能登半島地震で5000件以上の家屋被害が出た富山県。両親とともに住み慣れた自宅を離れ、応急住宅で生活を始めた50代の女性がいる。家賃が免除される期間は入居から半年間。再び家族で自宅に戻れる日は来るのか…。

築60年の自宅 居住部分取り壊しに

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能登半島地震から10日が経った1月10日。

震度5強を観測した氷見市で始まったのは、自宅に住めなくなった被災者が、仮の住まいとして移る応急住宅の受付。

ここを訪れていた青井博子さん(50)。

青井博子さん:
「(市営の住宅を)申し込みしました。とりあえず家族で寝られる場所があればいいので、それを提供して頂ければそれで十分」

青井さんの自宅があるのは、被害が大きかった氷見 市中心部の栄町。

地震発生時、富山市の勤務先にいた青井さんが自宅の被害の様子を確認したのは翌日だった。

青井博子さん:
「全体的に盛り上がっちゃってて。ここが崩れそうなので、柱入れて支えてるって感じ。(2階は)歪んでて怖い、みしみしと、ふわふわしているのが分かる。液状化になってて、ひびが入っていたりするので建物としては大工さん曰く、土壌をかえないと建てられない」

築60年以上になる自宅は1階の天井が下がり、扉が折れるなどの被害があった。倒壊を防ぐための応急措置として、天井と床の間に柱を入れている。また、土間がひび割れたり、床が傾くなど、建物全体にゆがみが生じていた。​

製造業を営む青井さんの両親
製造業を営む青井さんの両親

自宅で縫製業を営む両親と3人で暮らす青井さん。

いまは日中の仕事のあと、両親とそれぞれ、射水市にある妹家族の家まで出向き、そこで入浴や寝泊まりをしている。

父・青井潔さん:
「ちょうど正月ですよね、うちの孫と子どもが全部寄ってて、飲み始め、途中ぐらいでがたっと来てみんな慌てて外に飛び出た」

自宅の中でも、両親が仕事場として使う部分は、損傷が比較的少なく、両親は、市が提供する住宅に移ったあとも日中はここに来て仕事を続けることにしている。

一方、天井が下がるなど、被害が大きかったのは、寝室や茶の間があった居住部分。住み慣れた場所だが、取り壊すことを決めた。

青井さんは両親の仕事場を改修して生活スペースを作り、またここで家族3人で暮らしたいが、心配なことがあった。

生活再建へ 見通しすら立たない現実

青井博子さん:
「なかなか基準厳しいみたいなので補助してもらえるかどうか。今回のり災証明書では中見られないらしくて、外観だけで証明されるらしい、そうすると多分解体の基準に満たないので、そのり災証明書を見た状態で不服があった場合はもう一回申請出して中見てもらって、また発行し直してもらう、そうなるとさらにそこから遅くなる、中を見てもらわない限り住めないのは伝わらない」

住宅の建て壊しを行政の補助で賄うことができるのは全壊または半壊と認定された家屋で、自宅が該当するかは不透明。生活再建には、どのくらいのお金がかかるのか…見通しすら立たない現実がある。

応急住宅の入居を申し込んでから9日後。青井さんは、希望していた市の住宅に入居できることになった。市の住宅は、自宅から車でおよそ10分。4畳半と6畳の2部屋に、風呂やトイレなど、必要最低限の間取りだが、部屋にはエアコンや冷蔵庫が備えられていた。

青井さんが暮らす応急住宅の一室
青井さんが暮らす応急住宅の一室

青井博子さん:
「ファンヒーターとか持っていけば何とかなるかな、その前に一回掃除に来ないといけないですね。普通に水が出るの嬉しい、蛇口から水が出るのが何週間ぶりですもんね」

市の応急住宅で、家賃が免除される期間は入居から半年間。

再び家族で自宅に戻れる日は来るのか…。

生活の再建に向け、長い道のりが続く。

青井博子さん:
「3人そろって生活できるならいいのかな、これからなんとなく先が、生活の兆しが見えてきたのはいいことなのかな」

(富山テレビ)

富山テレビ
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