福島県相馬市の漁師・山崎健太さんの6歳になる息子は「漁師になりたい」と言うようになったという。福島第一原発の処理水海洋放出で、長く続いてきた生業はどうなるのか不安も抱えつつも、子どもたちが憧れるような漁師でありたいと前を向く。
歴史的な一日 いつも通り漁へ
午前3時、漁師たちの一日は暗い時間から始まる。
「国が全責任を負うという感じだったので。その言葉を信じて、やれることをやっていくだけという感じですかね」
こう話すのは、福島県相馬市・松川浦漁港で100年続く漁師一家の4代目・山崎健太さん。福島第一原発の処理水が海へ放出されたこの日も、いつも通り船を出した。

船に乗って魚をとりたい
健太さんは、長男・佐介くん6歳と3歳の次男・源ノ介くん、二人の息子を持つ父親でもある。「帰ってくると、疲れているけど息子たちを見ると元気が出る」と話す。

「船に乗って魚とりたい」・・・最近、佐介くんがこう言うようになったという。健太さんは「素直に嬉しい。本人がそう言っていますし、そこまで続けていかないとダメだし、少しでも早く廃炉に向かって前進していってほしいと思う」と語った。

子どもたちが憧れる仕事に
健太さんの父親で3代目の芳紀さんは「孫たちの世代がやるまで、土台をつくる責任もあるし、こういう子ども達がなりたいって思うような魅力ある仕事していかないとダメないんじゃない?若い人らに魅力あるくらいの姿見せないと。若い人たちが乗りたいなって思うくらいの」と話す。

常磐ものと仕事に誇り
漁から港に戻った健太さん。「まずまず入りました。今とったシラスがどのくらいの値段の取り引きになるのかなとは思っていましたけど」と話す。獲れたシラスは約870キロ。”常磐もの”という海の恵みと、漁師という仕事に誇りを持っているからこそ、次の世代に漁業の未来を繋いでいくことを誓う。

魅力ある仕事であるために
山崎健太さんは「もし若い人がこれから漁師になろうとしたときにマイナスなイメージというか、そういうイメージを持たれるのが、一番嫌ですよね。漁師って魅力的だと思われるように頑張ります」と話し、これからも海へ向かう。次の世代に引き継いでいくために。

(福島テレビ)