長野県千曲市のシャツメーカー「フレックスジャパン」が原発事故の影響が残る福島県双葉町に7月27日、工房をオープンさせた。手掛けるのは衣料品の再生。原発事故からの「再生」を目指す地域と共に歩みはじめた。

「ここだったら、やりたいことを」
福島第一原発が立地する福島県双葉町。開けた土地が広がる沿岸部の一角に、真新しい緑の建物ができた。
7月27日にオープンした「ひなた工房双葉」。千曲市のシャツメーカー「フレックスジャパン」が、新規事業の拠点として建設した。
フレックスジャパンの矢島隆生社長は、「ここだったら、自分がやりたいことをやれるのかなと思い、進出することを決めた」と話す。
進出のキーワードは「再生」。

巨大地震と津波…原発事故
2011年3月11日、巨大地震と津波によって引き起こされた原発事故。双葉町は全域が避難指示の対象となり、「全町避難」へ。およそ7000人いた住民は全国に散らばり、役場機能も埼玉県加須市へ移された。
発生から11年半がたった2022年8月30日、町中心部の避難指示が解除され、ようやく人が住めるようになった。原発事故で被災した市町村の中では、最も遅い解除だった。
規制解除から8月で1年。町内には震災の爪痕が手つかずのまま残っている。
住民登録は現在、5400人余り。駅周辺で町営住宅の整備が進んでいるが、6月末の時点で帰還したり、移住したりした住民は81人とわずかだ。

双葉町で「思い出の再生」を
そうした町に、なぜ、フレックスジャパンは進出したのだろうか。
フレックスジャパンは2021年、双葉町と協定を結び、町が企業誘致を進める「産業復興拠点」の工房を整備してきた。
会社は1940年創業で、「軽井沢シャツ」などのブランドを手掛け、オーダーシャツの製造も得意としているが、双葉町では別に「やりたい事業」があった。
それは、思い出の服をバッグや小物にリメークする「再生事業」。

フレックスジャパンは福島の短大と連携し、2022年と2023年の双葉町の新成人に、学校に残っていた紅白幕を巾着袋などにリメークして贈った。
その時、事業の可能性と双葉町で展開する意義を感じたと言う矢島社長。その理由について、次のように話す。
「私自身が思っていたよりも非常に皆さんに喜んでもらった。人の気持ちに直接つながっていくようなものを事業でやりたいと思っていて、それを双葉町との出会いがきっかけでスタートを決めた。再生の象徴の街から、衣料品の再生事業をやることになれば、皆さんに知ってもらう機会が増える」

7月21日、矢島社長は工房のオープンを前に現地の視察に訪れた。
「ものすごく、のどかな海岸線。ところがそっちを見ると、原発事故の痕が生々しくある。ここに来てきょうの現実を見るたびに、だからこそ、ここで新しいことやろうという意欲が深まる」と話し、決意を新たにした。

スタッフ「地域の方々と力を合わせ」
建物はすでに完成し、7月上旬からは本社スタッフが双葉町に入り、現地採用スタッフの研修を行っている。
工房には県外から移住してきた2人と、近くの広野町に住む1人の3人態勢で始動する。
慣れた手つきでミシンを扱うのは、埼玉県から移住した石川さん(56)。以前、ペットの服を作る仕事をしていた。
石川さんは、「ワイシャツは今回初めてで、一から教えてもらっている。ミリ単位の縫製なので、何ミリか違うだけで差が出ちゃう感じ」と、一日でも早く慣れようと研修に励んでいる。

石川さんは以前から被災地に関心があり、会社の双葉町に対する思いに共感し、移住を決めたと言う。
「再生に加わっていくことで、地域のつながりを大切にしていく気持ちがわかったので、私もついていこうと。会社と共に地域の方々と力を合わせて発展していけるように、その思いだけ」と話す。
「再生の街」で「思い出の再生」を
迎えた7月26日の竣工式。
工房のロゴには「おもいでつむぐ」の文字が記され、2枚の葉・「双葉」のイラストは、町に寄り添う姿勢を表している。

地域の再生は始まったばかり。町は「雇用の場」以上の効果も期待している。
双葉町の伊澤史朗町長は、「思い出の服を新たに違う製品に作り変えるというのは、今の時代にマッチしている究極のSDGsになるんじゃないか。街の再生も一緒にできるんじゃないかと期待している」と述べた。
矢島社長は、「物の再生というよりは思い出の再生ということを通じて、精神的な幸せ感、ありがとう感、みたいなものを増やすことができればいい。ここをフルに従業員で埋めたい。土地もさらに広く借りているので、増設できるようになればいい」と意気込みを語った。

「再生の街」で「思い出の再生」を―。
工房は7月27日、本格稼働した。
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(長野放送)