行き先の検索、仕事の連絡、ゲームや音楽などの娯楽からちょっとした調べものまで、移動中のインターネット利用は必要不可欠だといえる。しかし、イギリス・ロンドンの地下鉄では、基本的にネットが使えない。ロンドンに住み始めた当初、私はこの点に驚いた。

現代になくてはならない生活インフラが地下鉄で使えないことを、市民はどう思っているのか。街で聞いてみた。

世界最古の地下鉄…通信インフラの導入は?

ロンドンの地下鉄内ではネットに繋がらないことが大半だ。駅構内ではモバイル通信が途切れがちになり、乗車すると完全に圏外になる。ごく一部の路線の駅や車両ではモバイル通信が使用できるものの、ほとんどの駅では接続が不安定なWi-Fiに頼るしかない。

平成生まれで、2023年まで東京に住んでいた私は、約半年前にロンドンで初めて地下鉄に乗った時、ネットが使えないことにショックを受けた。

電車内での時間の使い方は様々。何もしていない人も多い。
電車内での時間の使い方は様々。何もしていない人も多い。
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電車の中を見渡すと、スマホを使用している人は東京に比べて明らかに少ない。読書をする人、音楽を聴く人、駅で無料配布されている新聞を読む人を見かける中、特に何もせずぼんやり座っている人もいる。

地下鉄の駅構内。電車の形状に沿う形で、天井もアーチ型になっている。
地下鉄の駅構内。電車の形状に沿う形で、天井もアーチ型になっている。

ロンドンの地下鉄は、1863年に開通した世界最古のものだ。それゆえ、新しい技術を持ち込むには一筋縄ではいかない。ロンドン交通局によると、トンネルが古くて、狭く、さらに曲がりくねっているため、通信インフラを構築するのが難しいという。また、週末は24時間運行の地下鉄も多く、工事作業がなかなか進まないそうだ。

古い地下鉄のトンネルを使い続けながらも通信インフラを設置するには、LCX(漏えい同軸ケーブル)と呼ばれる特殊なケーブルを使う。LCXはケーブル自体から電波が発信されるので、電波を飛ばしにくい細長くて曲がりくねった空間も効率的にカバーできる仕組みだ。東京の地下鉄でも同様のケーブルが使われていて、2012年からモバイル通信が使用できるようになった。

「ネットが使えなくても、この世の終わりじゃない」

地下鉄では、ネット環境がない中でもスマホを使用している人を見かける。一体何をしているのか。

「ロンドン郊外から通勤しているので、事前にダウンロードした映画を観ている。オフラインでできるスマホゲームをすることもある」
「メッセージやメールを返している。車内では送信できないが、電波が繋がった時に自動送信されるのでそれを待つ」
「写真や動画の整理、編集をしている。SNSにアップしようと思ってやっているが、結局あげないことが多い。どちらからというと暇つぶし」

地下鉄でスマホを使用する人。ネットは使えない。
地下鉄でスマホを使用する人。ネットは使えない。

ネットが利用できないことを見越した上で、あらかじめ動画や音楽をダウンロードしておく。もしくは、返信に時間を要する内容の連絡や、その日に撮った写真の整理など、電波がなくてもスマホでできることをしているようだ。

周辺のヨーロッパ諸国では問題なく使えるにも関わらず、ロンドンの地下鉄にだけネットという生活インフラが敷かれていないことに、街の人は違和感を覚えていないのだろうか。地下鉄の利用者たちからは、次のような声が聞かれた。

「ネットが使えるほうがいいに決まっているけど、使えなかったとしてもこの世の終わりじゃないし、どちらでもいい」
「他国の状況は知らないが、ロンドンも各駅でWi-Fiが使えるので、道中で迷った場合は一度電車を降りて行き先を調べてから再乗車している。特に問題はない」

人々が携帯を使うようになっても、なかなかネット環境が整わなかったロンドンの地下鉄。“使えないのが当たり前”だからなのか、特に強い不満を抱いているわけではなさそうだ。

しかし、ネットがあれば、道に迷っても調べるためにわざわざ下車しなくていいし、音楽も映画も事前にダウンロードしなくても、観たいものがその場で選べる。待ち合わせの途中で連絡が取れなくなって不安な気持ちになることもない――不便さばかりが気になってしまうのは、東京からロンドンに来て間もない私だからこその感覚なのかもしれない。

ついにネットが使えるようになる!?

2023年9月、ついに市長が、2024年末までにインターネット回線を市内の地下鉄全線に設置することを発表した。すでにジュビリーライン、セントラルライン、ノーザンラインの一部区間では、Wi-Fiだけでなく4Gモバイル通信が利用可能で、その範囲を全線に拡大する予定だ。12月20日には、2022年5月に新規開業したエリザベスラインでも全41駅のうち主要4駅構内でモバイル通信が利用できるようになったとロンドン交通局が発表している。

ロンドン中心部にあるボンドストリート駅。通信インフラを先行して設置している3路線が通う。
ロンドン中心部にあるボンドストリート駅。通信インフラを先行して設置している3路線が通う。

今後、街の人の通勤時間の使い方に変化はあるのか。

地下鉄の利用者からは、「メールの返信や動画の閲覧ができるようになるのでいい。ただそこまで期待はしていない。行政が数年前もWi-Fiを全線に通すと言っていたけれど、いまだに使えない場所だらけ。結局いつになるかはわからない」「一回の乗車時間が20~30分程度なので、特に今までとは変わらないと思う。ちょっと不便なのが解消されるぐらい」といった声が聞かれた。

一方、ネットが使えるバスを利用する人は「地下鉄はストライキが多いし、駅構内までの階段の上り下りも面倒。私は大工をしていて荷物も多いから、たとえ地下鉄にネットが通っても今まで通りバスを使うと思う」と話す。

どうやらロンドン市民の生活スタイルは、ネットの有無にはあまり左右されないようだ。

地下鉄と同程度の主要な交通網として普及しているバスを選ぶ人の理由は、ネットの有無よりもアクセスのしやすさにあるそう。地下鉄の閉塞感が苦手という声もあった。

ロンドンに来て地下鉄でネットが使えないことを受け入れられなかったのも束の間、すっかり私もこの地下鉄に慣れ、通勤時間は読書に勤しんでいる。今や地下鉄で過ごすひとときは、私にとってデジタルデトックスになっている。

いつしか、車内でぼんやりとしている人の姿が消え、スマホに向かう人の姿ばかりを目にすることになった時、私は「ロンドンらしくない」と思うのだろうか。
(FNNロンドン支局 長谷部千佳)

長谷部千佳
長谷部千佳

1998年藤沢生まれ。早稲田大学法学部卒。2023年よりロンドンに拠点を移し、FNNロンドン支局で記者助手とカメラマンを担う。守備範囲は広めの無趣味。いつも音楽と街中の人の装いを追っている。