「邪馬台国」。この国がどこにあったのかという論争が再び盛り上がっている。

長年調査できなかった「謎のエリア」を調査

「世紀の大発見なるか?」と2023年6月のはじめから進められていた吉野ヶ里遺跡の発掘調査。

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今回の調査対象地域は、弥生時代中期の王たちが埋葬されたとされる北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)の西側で、神社が建っていたため、長年調査できない「謎のエリア」となっていた。

そのエリアから見つかったのは、弥生時代後期・邪馬台国時代の有力者の墓とされる「石棺墓(せっかんぼ)」だ。6月14日、この石棺墓の調査が終了した。

佐賀県・山口祥義知事:
「鏡」とか「刀」とか副葬品が残されていれば、被葬者の身分、社会的地位、埋葬された時代が、より確定できたかと思うと残念

関係者が大いに期待した副葬品などは発見されなかったが、佐賀県は、石棺墓で赤い顔料が見つかったことや規模の大きさなどから、「邪馬台国時代の有力者の墓であることが裏付けられた」と発表した。

今回の調査で、邪馬台国論争に進展はあったのか?

吉野ヶ里遺跡の発掘調査に関わる考古学者・高島忠平さん:
近畿説に対する一方の九州説、それも吉野ヶ里説があるわけですけど、全体の様子が明らかになっていく点では、今回の発掘は意義がある

まだ発掘されていないエリアが4割ほど残っていることから、吉野ヶ里遺跡の発掘調査に関わってきた考古学者の高島さんは、九州説につながる有力な証拠が今後出るのではないかと期待している。

そんな中、卑弥呼がいた「邪馬台国」が福岡に存在したいう説があるという。

「墓」に「鏡」…邪馬台国は福岡に?

訪れたのは福岡・香春町の歴史資料館。香春町を含む田川市郡8市町村の田川エリアに邪馬台国があったのではないかというのだ。

田川広域観光協会・永原譲太郎さん:
香春町では、「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」が発見されています。弥生時代後期だろうと言われている鏡になります。弥生時代後期というと、まさに卑弥呼が住んでいたと言われる時代の鏡ということになります

「内行花文鏡」とは、邪馬台国の女王卑弥呼が生きていたとされる弥生時代後期の銅鏡だ。

田川広域観光協会・永原譲太郎さん:
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、卑弥呼に100枚の鏡を送ったという話が出てきます。これは後漢式境ですから、まさに卑弥呼がもらったうちの1枚かもしれない

中国使節団の邪馬台国への行程などが記された中国の歴史書「魏志倭人伝」には、「銅鏡百枚」が邪馬台国の女王卑弥呼に送られたことが書かれている。そして100枚のうちの4枚が香春町で発見されているという。

田川広域観光協会・永原譲太郎さん:
私たちはこの田川エリアに邪馬台国があったと考えています

なんと邪馬台国が田川エリアに!? さらに…。

田川広域観光協会・永原譲太郎さん:
もうひとつ見てほしいものがあります。「箱式石棺墓」です。これは吉野ヶ里もふたに赤い朱が塗られていたという話があったけど、まさにこの墓も内部が赤く塗られていました

今回、佐賀・吉野ヶ里遺跡の発掘調査でも石棺墓が見つかっている。その墓の中から赤い顔料などが見つかり、佐賀県は「邪馬台国時代の有力者の墓であることが裏付けられた」としているが、実は、この香春町の石棺墓の内部からも発見当時、赤い顔料が見つかっていたのだ。

ーーこの「石棺墓」と「銅鏡」と、いろいろそろってワクワクしますが、ほかに何か卑弥呼につながるものは?

田川広域観光協会・永原譲太郎さん:
実はですね、隣の赤村に卑弥呼が眠っているのではないかと言われている場所があります

ーーえっ! 卑弥呼が眠っている? それが赤村にある?

邪馬台国の女王、卑弥呼の墓が赤村に!? 取材班は、香春町に隣接する田川郡赤村へ向かった。卑弥呼が眠るその場所とは?

“前方後円墳”も存在? 自宅庭からは“弥生土器”の破片も…

「卑弥呼が眠る墓」の場所を横から見ると、何も変哲もない丘が広がっていた。

田川広域観光協会・永原譲太郎さん:
これが卑弥呼が眠るかもしれない場所。これは地元では前方後円墳と言われてますけど

しかしドローンの映像に現れたのは、前方後円墳型らしき丘だった。この丘は、いまだ正式な調査がされておらず、古墳と認められていないが、前方後円墳の特徴である鍵穴の型をしていて、全長は約450メートルある。

大阪・堺市にある日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」の全長486メートルに次ぐ大きさになるという。

田川広域観光協会・永原譲太郎さん:
「仁徳天皇陵」に次ぐ大きさとなりますので、日本で第2位ということになります。(その意味?)それは、邪馬台国がこの地域にあったということになると思います

さらに、卑弥呼の墓ではないかと自信を持つ理由があるという。

田川広域観光協会・永原譲太郎さん:
この後円部の円形部分ですね、直径約150メートルです。卑弥呼の墓も、約150メートルだと言われています。この後円部がその大きさにあたります。それで卑弥呼の墓ではないかということです

中国の歴史書「魏志倭人伝」には、卑弥呼の墓の直径は「径百余歩」と記されている。つまり150メートル前後の長さ。赤村の丘の後円部は、直径約150メートルとみられることから、書物の内容とほぼ一致する。

そして、取材を進めると驚くべき事実が…。

卑弥呼の墓とされる土地の一部を所有する広瀬喜一さんは、自宅の裏にある卑弥呼の墓とされる場所である物を発見した。

卑弥呼の墓とされる土地の一部を所有する広瀬喜一さん:
タケノコ掘り、長いので掘るんですよね。深い所を掘ると先に当たったらしくて、カチッと土器が出てきた

なんと、弥生土器の破片などが地中深くから出土したというのだ。

卑弥呼の墓とされる土地の一部を所有する広瀬喜一さん:
地中から出てきた土器です。(専門家の方から)卑弥呼がおったときの土器だと聞いています。信用しています

自分の土地に卑弥呼が眠っている。これが本当であれば世紀の大発見だ。

今回の吉野ヶ里での発掘調査では進展がみられなかった邪馬台国「論争」だが、邪馬台国は近畿か、九州か、それとも福岡か? 古代ロマンはまだまだ続きそうだ。

(テレビ西日本)

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