岸田首相は14日、安倍派の政治資金パーティーをめぐる裏金疑惑を受けて、松野官房長官ら安倍派の4人の閣僚を交代させる事実上の更迭人事を行う。続いて安倍派の副大臣の更迭人事にも着手する。松野官房長官の後任には岸田派の座長を務める林芳正前外相、西村経産相の後任に斎藤健前法相、宮下農水相の後任に坂本哲志元地方創生相、鈴木総務相の後任に松本剛明前総務相を起用する。  

林氏を除く3人は、斎藤氏が無派閥、坂本氏が森山派、松本氏が麻生派で、いずれも閣僚経験者だ。斎藤氏は3カ月前まで岸田内閣の法相を務め、松本氏に至っては内閣改造前まで同じ総務相を務めていたため、わずか3カ月での再登板となった。無派閥議員を含め経験豊富で安定感のある人材を起用しつつ、派閥のバランスにも一定の配慮を図ったものとみられる。岸田首相は13日の記者会見で、「今回の人事は政治の信頼回復と国政の遅滞回避の観点」から行うと語っている。 

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この会見の冒頭発言の結びで岸田首相が発したのが「火の玉となって」という言葉だった。その前後も含めて詳述すると、次のような発言だった。 

「先送りできない課題への取り組みは、政治の安定があればこそ進展してきました。国民の信頼なくして政治の安定はありません。現在のこの状況、政治の安定なくして政策の推進もないということを改めて強く感じています。現在の政治資金をめぐるさまざまな課題に、事態の推移を踏まえつつ正面から取り組んでまいります。国民の信頼回復のために『火の玉』となって、自民党の先頭に立ち、取り組んでまいります。国民の皆さんのご理解をお願い申し上げます」

岸田首相は、会見の質疑の中でこの「火の玉」という言葉の真意を問われ、「この状況に対する強い危機感を総理総裁である私こそ最も強く感じている。そういった思いを込めさせいただいた」と答えた。一方で、派手な言葉をそれほど使わない岸田首相には似つかわしくないと感じたのか、岸田首相の窮地を反映してか、ネット上では「火だるまの間違いでは」との声も相次いだ。

ちなみに、「火の玉」という言葉が過去の国会で使われているか議事録で見てみると、直近では11年前に当時野党だった自民党の猪口邦子議員が、米軍の輸送機オスプレイの効果と重要性について「火の玉になって説明することが必要だ」と訴えているほか、1999年には太田誠一総務庁長官が行革について野党議員に対し、「私は火の玉になってやっておると。火だるまではございません」と諭す場面があった。

実は、この「火の玉」と「火だるま」の話にはいわくがあり、1996年に行政改革に尽力しようとしていた当時の橋本龍太郎首相が「行政改革に本気で取り組んでいくので火だるまになって政権を運営していかねばならない」と発言し、それ以来メディア等で「火だるま行革」という言葉が使われるようになった。

もっとも橋本首相は、後に国会で「私は実は、火の玉と言ったんじゃなかったかなと思ったが、皆さんの印象には火だるまという言葉の方が残ったようだ」と釈明し、野党議員が「火だるまというのは、総理がいろんな批判に耐えてもう全身やけどになってしまったというそういう意味なのか…」と揶揄する場面があった。

橋本首相はその後行革に道筋を付ける成果を挙げたものの、減税をめぐる発言のブレを一因に参院選で敗北し、退陣に追い込まれた。すると後を継いで就任した小渕恵三首相が、直後の国会で「私も微力でございますけれども全力を挙げて、火の牛ともなってこの事態に十分対応したい」と答弁した。小渕氏はうし年生まれで「鈍牛」というあだ名があり、作家の江藤淳氏から「火牛となって走れ」と励まされたことを受け、与党が過半数割れする苦境で金融危機に臨む覚悟を「火の牛」という言葉に込めたものだった。

その後小渕氏は、この苦境下で野党案を丸のみすることで金融危機を乗り越えた上で、自由党・公明党を与党に取り込んで政権を安定させるしたたかさを発揮し、自民党内の掌握も進めて支持率を上昇させてみせた。

では岸田首相は、派閥政治が招いた今の政治不信を克服するため、反対を押し切って派閥の弊害を取り除く改革に着手する覚悟をどこまで決めているのだろうか。岸田首相は「火の玉」を使った理由を「危機感」と述べたが、言葉に込めるべきは「覚悟」の方かもしれない。一方で、派閥の解消などに踏み込めば、自身も派閥の力を借りて首相の座を射止めただけに、他派閥などから厳しい批判を浴びる可能性もある。岸田首相の今後は、会見で語った「政治の改革を求める国民の皆さんの真摯(しんし)な声、これを自民党としてしっかり受け止めて取り組んでいかなければならない」という言葉を実現するのか否かにかかっていそうだ。
(フジテレビ政治部デスク 髙田圭太)

髙田圭太
髙田圭太

フジテレビ報道局  政治部デスク 元「イット!」プロデューサー