2023年、2度目のMVPを獲得し、ロサンゼルス・エンゼルスからフリーエージェントになった大谷翔平選手(29)。日本時間の12月10日、ついに移籍先がロサンゼルス・ドジャースに決定しました。

この記事の画像(11枚)

大谷選手と小学校から高校まで同じチームでバッテリーを組んでいた、佐々木大樹さんは、移籍先であるドジャースについて、花巻東高校時代から大谷選手に注目していたといいます。

佐々木大樹さん:
(高校時代に)ドジャースのスカウトが見に来ていたので、それで何回か来ているなっていうのは、分かっていましたね。翔平がすごく注目されていたので、そのときから翔平を見に来ていたんだと思います。

新天地に踏み出すかつての仲間については…。

大谷選手(左)と佐々木さん(右)
大谷選手(左)と佐々木さん(右)

佐々木大樹さん:
(大谷選手が)正直ここまで活躍、世界一の選手になると思ってなかったので、本当雲の上のような存在のようにみていますね。
(今は)バッターとして、やっぱり集中できると思うので、さらにすごい記録を出すんじゃないかなと思っています。(大谷選手は)ワールドシリーズでやっぱり優勝したいのが目標なんじゃないかなと思います、僕の中では。

高校時代から“熱視線” 試合を通じて尊敬し合う

花巻東高校在籍時から大谷選手に熱視線を向けていたというドジャース。2012年に撮影された映像にも、大谷選手について答えるドジャースのスカウトの姿がありました。

ドジャースのスカウト(2012年当時):
ドジャースがどれだけ大谷選手のことを考えているか、そのことを伝えに来ました。アメリカでもトッププレイヤーのひとりだというのは、間違いないと思います。

しかし、大谷選手は高校卒業後、日本ハムファイターズに入団。そして、2017年、当時23歳の大谷選手がメジャーに挑戦したときも名乗りを上げていましたが、同じロサンゼルスながらも、入団したのは50km先のエンゼルスでした。

大谷選手が決断を下す時、その選択肢に入りながらも相思相愛になれなかったドジャース。

エンゼルスでプレーする大谷選手
エンゼルスでプレーする大谷選手

しかし、その距離がぐっと縮まる出来事が。それは2023年6月、大谷選手が投手としてドジャースと対戦した時でした。ドジャースの強力打線に苦戦を強いられ、試合後には…。

ドジャース戦を終えた大谷翔平選手:
強いチームはどこもそうですけど、ゲームプラン立てて、全員で同じ目的意識を持ってくるなと。
――高校時代にドジャースから熱心なスカウトがありましたが特別な思いは?
ドジャースだけじゃなくて、もちろん、僕がこっち(メジャー)に来るってなった時に熱心に誘いをもらった球団にはもちろん感謝していますし、ただ、投げる、打つに限って言えば、相手は相手で変わらないので、誰が相手でも自分がやるべきことをしっかりやりたいなと思います。

さらに、この試合の1カ月後に行われたオールスター戦で、「大谷選手についてどう思うか?」と聞かれたドジャースの主力・ベッツ選手とフリーマン選手は、こう答えました。

ドジャース・ベッツ選手:
彼はかなりいい選手だよ。僕もそうなりたいよ。もし彼がドジャースに来たかったら、大歓迎さ!

ドジャース・フリーマン選手:
30球団すべてが、翔平の入団を望んでいるよ!

ドジャースの主力選手から送られた“ラブコール”。
試合後に、大谷選手自身もベッツ選手について「ベッツ選手はすごい。高いレベルでオールラウンドにこなす選手はいないと思う」と語っていました。

試合を通じて尊敬し合っていた大谷選手とドジャースの選手たち。そんな思いも決断につながったのでしょうか?

エンゼルスのファンへ“感謝”

大谷選手のドジャース入り表明の裏で、古巣・エンゼルスの本拠地では、チームの象徴として飾られてきた大谷選手の看板が外されるのを、ファンが寂しそうに見守っていました。

撤去される大谷翔平選手の看板
撤去される大谷翔平選手の看板

大谷翔平のファン:
 (ドジャースの)ブルーなんて全然似合わない!翔平ちゃんは(エンゼルスの)赤じゃないと駄目と思っていたけど、きょう何度も(ニュースを)見てると悪くないかなって思い始めて。

10日、自身のインスタグラムを更新した大谷選手。そこには、エンゼルスへの感謝がつづられていました。

初めにこの6年間、私を支えてくれたエンゼルス球団に関わる皆さまやファンの方々、これまでの交渉に携わった各球団の方々に感謝します。
特にエンゼルスファンは、いい時も悪い時も私を支えてくれ、応援は心の支えでした。エンゼルスで過ごした6年間は私の心の中に永遠に刻み続けられるでしょう
(大谷翔平選手 インスタグラムより)
(めざまし8 12月11日放送)