70年以上営業してきた老舗の銭湯。つぶれかけのこの銭湯を変えたのは常連客の若い女性だった。手探りで始めた再建への道のりはトラブルだらけ。彼女が目指す銭湯の新しいカタチとは?
商店街の人々に愛されてきた銭湯
「神戸の台所」と呼ばれる、東山商店街。その商店街から一本路地に入ったところにあるのが、1949年(昭和24年)創業の「湊河湯(みなとがわゆ)」だ。

元木美智子さん(77)は、夫の淳さんと共に「湊河湯」を含め、親族で5軒の銭湯を営んでいた。その長い歴史の中で忘れられない出来事が1995年の阪神淡路大震災だ。
元木美智子さん:
うちのお風呂も震災で3軒なくなったからね。(湊河湯は)浴槽と機械室が全部だめになった。そこを全部新しくしました。

神戸では多くの地域で水道やガスが止まり、被災者は何日も風呂に入れない状況が続いた。そんな中、ひと時の安らぎをもたらしたのが銭湯だった。
湊河湯も震災の被害を受けたが、2週間もしないうちに営業を再開させた。

東山商店街で働く人たち:
やっぱり仕事で体が汚いから、ものすごく助かって。いまだに感謝しています。
東山商店街で働く人たち:
(震災で)開放している時にみんな行かしてもらった。息子も行ったし。みんな、あそこは思い出があります。

元木美智子さん:
雪がちらちらするのに、ずっと銀行の向こうまで人が並んで、こんなことしていたらお客さんが入られへんということで、皆さんに「(入浴を)2、30分にしてください」ということで。10人ぐらいずつ入れ替えで「時間です、申し訳ない、出てください」って。また入れ替えして。

先代が他界し金銭・体力的にも…廃業寸前の銭湯 引き継いだ常連客の若者
地元に愛されてきた「湊河湯」だったが、時は流れ、元木さん夫婦も高齢になった。
2023年1月、夫の淳さんは病気で亡くなった(享年81歳)。美智子さんや、元木さん夫婦の子どもたちは後を引き継ぐことは難しいと考え、「湊河湯」は休業状態となっていた。
元木美智子さん:
私と主人がもうギブアップ。体力的に無理だった。全然やれる気がしなかった。このまま…と言う感じで。
廃業寸前の「湊河湯」を引き継ぎたいと名乗り出たのが、松田悠さん(32)。10年以上前からの常連客だった。

松田悠さん:
(先代の淳さんと)そんな話すことはなかったですけど、すごく優しくて。優しさがにじみ出ていて好きでした。ちょっと疲れたこととかあったら、湊河湯に来ていましたね。にぎやかな東山商店街の中にある、ぽっとしたオアシスみたいな存在に感じていて。
銭湯を引き継ぐことが決まったのは、オープンのわずか3カ月前。松田さんが目指す銭湯は、「以前からの常連客と新しく来る若者、どちらも楽しめる銭湯」だ。

オープンに向け手探りで1つずつ解決
オープンまであと1カ月になった 7月12日。この日は風呂の湯を出して沸かすことができるのか、先代の淳さんの息子・英雄さんと機械を試運転した。
亡くなった先代の淳さんは1人でボイラー室を管理していたため、いまとなっては誰も使い方が分からない。突然の水漏れなどトラブルが…。
長年使い込まれたボイラー室、手探りで問題を解決していった。

松田悠さん:
たぶんこういうバルブとかも全開にしたらダメとか。1周半とかそういうのであふれちゃったりとか。毎日沸かしてみて、何か起こったら1個ずつ解決していく。

オープン前に銭湯でバンドの生演奏
以前から銭湯とお酒と音楽が大好きだった松田さん。銭湯の経営をする前までは、アイドルのマネージャーや、イベントの企画などをしていた。
オープンを前に、新しい湊河湯のファンを増やそうと一風変わったイベントを仕掛けた。
銭湯でバンドの生演奏を開催することにしたのだ。SNSで告知したところ、約40人のお客さんが集まった。

かつては地元の高齢者の憩いの場だった「湊河湯」。そこに大勢の若者が集まった。様子を見に来た美智子さん、心を動かされるものがあったようだ。
元木美智子さん:
若い方がこれだけ盛り上げてくれて、っていうのが第一でした。音楽聞いてあまり分かる世代じゃないけど、ちょっと感無量になりました。以前はお年寄りばっかりだったんですけれど、若い方がこれからは盛り上げて欲しいですね。
美智子さんの目から温かい涙がこぼれた。

常連客と若者が楽しめる銭湯オープン
新しい「湊河湯」、当初の予定より1カ月遅れとなったが、8月11日、オープンした。
松田悠さん:
お待たせしました!それではお入りください。
松田さんが掛けた暖簾(のれん)をくぐって、待ちわびた利用客が中に入った。きれいになった中の様子に、歓声が上がった。
脱衣所を見渡していた番台は、今の時代にそぐわないとして取り外した。

脱衣所の窓やいすの脚は、屋号の「湊河」にちなんで川の曲線をモチーフにしたデザインに。きれいな状態だった浴室は手を加えずそのままにした。

そして、松田さん1番のこだわりは立ち飲みスペースだ。お風呂上がりに地元のクラフトビールを楽しめる。

お客さん:
おいしいです。最高。
お客さん:
ええ湯。知り合いが来るでしょ、昔からのなじみの人が。そういう人らと仕事終わりに話できるし。地域の人にとっては最高やな。
お客さん:
元々、銭湯が好きで。SNSでかなりよく発信されていたので。古く残されている部分と新しい場所がミックスされていて、面白い場所だなと思います

オープン当日に約230人が訪れた。子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで、幅広い世代のお客さんがやって来た。
松田悠さん:
中の会話が聞こえてきたら、「久しぶり」みたいな。常連さん同士の声とかが、「これこれ」みたいな感じだし、さっきの飲んでいた若い男性とか女性に聞いたら「めっちゃ話しかけてくれる」って。気楽に、中で常連さんがここら辺の情報とか教えてくれる。銭湯があるべき姿になりつつありますね。

美智子さんも訪れ、かっての常連客に「お待たせしました」と声を掛けた。
常連客:
ほんとや!
元木美智子さん:
1年近く、長かったですね。

地元の常連客ばかりだった銭湯に、若者という新しい風が吹き込んできた。時代に合わせてカタチを変えて、「湊河湯」は再び人と人をつなぐ場所を目指す。
年々減少する銭湯 背景に何が?
湊河湯は再建したが、兵庫県内の公衆浴場数は年々減少している。1967年には最多の985軒だったが、年々減少していき、2023年6月には、87軒にまで減ってしまっている。
なぜ、ここまで減少してしまったのか?銭湯が減ってしまった背景には、後継者不足・設備の老朽化・利用客の減少があるといわれている。

全国の銭湯を再生している「ゆとなみ社」という会社があり、湊河湯を再建している松田さんも、実はここの社員だ。その「ゆとなみ社」の代表の湊さんに、銭湯が減少している現状について、話を聞いた。
「ゆとなみ社」代表取締役・湊三次郎さん:
8年間で、10軒を再生したが、減少ペースに全然追いつかない。でも、やっぱり銭湯があると、街が豊かになるので何とか再生したい

減少傾向はあるものの、銭湯の良さにあらためて気付く若者たちもいる。銭湯を再生させていきたいと願う人たちの取り組みは続く。
(2023年8月23日 関西テレビ「newsランナー」放送より)