“北海道胆振東部地震”から5年。大きな被害を受けた厚真町では2023年度いっぱいで大型の復旧事業がほぼ完了する見込みだ。一方で、まだ癒えない傷も残っている。

胆振東部地震から5年

「顔見知りの人たちがたくさん亡くなって、また悲しみがこみ上げてくる。本当に頑張って生きていかなければならない」(追悼式の参列者)

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5年前の9月6日午前3時7分、最大震度7を観測した胆振東部地震が発生。44人が亡くなった。

最も被害の大きかった厚真町では大規模な土砂崩れが発生し、37人が犠牲に。あれから5年。

防災工事で使う土の保管場所となっていた、厚真町の一部の農地の復旧作業が11月に完了する見通しが立ち、地震から5年の節目に農地が地震前の規模に戻ることとなった。

しかし、ここに至るまでにはある苦悩も。

進む復興には“課題”も

「災害救助法の適用期間は、2年間しかない。2年の間に仮設住宅を解体する」(厚真町 宮坂尚市朗 町長)

厚真町では仮設住宅が153戸建設され、183世帯514人が入居。当時の町の人口の1割以上が入居したことになる。しかし、利用できる期間は最長で2年3カ月まで。

その間に自宅を再建するのか、あるいは公営住宅に入居するのかなどの決断が町民には迫られる。

厚真町で農業を営む佐藤泰夫さん。自宅が被害を受け、仮設住宅に入居した。

被害を受けた水田の復旧など農業の再建を第一に考えていたため、住居のことは二の次になっていたという。

「2年間余裕あるなと思った。いろんな手続きだとかあって、あっという間に1年過ぎた。それから『さぁ住宅をどうする』と考え始めた。あと1年しか仮設住宅にはいられない」(仮設住宅に入居していた 佐藤泰夫さん)

結局、佐藤さんは自宅の再建をあきらめ、中古住宅に入居することを決意。

仮設住宅からの退居は、一番最後となってしまった。

「少なくとも、もう1年あれば、もう少しゆっくりと考えられた」(仮設住宅に入居していた 佐藤さん)

国により特定非常災害に指定されると、仮設住宅の入居期限が延長可能となる。

そのため、胆振東部地震と同じ最大震度7を観測した、2016年の熊本地震は特定非常災害に指定され、仮設住宅の使用が4年間延長されている。

しかし、死者行方不明者の数や全壊家屋数などの基準があり、現在までに7件しか指定されていない。

冬の北海道には“制約”も

「我々は相当踏ん張った。せめて3年にしてほしい」(厚真町 宮坂町長)

当時、被災者の住まいの再建を担当していた町の職員も。

「まだ支援制度もはっきりわからない中で、本当に自分が家を建てられるかどうかもわからない。そんな状況で『災害公営住宅に入るかどうか決めてください』というのはかなり酷な質問だったと思う」(厚真町 まちづくり推進課 小山敏史さん)

北海道の場合、冬の間は建物の基礎工事が難しいなど制約があり、住宅の再建には時間を要する。

災害時の支援制度に詳しい専門家は、全国一律の規定に疑問を投げかける。

「地域の状況を見たら(期限が)2年3カ月では無理なパターンもあったはずだが、そのような期限を設けていたところに問題があった」(関西大学 社会安全学部 山崎栄一教授)

法律の改正により2022年度から都道府県や政令指定都市の判断で使用延長が可能となったが、国からの経済的支援は打ち切られる。制度そのものの見直しが必要だという。

「北海道などの寒冷地では、最初から半年間(期限を)延長するなど制度設計が必要」(関西大学 山崎教授)

“癒えない傷”…それでも歩み続ける

中古住宅に移り住んだ農家の佐藤さん。地震の前は、コメとホウレンソウなどの野菜を作付けしていた。

隣に住んでいた、いとこの正芳さんは土砂崩れで亡くなった。

遺品のショベルカーで復旧作業を行い、コメは被災前の規模に戻ったが野菜はまだほど遠い状況。

「(Q.これが埋まっていた?)埋まっていた。コンクリートだから、正芳の住宅の基礎では。かなり捨てた。トラック2台分ぐらい。本当は元の自宅を休憩所にすればいいかなと思うが、休憩できるような心境にはならない。時間が解決してくれるというが、ただ、ふたをしてるだけ」(佐藤さん)

胆振東部地震から5年。厚真町の大型の復旧事業は2023年度でほぼ完了する見通しだが、いまだ癒やされない傷は残っている。その中で、町民は歩み続けているのだ。

(北海道文化放送)

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