも好きです。年子男児育児に奮闘中です。趣味はお酒、ラーメン、グラスを傾けながらの読書です。