福島県福島市の信夫山は、かつて「北限のゆず」と呼ばれたユズの一大産地。しかし、原発事故の5カ月後、国の基準を上回る放射性セシウムが検出され、2022年3月までの11年間出荷することができなかった。ようやく復活へ動き出した「北限のゆず」関わる人たちの思いを取材した。
出荷制限 長かった11年
「先祖から代々ユズ作りを受け継いできたので、初めてなのでどうしていいかわからないですよね」
当時、無念さをにじませていた曳地達夫さん。出荷の再開を待たずに4年前亡くなった。

「解除になればやるって言っていたけど解除が。いつまで待つのかと言っていたけど」と話すのは、達夫さんの収穫作業を手伝っていた弟の清明さん。兄の志を継ぎゆずの栽培を続けてきた。

深刻な担い手不足
約100本の木を、ほぼ一人で手入れする清明さん。「数は去年よりは多くとれると思う。兄の後を継いで、やりたかったことをやってやろうと思っていた」と話す。

しかし、信夫山のユズ農家は高齢化にともなう担い手不足が深刻。「とにかく採り手がいない。昔から、北限のゆずはここだった。その名前で続けられれば」と清明さんはいう。

守りたい…高校生と菓子店が協力
そこで立ち上がったのが、福島東稜高校の生徒と福島市内6つの菓子店のパティシエたち。「信夫山のゆず」のブランドを復活させようと、11月9日は収穫作業を手伝った。

参加した生徒は「意外と茎がかたくて、手こずった」「色んな地域の方も、福島の信夫山のユズが有名だっていうのをもっと広く知ってほしいなと、いろんな方に買ってほしい」と話す。

収穫したユズはスイーツに
パティシエたちは、収穫したユズを使ったオリジナルスイーツを作る予定。パティシエの澤田健さんは「毎年実ったのを、この11年間処分してきたと思うと心が痛い。福島の”信夫山のゆず”っていう名前を、お菓子を通して全国、出来れば世界にも発信できればいい」と話した。

天国の兄も喜んでいる
ユズ農家の曳地清明さんは「11年ぶりに賑やかでいい」と話し、出荷できなかった11年を知っているだけに、今後に期待を抱いている。

「兄貴の分まで頑張ろうと思っている。きょうは喜んでいるのではないかな、賑やかで。ユズ畑こんな賑やかになったことないから」

若い力も後押し
11年間の空白期間で、流通や出荷先もゼロからのスタートとなる。今後は、大学生・高校生と市内の菓子店などがタッグを組み、収穫したユズを使ったオリジナルスイーツを開発することに。11月下旬には、生産者も集まりスイーツの試食会が開かれた。

福島が好き 菓子作りの意味
自信の逸品を披露したのが、パティシエの澤田健さん。澤田さんは創業150年を越える菓子店の5代目。福島県外の専門学校や洋菓子店で、菓子作りを学んできた。

澤田さんは「福島には沢山いいものがあるので、沢山使っていこうという矢先に震災があって、原発事故後は風評被害などで苦境に立たされる農家を目の当たりにしてきた。それでも、やっぱり福島が好きで、それを世の中に発信するのはお菓子を通してしかできないなと思っていた」と菓子作りを続ける意味を再認識したという。

香りと酸味をいかして
「元々、ユズは香りが高いというのは分かっていたのですが、実際 福島信夫山のユズを使ってみると、いい香りで香りが高いなと感じる」と話す澤田さん。

今回、ユズの香りと酸味を生かし作るのは、チーズケーキ。皮と果汁を煮詰めジャムを作る。さらに、こだわりの4種のチーズに皮を練り込み、カップに詰めてオーブンで焼けば…ユズの爽やかな酸味と香りが口に広がる逸品に仕上がった。

「私自身は自信ありますので、試食会では高校生に食べていただいて、おいしいの一言をいただきたい」と澤田さんはいう。

辛い思いをスイーツで笑顔に
マカロンや焼き菓子、ショコラにソルベ…試食会では8つのオリジナルスイーツがお披露目された。試食した高校生は「ユズをそのまま食べているみたいで、おいしかった」と話す。

ユズ農家も曳地清明さんも「これはインパクトあるな。上の方はチーズの甘味で最後の方はユズの味」と笑顔を見せた。

パティスリーサワダの澤田健さんは「生産者から、この十数年辛かった。捨てるために獲っていたのだと生の声をお聞きして、私も辛かった。その十数年の思いをスイーツに乗せて、おいしいに変えて発信できればいい」と話した。

たくさんの思いが詰まったオリジナルスイーツ。ふわっと広がるユズの香りとともに、復活のストーリーを多くの人に伝えてくれる。12月上旬には道の駅ふくしまで販売会が企画され、若い力を追い風に「信夫山のゆず」のブランド復活を目指す。
(福島テレビ)