「60歳になったら農業に専念したい」というカメラマンの人生を変えた東日本大震災。63歳になるまで、変わりゆく故郷と子どもたちの成長を撮り続けた男性が一線を退くことを決意した。最後の撮影は、震災当時に小学一年生だった子どもたちの「二十歳を祝う会」。ファインダーの先に見えた景色はどんなものだったのか。
カメラマンと農家 二足の草鞋
福島県浪江町の小野田浩宗さんは、双葉郡のカメラマンとして30年、子どもたちの成長と笑顔を節目ごとに収めてきた。
原発事故で全町避難を余儀なくされた浪江町。小野田さんは震災前、写真店を営む一方コメや切り花の生産をする兼業農家だった。
![2017年 双葉高校の卒業式を撮影する小野田浩宗さん](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/5/5/700mw/img_553094ee3b08fc933b637799e491f5dc60603.jpg)
小野田さんは「先祖が遺してくれたものを、そのまま荒れ果てるのを見るよりは、自分ができることがあるのであれば、自分の時代は何かそこでやりたい続けたい」と、2018年に営農を再開。今は、ユーカリなどの花木を育て関東に出荷している。
![2018年に営農再開 ユーカリを育てる](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/6/e/700mw/img_6e132f855e6cda50c8585788949e49d2122139.jpg)
震災…カメラマンを続ける使命
現在63歳の小野田さん。同じカメラマンでもある妻・留美さんには「60歳になったら農業に専念したい」と伝えていた。小野田さんは「震災がなければ60歳で終わろうと思っていたが、この震災でいろいろな人たちと関わった。撮影を続けなきゃならないんだろうと。元気とか勇気とかいただきましたね。皆さんからたくさん」と話す。
![離れ離れになった人たちの再会に立ち会うことも 自らの使命を考える](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/7/3/700mw/img_7307240ca51c063c4920d807579d723b77236.jpg)
やるせない気持ちと喜びの繰り返し
震災後も、故郷の表情を切り取ってきた。母校の解体も…ときには再会も…取り壊した写真店、そして家族と過ごした自宅も。レンズの先は変わり果てた故郷の姿。子どもたちの声は消え、やるせない思いを抱えるなか、避難先から小野田さんに撮影の依頼をする学校もあった。
![震災で変わり果てた街を撮り続けた](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/7/2/700mw/img_727799fbbd33395d057d26cc999a896989011.jpg)
「非常にありがたかったし、その学校に行けば子どもたちの笑顔に会える。そこで元気をもらう。その繰り返しの時間が多かった」と小野田さんはいう。
![震災の記録 家族と過ごした自宅を撮影](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/b/7/700mw/img_b7110e6ca21406d1e7069f429a88527479773.jpg)
一区切り 小野田さんの決断
故郷への思いから、撮影を続けてきた小野田さん。しかし「一つの区切りをつけよう」と決断した。妻の留美さんは「私は私で、もう少し写真の仕事は続けていきたいなとは思ってるんですけども。主人が花木栽培の方が主になるっていう形で」と話す。小野田さんは節目について「2010年に撮影した子たちの”成人を祝う会”で撮影したおりに、写真業からは一歩後退しようかなと。本当、思いを持ってシャッターを切るしかないかなって思ってます」と話した。
![妻の留美さんと 震災からまもなく13年…一区切りをつける決断](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/6/a/700mw/img_6a33cbde8d7e11e4f264d20dc0aad6f078055.jpg)
故郷思う一枚を
2024年1月6日、浪江町の「二十歳を祝う会」の会場には、誰よりも早く準備を進める夫婦の姿があった。妻・留美さんは「浪江町を忘れないでいてくれて、ありがたいという気持ち。そういう子を撮影できるありがたさ。喜んで写真撮影させていただきたい」と話す。小野田さんも「浪江に来て良かったなと思う一枚にしたい」と話した。
![カメラマン最後の日 1枚に思いを込めて](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/1/d/700mw/img_1dc081d562e0b77dfd07e10adeb144c794182.jpg)
離れていても浪江町は故郷
震災当時、小学1年生だった参加者たち。故郷の記憶はおぼろげだが、それでも30人が福島県の内外から集まった。北海道から参加した小松正宏さんは「久しぶりに来て、浪江 懐かしいなと思って。故郷っていいなと思いました」と話す。
![震災当時小学校一年生 二十歳になって再び故郷へ](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/4/e/700mw/img_4eb030e423f5e7758cc5f92e879ea19492807.jpg)
菅野いちごさんは、式典で「この町を離れてからどれほどの時間が経っても、この浪江町が私たちの故郷であることは変わりません。私たちもいつまでも13年前のかわいそうな被災者でいることはできません。一人の大人として、責任を持ちそれぞれの道を歩んでまいります」と誓いの言葉を述べた。
![成長した子どもたちの晴れ姿を最高の1枚に](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/4/8/700mw/img_486d126da396d94f40f2a8c05f06e59d103083.jpg)
よかったと思える人生を
最後の集合写真が、小野田さんの大仕事。カメラマンとしての一区切り、ファインダーの先に見えたのは…希望に満ちた素晴らしい笑顔だった。
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/9/e/700mw/img_9e9e6ebc3801d64304edb5e5ba381d7284722.jpg)
小野田さんは「一枚一枚積み重ねてアルバムができていく。振り返って人生のアルバム開いたときに、よかったなと思えるような人生を一歩一歩進んでいきたい。きょうの一枚が良かったなって思える写真になれば、彼女・彼たちの人生のアルバムのひとつになるのかな」と話した。
![アルバムを作るように一つ一つ人生を積み重ねる](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/b/4/700mw/img_b4592b0cf73019bc2833270811a44f3c95135.jpg)
小野田さんが栽培するユーカリの花言葉は「再生」そして「思い出」。かつての記憶は薄くても、色褪せない思い出が故郷の未来に繋がることを信じている。
(福島テレビ)