カンボジアで誕生した焼酎「ソラークマエ」が、国際コンクールでの受賞という快挙を成し遂げた。コロナ禍を乗り越え、復興の象徴となったソラークマエ。そこには、愛媛県出身の1人の日本人男性が導いた復興ストーリーがあった。

カンボジアの酒が国際コンクールで最高賞の快挙

2023年6月、フランスで開催された「KuraMaster(クラマスター)本格焼酎・泡盛コンクール2023」で、カンボジアの酒造メーカーから出品された焼酎・リキュールが4部門で同時受賞した。

写真提供:「KuraMaster実行委員会」
写真提供:「KuraMaster実行委員会」
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コンクールには8部門に世界各国から187銘柄が出品。銘柄を隠したブラインドテイスティングという厳密な審査を経て、酒造りが盛んではないカンボジアの酒が4部門で入賞したのは快挙だ。

「KuraMaster」で受賞した「ソラークマエ」
「KuraMaster」で受賞した「ソラークマエ」

受賞したのは、いずれもカンボジアの「クマエ蒸留」が製造した「ソラークマエ」シリーズで、プレステージ・コウジスピリッツ部門の「キャッサバスピリッツ(白)」と、バラエティー部門の「完熟バナナスピリッツ」の2銘柄は、最高栄誉に当たる審査員賞を受賞した。

きっかけは“復興にかけた1人の日本人”

なぜカンボジアでこのようなお酒が生まれたのか。きっかけはPKO(国連平和維持活動)に参加した1人の日本人自衛官とカンボジアの出会いだった。

元自衛官の高山良二さん
元自衛官の高山良二さん

愛媛県出身の元自衛官・高山良二さん(76)は1992年に国連PKO平和維持活動でカンボジアを訪れ、地雷処理などで現地の復興支援に当たった。その後、帰国したもののカンボジアへの思いが頭から離れず、2002年に自衛隊を退官後すぐに再びカンボジアに渡り、北西部のタサエンという小さな村で地雷処理活動を再開させた。

タイとの国境に位置するタサエンは、1980年代までカンボジア内戦によるポルポト派とベトナム軍が激しい戦闘を繰り広げた地域で、住民たちは内戦が終わった後も、広大な土地に残された“地雷”と隣り合わせの生活を送っていた。高山さんは当時のカンボジアへの支援についてこう語る。

愛媛県出身の元自衛官・高山良二さん:
2002年に定年して、ちょうど3日後にすぐカンボジアに戻って、NPOの地雷・不発弾の処理活動に当たったんですね。でも、やってるうちに地雷・不発弾の処理だけでは住民の復興はできないと気付いて。現地住民には自分たちの力で生活できるようにしてあげないといけないんです。住民たち自らが地雷を処理し、安全になった畑でキャッサバ芋の栽培を始めました。でも、その芋は隣国のタイに安く売られていた。何とかできないかと考え、芋を加工して付加価値を付けようと考え、焼酎を造ろうとなったんです。当時おばちゃん1人が安い米で焼酎を造っていて、私も自分で飲むためにおばちゃんから焼酎を買っていたんですが。このおばちゃんにやってもらおうと思って、2008年から酒造りを始めました

進む酒造り…だが新型コロナが追い打ち

売れる酒を造るために、高山さんはカンボジア人スタッフと共に試行錯誤を重ねた。そして完成したお酒は「ソラークマエ」。日本語に訳すと「カンボジアの酒」という意味だ。当時のことを高山さんはこう振り返る。

愛媛県出身の元自衛官・高山良二さん:
まず一番いいジャスミン米で焼酎を造ろうとなって米焼酎を造った。いいジャスミン米を買って焼酎を造り、このジャスミン米の中にバナナ、マンゴー、ジャックフルーツ、コーヒーのエキスなど入れていろんな変化をつけた。できたお酒をカンボジアや日本の人に飲んでもらったら「おいしい」というんですね。でも、おいしいお酒はできたけれども売るのは別。それでもプノンペンの空港や免税店で扱ってくれるようになり、ある程度売れるようになったと、さあこれからだという時に新型コロナでドン。全然お客さんがいなくなって売れなくなった

カンボジア「クマエ蒸留」の現地スタッフ
カンボジア「クマエ蒸留」の現地スタッフ

“カンボジア復興の象徴“として誕生した「ソラークマエ」。コロナ禍の厳しい時期を乗り越えると、その評判は少しづつ世界に広がり、今回の国際コンクールへの出品を勧められたという。

国際コンクール受賞で沸くカンボジア

受賞後、ソラークマエを製造した「クマエ蒸留」のソック・ミエン社長にオンラインで話を聞いた。ミエン社長は長く高山さんの通訳をしていて、高山さんと二人三脚で母国カンボジアの自立復興に思いを注いできた。

オンラインで取材に応じるソック・ミエン社長
オンラインで取材に応じるソック・ミエン社長

ーーおめでとうございます。お酒が世界的な賞を受けてどう思いましたか?

クマエ蒸留 ソック・ミエン社長:
このお酒が認められたのは信じられない。やれると思わなかった。一番うれしいことですね。カンボジア人もよかったと言ってるし、カンボジア政府もめったにないこと、今までになかったことだと喜んでいる

ーー何人の社員でお酒を造っている?

クマエ蒸留 ソック・ミエン社長:
今は6人の社員が毎日来ていますが、あと5、6人はサトウキビや芋、マンゴーなどの収穫時に追加で手伝いに来てもらっています。今回の受賞でお酒が売れれば給料が上がると、みんな喜んでます

ソラークマエに使用されるキャッサバ芋
ソラークマエに使用されるキャッサバ芋

ーー原料の芋などはすべて地雷原で栽培されたもの?

クマエ蒸留 ソック・ミエン社長:
タサエンの土地は地雷原でしたが、政府の支援などでタサエン全体の地雷原は探知をすませました。その土地で村民たちはいろんな作物を植えて2008年からソラークマエができて、みんなが作ったものを少しづつ買って、マンゴーを年間15トン、ジャスミン米は15トンくらい買いました、来年(2024年)も20トンくらい買うと思う

“復興の酒“で世界に伝えたいこと…

今回の受賞で、さらに多くの人にこのお酒を知ってもらいたい…。“カンボジア復興の象徴の酒”として高山良二さんが伝えたいこととは。

愛媛県出身の元自衛官・高山良二さん:
カンボジア人は日本製、中国製、タイ製のものは買う。でも自国の技術を信じていないので、誰もカンボジア製品は買わない。これで自立復興できるわけがない。今回カンボジア人がこのお酒を造った。これをみんなが認めて、世界で認められたんだ、と自信を持ってほしい。その意識が芽生えればお酒以外にもっといいものができる。それが本当の自立のための復興になる。私たちはカンボジア人が自立に芽生えるための少しのお手伝いをするだけ。NGO(非政府組織)の存続のための活動ではない。自立したらサポートしたわれわれは消えていかなくてはいけない。そういう宿命

ミエン社長は…。

クマエ蒸留 ソック・ミエン社長:
このお酒はおいしい。世界でも珍しい、どこにもないお酒。(カンボジアの地雷原から)酒が生まれたストーリーもあるので、ストーリーを聞きながらおいしいお酒を飲んでもらいたい。この意味があるお酒を飲んで、平和な気持ちになってほしい

日本人が導いた“カンボジア復興の酒”。地雷原から生まれたという復興ストーリーに思いをはせながら、世界平和への願いを感じてほしい。

(テレビ愛媛)

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