“まいごのまいごのこねこちゃん。あなたのおうちはどこですか?”童謡「いぬのおまわりさん」。この歌を知らない人はいないだろう。この誰もが知っている作品を作詞をしたのは大分県出身の童謡・童話作家、佐藤義美。義美が生前語っていた“まいごのこねこ”の意味とは。
モダンで自由を愛した詩人、佐藤義美
「いぬのおまわりさん」の作詞をしたのが、大分県竹田市出身の童謡・童話作家佐藤義美。義美は明治38年(1905年)の生まれ。旧制竹田中学に通っていたが、父親の仕事の関係で15歳で横浜に。その頃から童謡を作り始めている。
児童文芸誌やテレビ、ラジオの歌番組のために、義美は300近い童謡や童話を残した。63歳で亡くなるまで、自分が信じる童謡を自分自身のことばとリズムで書き続けた。

佐藤義美記念館の稙田誠さんは「義美さんはモダンで、また自由を愛した詩人だったんですけども、作品の中にもそうしたものが反映されていると思います」と話す。
童謡を作ることは楽しいけれども、私自身が満足する作品は少ない…創作に命を懸ける生粋の芸術家肌の詩人だった。

あの歌もこの歌も…義美の作品
大分県竹田市の豊後竹田駅近くにある佐藤義美記念館は、義美が晩年を過ごした神奈川県逗子市の建物を再現したもの。中には数々の作品が展示されている。この記念館が誕生して、今年ちょうど25年になった。

「グッドバイ」は初期の代表作。20歳の頃の作品。「アイスクリームのうた」は55歳の時の作品。
「いぬのおまわりさん」も昭和35年、55歳の時の作品。「チャイルドブック」昭和35年10月号で発表された。

「まいごのこねこ」の意味
「まいごのこねこ」については、さまざまな解釈が論じられている。義美自身は生前、興味深いことを語っていた。
佐藤義美の内弟子で、公私に渡って義美を支えた童話作家の稗田宰子さん。この記念館を建てて、名誉館長を務めた。生前、義美は稗田さんにこんなことを言っていたようだ。
「生前、稗田さんに対して、迷子の迷子の子猫ちゃんって言うけども人間もみんな迷子じゃないのかなと。そういうふうに、つぶやかれたというふうに聞いてます」(佐藤義美記念館 稙田誠さん)
「まいごのこねこ」は歌詞の上では、ちゃんと戻れたのか明らかになっていない。ただ、絵本の挿絵ではどうやらお母さんの元に戻れたようには描かれている。

記念館のシンボルキャラクターは
「人間この世に生まれてきて生きていく過程で、あの道かなこの道行こうかなとずっと迷っていく、いかざるを得ないと思うんですけども。迷子の子猫ちゃんというのは、そうした人間の宿命のようなものを象徴しているのではないかなと。そういうふうに私は思っています」(佐藤義美記念館 稙田誠さん)
この記念館にはシンボルキャラクターがある。「いぬのおまわりさん」から生まれた。「人間もみんな迷子じゃないのかな」と語った佐藤義美。記念館には、もうまいごじゃない佐藤さんちのこねこが来館者を迎えてくれる。
(テレビ大分)