高円宮妃久子さまの母、鳥取二三子さんの葬儀が7月28日におこなわれました。
二三子さんは、7月18日午前9時49分、都内の施設で亡くなりました。
96歳でした。

久子さまは、7月17日から所用があり大阪を訪問されていました。しかし18日に鳥取さんの容体が悪化したとの連絡を受け、予定を早めて東京へと向かわれました。
久子さまから連絡を受けた、長女の承子さま、三女の守谷絢子さんと夫の慧さんが鳥取さんのいる施設に向かわれたということです。
久子さまは間に合われませんでしたが、お孫さんたちに見守られ、鳥取さんは眠るように息を引き取ったということです。
久子さまは度々施設を訪れ、大阪に向かう17日に会ったのが、最後になられたということでした。

鳥取二三子さん人生を振り返ると、そのバイタリティあふれる行動力、国際性、社交性は久子さまが見事に受け継がれているように思えます。
鳥取さんは、1927年生まれで、幼少期から外交官だった父とともにフランスで暮らすなど、フランス文化に精通しました。
商社に勤める鳥取滋治郎さんと1952年に結婚した後は、ニューヨーク、ロンドン、パリなど、長く海外生活を送っています。
1953年には、長女の高円宮妃久子さまがご誕生。
1976年に帰国すると「フランス語婦人会」に入会し、その後、会長や役員を長く務めました。

日本とフランスとの友好親善を深めるために、長年にわたって活動してきた鳥取さん。
2013年には、フランス政府から、卓越した功績を残した民間人に対し与えられるレジオン・ドヌール勲章の「オフィシエ」が授与されました。

1984年12月6日、長女の久子さまは、高円宮憲仁さまとご結婚。
早朝6時半頃に、久子さまが結婚の儀のため皇居に向かわれた後、ご両親は報道陣に囲まれ、インタビューに答えています。

ーー 久子さまから最後のご挨拶は?
二三子さん:長いことお世話になりました、ということです。
それで主人(滋治郎さん)は、無事にお務めをするようにと。
ーー少し涙ぐんでいるようにお見受けするのですが
二三子さん:やはり感激いたします。
一生懸命育ててきたつもりでございますけども、今後、宮さまのお教えをお守りして、妃殿下(三笠宮妃百合子さま)もとてもお優しい方ですので、お教えいただいて、一刻も早く生活に慣れるように努力するようにと。
ーーどんな家庭を築かれると思いますか
二三子さん:趣味も一致しておりますので、幸せな家庭を作るのではないかと。
心配する気持ちを隠すように対応していたご両親の姿には、皇室という特別な家だから、ということではなく、娘を嫁に出す親の気持ちが見えた気がしました。

久子さまも、次女の千家典子さんが2014年に結婚した際、このように記されています。
「親元で過ごした年月よりはるかに長い時を千家家の一員として生きて行くことになります。
常に感謝の気持ちと奉仕の心を忘れず、日々の務めを果たしてほしいと思います」
鳥取二三子さんの思いが、久子さまへ、そして久子さまからお子さまへと伝えられたものだと感じます。

鳥取さんは、2019年末に体調を崩し、一時、慶応病院に入院します。
入院中には、お孫さんにあたる高円宮家の長女・承子さまや三女・守谷絢子さんらが入れ替わりでお見舞いに訪れていました。
守谷さん一家は、鳥取家で二三子さんと同居していたので、お孫さんだけでなく、ひ孫たちにとっても、大好きな「おばあさま」でいらしたのでしょう。
高円宮家の人たちも、杖をついてイベント会場を歩く二三子さんのことを、いつも気にしていました。

私も、久子さまを取材する際、現場で鳥取二三子さんとお話しする機会をいただきました。
その、バイタリティあふれる口調と、誰とも親しく話す姿は忘れられません。
「妃殿下はいつもお忙しいから」と娘の久子さまを「妃殿下」と呼んでいましたが、久子さまに向けられる目は、いつも優しげでした。

葬儀は、27日にはお通夜が都内の斎場で営まれ、久子さまのほか、鳥取さんの孫に当たる承子さま、千家典子さん、守谷絢子さんが出席し、また、三笠宮彬子さま、瑶子さまも参列されました。

出雲大社の神職が葬儀を取り仕切り、喪主は千家典子さんが務めました。
ご親族として出席した高円宮妃久子さまと承子さまも、神前に進み、玉串を捧げ、二礼四拍手一礼し故人を偲ばれました。
28日の葬儀・告別式には、安倍昭恵さんほか、日本に駐在する外交団、バレエ関係者、スポーツ関係者などお付き合いのある各界から、多くの人たちが参列しました。
喪主の千家典子さんと久子さまは、弔問に訪れた方一人一人に「長い間お世話になりました」などと挨拶されていました。
一世紀近い人生を終え、鳥取二三子さんは、ご主人、滋治郎さんの元へと旅立たれました。
【執筆:フジテレビ皇室担当解説委員 橋本寿史】