アフガニスタン復興に半生を捧げた福岡出身の医師、中村哲さん。
凶弾に倒れてから半年が経つ。
現地で「中村のおじさん」を意味する「カカ・ムラド」と呼ばれ、慕われていた中村医師。
彼を突き動かした信念の源は何だったのか。

2019年12月。
福岡空港には、多くのアフガニスタン人がある男性医師の無言の帰国を見守った。
中村哲さん。干ばつに襲われたアフガニスタンの枯れた大地に用水路を築き、65万人もの自給自足を可能にした。

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中村医師の長女・中村秋子さん:
私の仕事中に「お父さんが銃撃されたよ」と教えてもらったのが事件を知ったきっかけでした。棺の小窓から見る父は眠っているようでした。私は少し遠目から「お疲れ様でした」と一礼するのが精一杯でした

 

中村医師が国際医療NGOの医師として、パキスタン・ペシャワールに派遣された1984年から、その活動を支え続けてきた福岡のNGO「ペシャワール会」。
今では約1万2,000人の会員を抱え、年間3億円近い寄付金をアフガニスタン支援のために運用している。
中村医師の亡き後も、ペシャワール会が歩みを止めることはない。

ペシャワール会 村上会長:
本当に大きな転換点で、中村先生の遺志をいかに継いで今後どう続けていくのかという出発点にしたいと思いますので、よろしくお願いします

「チーム中村」には多くの人が携わった

ペシャワール会 村上優会長:
「チーム中村」という表現を作っていますが、用水路というのはかなり技術的な側面があります。だから、JICAであるとか、福岡の土木コンサルタントをされている方がボランティアでチームの中に参加させていただいて、技術的な側面の検討を日本でもできるような体制にしていきました。僕は中村先生とそんなに年変わらないので、後20年なんかは生きてられないけど、僕の次にバトンタッチができるくらいまでは生きていきたいという気持ちがしますね、最近ね

現地のアフガン人スタッフとペシャワール会をつなぐ役割を担うのが会の内部組織「PMS支援室」。
現地からの報告を受けるほか、日本から指示を出している。
責任者を務めているのが藤田千代子看護師。
30年以上にわたり、中村医師の右腕としてアフガン現地で医療活動に携わってきた。

ペシャワール会 藤田千代子看護師:
「外国人はいずれ絶対に去るという確信を持ってらしたので、私たちが病院で働くときも『あなたたち(日本人)が主役じゃなくて、現地の人たちができるようになって私たちを必要じゃないという状況にならないといけない』と」

常に支援される側の目線に立つ中村医師に共感して、仕事を共にしてきた藤田さん。
再びアフガンの地で医療活動することを望んでいる。

ペシャワール会 藤田千代子看護師:
今、青年たち3人をペシャワール会が雇って、今後のアフガニスタンが平和になったら彼らが現地に行って、現地の人たちと一緒に仕事をする。私もその中に入っているんですけど。アフガニスタンは手付かずになっている状態ですよね。この栄養状態の悪い中、たぶん治療しないといけない患者さんがたくさんいるんじゃないでしょうかね

娘だからこその苦悩

中村医師が亡くなって半年…
長女・秋子さんが中村医師との思い出を振り返ってくれた。

中村医師の長女・中村秋子さん:
「昔の男はタバコを吸わないと男じゃない」とかよくわからないこと言っててですね、タバコを吸わないと大人にならないとか言っててですね。「その発想が子どもじゃない?」と言ったりですね。外食とか割と好きなんですよ

ーー外食の何が好きなんですか?

中村医師の長女・中村秋子さん:
カツカレーですかね、意外でしょ? なんか和食とか好きそうなイメージ持たれるけど。節目節目に、仕事で忙しくて日本にいないとかそういうこともあったんですけど、それでもほったらかしにされているとかそういう風に思ったことは一回もなくて

秋子さんの言葉から紡ぎだされるのは、中村医師の「父親」としての素朴な一面。
しかし、娘だからこその苦悩も抱えていた。

中村医師の長女・中村秋子さん:
「危ないんじゃない?」とか「行かない方がいいよ」とか言えなかったですね。「気を付けてね」とは言ってましたけど。(危険を)わかって現地へ行っているのに、家族まで言ったら負担にしかならないと思ったんで

そんな秋子さんもまた、一歩一歩、歩み始めている。

中村医師の長女・中村秋子さん:
変わった点で言えば、ペシャワール会に顔を出すというか。ペシャワール会に携わっていなかった分、何も知らないので一から勉強しています

志を継いだ長女の姿を、中村医師はどんな気持ちで見守っているのだろうか。
※一部画像 ペシャワール会提供

(テレビ西日本)

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