石川県輪島市にある能登空港(愛称:のと里山空港)は2023年7月7日に開港から丸20年を迎えた。地方空港の優等生とも言われた空港は今や、コロナ禍を経て岐路に立っている。20年の歩みを振り返ったうえで、今後の空港のあり方を考える。
能登待望の空港がオープン
能登空港の歴史を考えるうえで欠かせない人物に話を聞いた。20年前、奥能登に空港を誘致しようと県のトップとして奔走した谷本正憲前石川県知事だ。

「開港記念の7月7日は土砂降りの雨。桂文珍さんが0番機で到着した。能登は首都圏からすると遠隔の地だったんですよね。能登半島には空港が不可欠だったんじゃないかと私は思いますがね」と開港当時を振り返る。

全国初の搭乗率保障制度で活路開く
過疎と高齢化が進む能登地域の活性化に向けた起爆剤として総事業費239億円をかけて建設された能登空港。今、能登と首都圏を結ぶ定期便は1日2往復あるが、実現には大きな壁があった。「2便目の就航は当時、全日空が頑として首を縦に振ってくれなかった。能登空港の場合は満席になっても135人。札幌や福岡だと500人が乗ってくれる」と谷本前知事。そこで打ち出したのが全国初の搭乗率保障制度だ。年間の目標搭乗率を設定し、上回れば航空会社が地元に販売協力金を支払う。逆に目標に届かなければ、県と地元自治体が航空会社に損失を穴埋めする制度だ。

「目標搭乗率を下回ったら税金で補填するというのはやっぱりリスクです。だけどあの時はそういう提案をしなければ2便目の就航はあり得なかった」と谷本前知事は強調する。この制度によって悲願の2往復を獲得した能登空港。東日本大震災やコロナ禍などの特別な年を除くと、過去20年目標搭乗率を下回ったことはない。逆に全日空からはこれまで1億9000万円余りの協力金が支払われた。このため能登空港は「地方空港の優等生」と高く評価されてきたのだ。

空港の利用客に話を聞いてみると「金沢に電車で行くより楽」「寝ていたらすぐ着いた」などと好意的な意見が多かった。地方空港の優等生との評価を支えた原動力は何なのか。搭乗率という数字の裏には地元住民や自治体の熱心な取り組みがあった。
年40回以上空港を利用する住民も
石川県輪島市で和菓子店を営む中浦政克さんは空港の活性化に一役買おうと、地元商店街の店主などと「能登ネットワーク」を結成し、能登空港を発着する飛行機に乗って首都圏と交流するイベントやツアーを企画してきた。中浦さんは「能登半島の育ちというのはちょっと田舎だなと思っていた。能登空港を生かして自分たちのビジネスや活動の幅を広げていきたいと考えた」と振り返る。

多い時には年に40回以上も空港を利用し、搭乗率の向上に貢献してきたそうだ。「自然の需要に任せても限界がある。毎年7月7日が成績を頂く日だから、その日が近づくにつれ石川県や輪島市も『積極的に空港を使ってほしい』と呼びかけがどんどん大きくなる」と中浦さんは説明した。
人口減少にコロナ禍…利用客は激減
さらに地元の自治体では、住民が能登空港を使って往復すると助成金がもらえるキャンペーンなど、搭乗率アップに向けた様々な政策を打ってきた。しかし宝達志水町以北の能登地方の人口は開港当時の2003年はおよそ24万人だったのに対して今年4月の時点でおよそ18万人と3割も減少した。

人口減少に比例するように、全体に占める地元の利用者数も開港時は37%だったものが2020年には8%と低迷が続くようになっている。

地元の応援団の取り組みはコロナ禍も重なって停滞し、中浦さんも2年前に団体を卒業した。中浦さんは「僕たちの時代とは変わってきた。後継者を作っていくのも僕たちの仕事なんですけど、中々うまくいってないというのが正直なところですね」と悔しさをにじませた。コロナ禍で3割にまで落ち込んだ搭乗率は、20年目の2023年は7月までの数字で言えば5割にまでしか回復していない。
関西エリアへの路線開拓が課題か
今後、能登空港をどうやって守っていくのか。谷本前知事は「私が知事の時代には残念ながら関西と能登空港の間の定期便就航は実現しませんでした。これからは関西との路線開拓が能登空港にとっては大きな課題の一つになっていくんじゃないでしょうかね」と首都圏だけでなく関西圏を結ぶ便の必要性を強調した。

能登空港は21年目に突入した。コロナ禍で休止していた搭乗率保証制度だったが、今年度から再開される見通しだ。おらが空港を守るために現状に留まらない取組みが求められる。
(石川テレビ)