太平洋戦争で約2600発もの砲弾が打ち込まれた「釜石艦砲射撃」から7月14日で78年。当時の状況を知る人たちが少なくなっている中、悲惨な事実が忘れ去られないように岩手・釜石市に住む92歳の男性が当時を語り継ぐ活動を続けている。

「女の子の泣き声が今も耳に…」

太平洋戦争が終結する1945年に、製鉄所などで軍需産業を支えていた釜石市は艦砲射撃を受けた。

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78年前の7月14日、沖合に並んだ連合国軍艦隊から約2,600発もの砲弾が降り注ぎ、町は焼け野原になった。

及川正人さん:
(砲弾を)撃たれた音よりも、陸で爆発した音のほうがすごい、地響きだから

釜石市内に住む及川正人さん(92)は当時は14歳で、住んでいた嬉石町で艦砲射撃に遭った。及川さん自身はトンネルの中に逃げ込み命が助かった。

当時の記憶を語る及川さん
当時の記憶を語る及川さん

及川正人さん:
市街地が黒煙を上げて燃え上がるんです。そこにすがって女の子が泣きじゃくる、いまだに声が残っています

及川さんは悲惨な事実が忘れ去られないようにと、市内にある戦争の関連史跡などを地図にまとめて市の資料館に寄贈するといった活動を続けてきた。

「戦争を起こすのは人類の敵」

及川正人さん:
人類の敵です、戦争を起こすことは。私はそう思っています。悲しいこと、あってはならないこと。絶対あってはならないこと。平和を守っていかなきゃならないと思います

釜石市は8月9日にも2度目の艦砲射撃があり、市が把握しているだけでも782人の命が奪われた。

及川さんは戦争を体験していない世代にも、釜石に来て、あの日起こった出来事を感じてほしいと話す。

及川正人さん:
(釜石に)訪れてほしいと思う。いかに戦争が残酷であり悲劇であるかを肝に銘じながら、これからの平和を希求してほしい

8月15日には、太平洋戦争の終結から78年を迎える。

(岩手めんこいテレビ)

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