ハンセン病の元患者たちは、国の誤った政策で強制的に隔離され、社会から差別を受けてきた。療養所のある鹿児島・鹿屋市でこのほど、ハンセン病の市民学会が7年ぶりに開かれた。元患者の高齢化が進み、歴史の風化も懸念される中、二度と差別を繰り返さないために関係者は今、何を思うのか?ハンセン病を語り継ぐことについて考える。

隔離によって増長された差別や偏見

5月20日、鹿児島・鹿屋市にあるハンセン病療養所「星塚敬愛園」の見学会が行われた。「母の胸に抱かれることなく旅立ったあなた達へ」と刻まれた石碑の前で参加者に語られたのは、ハンセン病の歴史を象徴する悲しい出来事だった。

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関係者:
(ある入所者は)麻酔もしないで堕胎させられた。そして気絶をした。しばらくして頬をたたかれ目を覚ましたら「かわいい女の子だよ」と見せてくれた。そのまま(赤ちゃんの)口を押さえて、向こうに連れて行った

子どもを作ることが許されなかった入所者たち。「星塚敬愛園」の園内にある石碑は、強制的に中絶させられ、生まれてくることが許されなかった子どもたちの慰霊の場所だ。

ハンセン病は「らい菌」による感染症で、皮膚に斑点ができたり、放置すると体が変形したりする病気。感染力は比較的弱い上、昭和20年代には特効薬が開発されたにもかかわらず、国は戦前からの隔離政策を続けた。隔離によって増長されたのは、患者への差別や偏見だった。

ハンセン病の元患者・小牧義美さん(92)は、17歳の時にハンセン病と診断され、宮崎県から星塚敬愛園に連れてこられた。

ハンセン病の元患者・小牧義美さん:
トラックに鹿屋の駅から乗せられて、看護師に「あそこが敬愛園ですよ」と言われた。もう逃げようと思って包みを持っていたが、それを投げて飛び降りようとしたら見つかって止められて、仕方なく敬愛園のトラックでみんなと一緒に入ってきた

そう語る小牧さんは入所後、何度か施設から抜け出したという。一度、宮崎の実家に戻り、働いた時期もあったが、外の世界で目の当たりにしたのは社会の差別だった。

ハンセン病の元患者・小牧義美さん:
大工見習いとして勉強していたが、おふくろが「もう仕事をやめてくれ」と。「お前がウロウロすると世間の人が騒ぐ」と(言った)。

小牧さんは敬愛園に戻った。その後、強制隔離の根拠となった「らい予防法」が1996年に廃止され、2001年には熊本地裁が国の隔離政策の過ちを認めた。さらに2019年には、元患者の家族が受けた差別被害も認定された。ハンセン病を取り巻く社会の動きは前に進んでいるように見える。

鹿屋市で7年ぶりに開かれたハンセン病の市民学会
鹿屋市で7年ぶりに開かれたハンセン病の市民学会

5月にハンセン病の市民学会が、7年ぶりに星塚敬愛園のある鹿屋市で開かれた。そこで訴えられたのは、ハンセン病への差別や偏見は「今も消えていない」ということだった。

学会では岡山県のハンセン病療養所・邑久光明園の青木美憲園長が「葬式にも出られない。遺骨を持って帰ると『この人は誰だ』となるので、持って帰れないという状況が今でもある」と訴えた。

敬愛園には納骨堂がある。社会の差別を恐れ、家族から引き取られなかった入所者の遺骨の8割近くが納められている。実は、小牧さんの母親・ツマさんもハンセン病で強制隔離され、敬愛園でその生涯を閉じた。

ハンセン病の元患者・小牧義美さん:
何で分かってもらえないのかな。「どこで生活してもいい」と聞いたが

進む高齢化…語り継ぐべき歴史

星塚敬愛園の入所者は現在68人。2013年より100人以上減った。平均年齢も89.3歳と高齢化が進み、ハンセン病の歴史の風化が懸念されている。

そんな中、敬愛園の社会交流会館で学芸員として働く原田玲子さん(52)はハンセン病を語り継ごうとしていた。見学者に「介護作業といったことも、患者の手によって行われていました」と説明する原田さん。講演会でハンセン病の元患者と知り合ったことがきっかけで、2021年に三重県から鹿児島に移住し、星塚敬愛園で働いている。

星塚敬愛園 社会交流会館 学芸員・原田玲子さん:
(ハンセン病の話は)現実にこんなことがあったんだと最初は信じられなかったが、知れば知るほど、きちんと伝えていかなければいけないと思った。星塚敬愛園で働きたいと思った

見学者にハンセン病の歴史を伝え続ける原田さん。涙ながらに次のように訴えた。

星塚敬愛園 社会交流会館 学芸員・原田玲子さん:
家族は私たちの目が怖い。「いつ私たちから差別されるんだろう」というのが、今も怖くて、隠れて暮らしている人も多いと思います。だから私たちがきちんと啓発をして、正しい知識を身に付け、学んで行動していく。これが一番重要だと思います

現代でも飛び交う「隔離」

入所して75年になる小牧さんが最近、胸を痛めたことがある。ハンセン病と同様患者に偏見の目が向けられた新型コロナウイルスのことだった。

ハンセン病の元患者・小牧義美さん:
テレビで放映されていたが、コロナ患者が近所に出て「早くどこかに連れて行って隔離してくれ」と(いう話を聞いた)。間違っているなと思って。あまりにもひどいなと思いながら聞いていました

現代の感染症ですら、社会で飛び交った「隔離」という言葉。だからこそ、小牧さんは「差別の原点」ともいえるハンセン病を語り継ぐ必要性を訴える。

ハンセン病の元患者・小牧義美さん:
きちんと教えてあげて、大人になった時に子どもがちゃんと思い出せるように話していけばいいと思う。後世に残すもの、大事なものがある。ハンセン病はどういうものかをちゃんと知ってもらいたい

差別の歴史を二度と繰り返さないために。関係者が願うのは「ハンセン病のことを知ってほしい」ただそれだけである。

(鹿児島テレビ)

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