「韓国の映画やドラマを見ると、わき役まで演技が上手いので驚く」

こう語ったのは、日本で30年以上活躍するベテラン俳優だ。韓国では、2019年から公立の小中学校・高校で演劇の授業を導入している。演劇教育は子どもたちの成長や今後の韓国の舞台芸術・映像文化にどんな影響を与えるのだろうか?その授業を現地で取材した。

ソウル市内にあるタンゴック公立高校(中央は筆者)
ソウル市内にあるタンゴック公立高校(中央は筆者)
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「心を無にして風を感じてみましょう」

 

「いま目が見えない人は何も考えないで、導くパートナーだけを頼って歩きましょう」

筆者は6月、ソウル市内にあるタンゴック公立高校を訪れた。

当日取材した2年生の演劇の授業では、約30人の生徒が、アイマスクをして目が見えない人とアイマスクをしていない人に分かれた。そして見える人と見えない人がペアとなって、教員の指示のもとに見える人が見えない人を導きながら教室内をぐるぐる回った。

授業ではアイマスクをした生徒としていない生徒がペアになった
授業ではアイマスクをした生徒としていない生徒がペアになった

教員はさらにこう続ける。

「目が見えなくて怖いですが、心を無にしてみましょう。上から吹くエアコンの風や、当たった壁を感じてみましょう」

授業の序盤はペア同士がぶつかっていたが、徐々に慣れると動きがスムーズになった。そしてパートナーを交代して、また同じ動きが繰り返された。 

生徒たちの動きが徐々にスムーズになる
生徒たちの動きが徐々にスムーズになる

この“実技指導”が終わり、座学になると教員は生徒にこう語った。

「目が見えないときの感じ方は、舞台の上にいる状態と同じです。舞台では目で見るより感じることが大切です。視覚に頼らず『生きている』ことを感じる。そう感じるかどうかで、生きている演技か、わざとらしい演技かに分かれるのです」

演劇の授業は、2年生は演技のみ学び、3年生になると脚本も学ぶそうだ。

演劇を通して生徒は自己表現が上手に

このタンゴック高校は、1984年に設立され現在生徒数は740人。演劇の授業は2019年から始まり、授業は選択制。現在3クラス(2年生2クラス、3年生1クラスで生徒数87人)が週3コマの授業を行っている。

近年、韓国の公立高校では、生徒が大学のように教科を自由に選択できるようになった。

この学校では2018年から選択科目制度が導入され、現在文系・理系は無い。1年生は必修科目のみだが、2年生からは必修科目のほかに60科目から10科目を生徒が選択できる。選択科目には、心理学や健康について学ぶ科目などもある。

キム・セヨプ校長(左)とホン・ヨンテク教頭
キム・セヨプ校長(左)とホン・ヨンテク教頭

キム・セヨプ校長によると、学校では演劇や映画の分野に進む生徒が多いという。

「もともと演劇や映画業界は、専門学校に通ってから就職するのが一般的でしたが、今は普通高校でも授業で体験し、自分の適性を判断してから進路を選べるのでいいことだと思います。また演劇を通して生徒は自己表現が上手になりました。年に一度文化祭をやりますが、レベルの高さにびっくりしますよ。学校では選択科目制としたことで生徒の満足度も高くなり、皆のびのびと明るくやっていますね」

「子どものころから演劇に憧れていた」

演劇の授業後、生徒に話を聞こうとすると、クラス全員が取材を受けたいと手を挙げて筆者を驚かせた。

チェ・ジオさんは「演劇の授業では日常的に感じない感情に集中できる」と答えた。

「今日の授業ではパートナーを信頼することで、感覚が拡大したように感じました。いまメディアの授業も受けているので、将来は記者の仕事をしてみたいです」

インタビューしたパク・ソハさん(左)とチェ・ジオさん(右)
インタビューしたパク・ソハさん(左)とチェ・ジオさん(右)

パク・ソハさんは「子どものころから演劇に憧れていた」という。

「自分で脚本を書いたり舞台の企画をしたりしていたのですが、授業を受けてから新しい世界が広がってすごく楽しいです。今日の授業も先生の指導がすごく良くて、パートナーを信頼することを学びました。将来は観光文化のコンテンツを制作する仕事をしたいですし、メディアにも興味があります!」

生徒は楽器を3つ習得して卒業する

イ・テクキさんはふだん俳優として活動
イ・テクキさんはふだん俳優として活動

演劇を指導する教員のイ・テクキさんは、ふだんは俳優として活動をしながら脚本や舞台の演出もしている。当日の授業の狙いについてイさんはこう語る。

「日常的によく使う感覚を遮断すると他の感覚が研ぎ澄まされます。授業ではアイマスクで目を隠して、耳と鼻の感覚を覚醒させました。私は生徒を自由にさせるのが好きで、授業中でも寝たい子は寝ればいいし携帯を触るのも自由にやらせています。ほかの学校の生徒は戸惑っていましたが、この学校の生徒は適応が早いですね」 

音楽の授業は合唱など科目が細分化されている
音楽の授業は合唱など科目が細分化されている

タンゴック高校の音楽の授業は、2019年から科目が合唱、演奏、音楽鑑賞、批評に細分化され、教員のほかにピアニストや作曲家などの専門家も講師として招いている。

音楽教員のイ・ギョンヒさんは「この学校の生徒は楽器を3つ習得して卒業します。また合唱や合奏によって生徒は共同作業を学ぶのです」と語る。

音楽教員のイ・ギョンヒさん「生徒は卒業までに3つの楽器を習得」
音楽教員のイ・ギョンヒさん「生徒は卒業までに3つの楽器を習得」

演劇教育は子どもの表現力を高める

韓国政府は、演劇教育を「生徒たちの人文学的素養を育て、人格教育に適している」と2019年から小中高校に導入した。また、大学では映画や演劇に関する学部が95程度あり(2020年時点)、映像・映画業界の人材が厚い理由の一つだと言われている。

今後教育現場で演劇の活用が益々注目されるだろう
今後教育現場で演劇の活用が益々注目されるだろう

芸術文化観光専門職大学の平田オリザ学長によると、演劇教育はこれまでも情操教育によく、表現力を高めるといわれてきたが、最近は他者理解や合意形成を学ぶ点で注目されているという初等中等教育から演劇を学ぶことは、子どもたちの成長にもよい影響を与えるはずだ。

日本でも、福島の県立ふたば未来学園でPBL(Project Based Learning=課題解決型学習)に演劇の手法を取り入れるなどしており、今後教育現場で演劇の活用が益々注目されるだろう。

(執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款)

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。