梅雨末期の集中豪雨により、島根県西部で107人もの死者・行方不明者を出した「昭和58年7月豪雨」。未曽有の災害から2023年でちょうど40年になる。災害の現場を取材したTSKさんいん中央テレビの元記者が当時をふり返り、改めて災害とどう向き合い、備えていくべきか考えた。

85%は山崩れやがけ崩れによる犠牲者

1983年7月20日から23日かけて、島根県西部を中心に集中豪雨が続いた。浜田市では、23日に1時間降水量91ミリ、1日の総降水量が331.5ミリに達するなど記録的な大雨となり、河川の氾濫や山崩れ、がけ崩れ、土石流などが広範囲にわたって発生した。

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豪雨による死者・行方不明者はあわせて107人。特徴的だったのは、その85%にあたる91人が山崩れ、がけ崩れによる犠牲者だったことだ。 

40年経っても思い出すつらい生活

1か所の土砂災害としては最も多い15人の犠牲が出た浜田市郊外の穂出町・中場地区。

この現場を当時取材したのが、TSKの元記者、小原千明さんだ。

当時の映像には、小原さんが「今、お年寄りとお子さんの遺体が瓦礫の中から見つかったようです。」と悲惨な現場を目の当たりにしながらリポートする姿も残されている。

TSKさんいん中央テレビ元記者・小原千明さん:
当時はただただ、現場の悲惨な状況をいち早く全国に伝えなくてはという一念で取材していましたが、つらい毎日だったことを40年近く経った今でも思い出します

土砂災害は…梅雨明け前日に発生

前日までの豪雨が収まり一息ついたとき、災害は起きた。1983年7月23日午後1時ごろ、浜田市穂出町を流れる周布川近くの山で大規模な地すべりが発生。

過去に一度も崩れたことのなかった裏山だったため警戒はほとんどしておらず、川の増水に気を取られていた住民にとっては”盲点”の土砂災害だったという。ふもとの住宅6戸を土砂が飲み込んだ。

皮肉にも“梅雨明け前日”の災害だった。

“胸締め付けられる思い”

TSKさんいん中央テレビ元記者・小原千明さん:
現場での取材は本当に苛烈でした。私が取材した当時の映像をみると、自衛隊員が文字通りの”人海戦術”で土砂を掘り起こしては遺体を発見し、収容していく。その光景に、我々がカメラを向けて、遺族となってしまった住民の皆さんに声をかける。本当に胸を締め付けられるような思いでした。

未曽有の災害から40年。仮に今、同規模の災害が起きたとしても、被害を軽減できるヒントがあると小原さんは指摘する。

リアルタイムの情報収集が減災に

TSKさんいん中央テレビ元記者・小原千明さん:
当時はインターネットやスマートフォンがなく、リアルタイムでの情報収集ができなかった。現場、現場で状況を判断する度合いが強かった時代です。もし、40年前に今のような情報発信、情報収集の環境があれば、穂出地区でも15人もの犠牲者を出していなかったのではという気もします。

現在では、テレビでより精度の高い大雨や土砂災害の情報を得られるようになり、外出先でもスマートフォンを使って雨雲レーダーを確認することも可能になった。一般市民でも、より具体的に災害を予測できるようになっている。「58豪雨」から40年を経た今、より高度化した災害関連情報の発信、収集が「防災・減災」につながる。

「災害は忘れたころにやってくる」何度となく耳にしたこの教訓を胸に、情報の送り手、受け手のそれぞれが災害情報をどのように行動につなげていくか、日ごろから意識を持っておくことが重要だろう。

(TSKさんいん中央テレビ)

TSKさんいん中央テレビ
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