「大韓民国を徹頭徹尾、第一の敵対国として、不変の主敵として(憲法の)条文に明記すべきだ」

15日に北朝鮮・平壌で開かれた最高人民会議で、各地から参加した代議員を前に金正恩総書記がこう宣言した。韓国を統一の対象ではなく「第一の敵対国」と位置付け、憲法を改正すべきとの考えを表明した。

正恩氏が演説を行った最高人民会議(1月15日・朝鮮中央テレビより)
正恩氏が演説を行った最高人民会議(1月15日・朝鮮中央テレビより)
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2023年末に開かれた朝鮮労働党の中央委員会総会では、南北関係を「敵対的、交戦中の2つの国家関係」と定義していたが、韓国との関係を断絶する姿勢をさらに鮮明にした形だ。

北朝鮮政治に詳しい慶応義塾大学の礒﨑敦仁教授も「一民族、一国家、二制度、二政府」を目指す『高麗民主連邦共和国』方案以来の対南政策の大転換である」と分析している。

宣言後、テレビの朝鮮半島地図に変化

北朝鮮・朝鮮中央テレビの国際報道に関する番組内で使用している世界地図では、これまで朝鮮半島全体が赤で示されていた。

しかし、正恩氏が韓国に断絶宣言した演説後には、朝鮮半島の北緯38度以北だけが赤で示され、韓国は他国と同じ青に変更された。北朝鮮の各分野で進められている「統一」や「民族」など南北を同族とみなす表現を修正する作業の一環とみられる。

左がこれまでの地図。朝鮮半島全体を赤で表示。右は17日放送の地図。北朝鮮だけが赤い。(朝鮮中央テレビより)
左がこれまでの地図。朝鮮半島全体を赤で表示。右は17日放送の地図。北朝鮮だけが赤い。(朝鮮中央テレビより)

演説の中で正恩氏は、「首都平壌の南側関門に見苦しく立っている『祖国統一3大憲章記念塔』を撤去するなどの対策」も実行するとしている。

「祖国統一3大憲章」は、平和・統一・民族大団結の祖国統一3大原則など正恩氏の祖父、故・金日成主席が提示した統一原則を総称するもので、この塔は金日成主席の「統一業績」を記念するために作られたものだ。

「祖国統一3大憲章記念塔」高さ約30メートルの塔は“南北統一のシンボル”だった
「祖国統一3大憲章記念塔」高さ約30メートルの塔は“南北統一のシンボル”だった

また、南北を結ぶ鉄道区間を「回復不可能な水準に物理的に完全に断ち切る」としているが、この鉄道をはじめとする南北間の連結事業は、父である故・金正日総書記が残した業績だ。正恩氏は、民族の念願である「統一路線」を破棄し、祖父や父が推し進めてきた政策をも否定する「大転換」を打ち出したことになる。

正恩氏が見据える“トランプ新政権”

正恩氏は演説の中でアメリカを批判したものの、対米対話の断絶までは踏み込まなかった。

正恩氏の頭の中にあると思われるのがアメリカのトランプ前大統領の存在だ。

2018~2019年に行われた米朝協議は不調に終わった
2018~2019年に行われた米朝協議は不調に終わった

韓国紙・東亜日報は「正恩氏はトランプ前大統領が再び政権を獲得する可能性を念頭に置いて、韓国との対話を完全に断絶したまま、次期アメリカ政府と核保有国認定の直接取引を試みるという危険な賭けを始めた」と報じている。

ここで言うアメリカ政府はバイデン政権ではなく、“トランプ新政権”だ。つまり、正恩氏は11月のアメリカ大統領選挙でトランプ前大統領が政権を握る可能性が高いと判断し、トランプ氏が当選した場合は経済制裁の解除を条件に核開発を凍結するという「直接取引」を行おうと考えているという。

記事は、正恩氏とトランプ氏の直接取引に韓国の尹錫悦大統領を排除する「通米封南」を試みる意図が込められているとしている。

礒﨑教授も今後、米朝協議が行われるとしても、韓国は外されると分析している。

「2018年から2019年にかけての対話攻勢で正恩氏が得た教訓の1つは、南北関係をいかに進展させても、米朝関係で成果を出さない限りは実利を得がたいというものであった。
11月のアメリカ大統領選でトランプ氏が再選し、北朝鮮に大きな歩み寄りの姿勢を示す場合には北朝鮮がアメリカとの軍縮交渉に臨む可能性も出てくるが、今回の一連の措置から、韓国の頭越しに進めることになる」(礒﨑教授)

正恩氏が演説をした15日(現地時間)、トランプ氏は、大統領選挙の第一関門である共和党アイオワ党員集会で過半数の得票率で圧勝した。

トランプ氏は、党員集会前日の遊説で「金総書記は賢くてタフだ。私が仲良くしていたからアメリカが安全だった」と話している。

礒﨑教授も、トランプ氏自身が北朝鮮問題に関与する可能性を指摘する。

「これまでの発言からも、トランプ氏が(ノーベル平和賞欲しさに)北朝鮮問題に手を出す可能性はあると思う。ただ、北朝鮮側としては再び決裂することは避けたいだろうから、次はアメリカが譲歩する番だとの立場に変わりはないだろう」

岸田首相を「閣下」と呼ぶ

韓国抜きの米朝協議の先には、日米韓3カ国の連携に亀裂を入れる狙いも透けて見える。

正恩氏は1月5日、能登半島地震に関連し岸田首相に宛てた見舞い電を送った。岸田首相を「日本国総理 岸田文雄閣下」と敬称で呼び、「(被災者が)1日も早く安定した生活を回復することを祈る」とした。韓国・統一省は、正恩氏がこれまで日本の首相に電文を送ったことはなく、さらに日本の首相に「閣下」の敬称を使ったのも初めてとの考えを示している。

日朝交渉に意欲を示す岸田首相を持ち上げることで、日本との対話を試みる狙いもうかがえる。韓国メディアも「通米封南」だけでなく「通日封南」で日米韓3カ国の協力を崩す狙いだと分析している。

正恩氏「生活上のニーズすら満たしていない」

演説の中で正恩氏は、北朝鮮の厳しい現状にも言及している。

「まだ人民の素朴な生活上のニーズすら満たしていないのが現状だ」
「今、首都と地方、都市と農村の生活上の格差が激しく、同じ道と市、郡内でも条件によって差が多い」
「地方には時代のニーズに応える工場が1つもない。これをこれ以上無視してはならず、認めなければならない」

体面を重んじる北朝鮮にしては驚くほど、率直に厳しい現状に触れている。

「我々共和国政府にとって最も重視し、至上の課題は、人民生活を1日も早く安定向上させることだ」

「正恩氏は、自国経済が疲弊した状況にあることを率直に認めるが、主な原因を経済制裁や新型感染症といった外部要因に求めている。『人民大衆第一主義』を掲げて、幹部たちに対して責任感が足りないと叱責することも多い」(礒﨑教授)

経済制裁の長期化で経済難が深刻になる中、市民の体制不満も高まっている。正恩氏としても市民に寄り添う姿勢を打ち出す必要があるのだろう。「全人民の初歩的な物質的、文化的生活水準を一段と飛躍させる」と宣言している。ただ、経済難を突破するには時間がかかるため、累積する市民の不満を外部の「敵」、つまり韓国に向けるという狙いが韓国への断絶宣言につながったとみられる。

「トランプ氏であれ誰であれ、アメリカの新大統領が北朝鮮に大きく譲歩するならば、米朝交渉が再開されるかもしれない」(礒﨑教授)

11月のアメリカ大統領選挙の結果は、朝鮮半島情勢にも大きな影響を与えそうだ。
(FNNソウル支局長 一之瀬登)

一之瀬登
一之瀬登

FNNソウル支局長。韓国駐在3年目。「めざましテレビ」「とくダネ!」など情報番組を制作。その後、報道局で東京都庁、東京オリンピック・パラリンピック担当キャップ。2021年10月ソウル支局に赴任。辛いものは好きですが食べると「滝汗」です。