能登半島地震の発生から9日目。石川県内では202人の死亡が確認され、安否不明者は102人となっている(9日午後2時時点)。災害ボランティアとして現地で活動している長野・信濃町の男性はこれまで3人を救助したが、いずれも亡くなり、厳しい現状を目の当たりにしてきた。男性は「支援のため何ができるか考えてほしい」と話している。
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阪神淡路大震災の現場を思い出す
「1995年1.17阪神淡路大震災のあの現場を思い出しました」
こう話すのは、信濃町の災害支援NGO代表・吉村誠司さん(58)。輪島市で活動を続けている。
吉村さんは1995年の阪神淡路大震災でボランティア活動を行い、その後、救助活動や復興を支援する災害支援NGOを立ち上げた。
これまで東日本大震災、熊本地震、台風19号災害などさまざまな現場で活動してきた。

輪島市で活動を続ける吉村さん
能登半島地震では1日の夕方に重機やチェーンソーなどを積んで長野県を出発。
2日未明に七尾市に到着し、その後、輪島市で活動を続けている。
7日は燃料会社からの要望を受け、灯油300リットルを積んだタンクローリーをがれきの下から出す作業を仲間たちと行い、無事、車両を引き出した。
燃料会社の男性は、「どうもありがとう。本当によかった。火の元になると困りますから、走れるようになったら皆さんに灯油を供給したい」と、安堵の表情を浮かべ感謝の言葉を口にした。

3人救出するも、亡くなる…
少しずつ、住民のニーズに応える作業へと移行しているが、輪島に到着した際は、大型車両が入れるよう道に散乱したがれきの撤去、そして、輪島市災害対策本部に入り自衛隊や警察と協力して行方不明者の捜索や、倒壊した家屋の下敷きになっている住民の救出に当たった。
これまでに高齢女性など3人を救出するも全員が亡くなった。
吉村さんは涙を浮かべ、「ここの下に、おばあちゃんがはまって。どうしても、はりが乗ってて動かない。夜10時くらい、ジャッキで上げて、出したんだよね。もう間に合わなかった」と声を振り絞った。

「自分たちに何ができるか考えて」
現在も、重機や専門的な知識がなければ現地で活動するのは難しい状況が続いている。
吉村さんは、「必要なのは全てでしょう。これから、ゼロからここをどうつくっていくか、まだストーリーも何も書けない。皆さん、考えてください」と、支援のために自分たちに何ができるか考えてほしいと話している。

(長野放送)