アメリカ・ニューヨークを拠点に活躍する日本人ストリートアーティスト、Dragon76さん(本名・藤田智さん)が6月8日、世界貿易センター(WTC)の駅ビルの一角で、目をひく壁画を完成させた。ここは世界のアーティストが壁画を手がける有名スポットだ。制作過程を取材した。

「ペア作品」は幻に…しかし“大チャンス”到来
「いいニュースと悪いニュースがあるって言われました」
Dragonさんにとって思い入れのある作品が5月のある日、灰色の壁になっていた。2018年にWTCから依頼を受け、近くの公園で制作した壁画だった。馬で旅をする男性が空を見上げながら故郷に思いをはせる姿が描かれていた。

渡米して2年目、日本が恋しかった頃に手がけた作品で、管理しているWTC側から連絡を受けた時は「うわぁ、もう消えるんや」とさみしさを感じたという。もともとは「男性版」と「女性版」の2つの作品で「ペア」にする構想だった。

その願いはかなわなかったが、同時に飛び込んできた「いいニュース」は、表通りから見える大きな壁面で制作する新たなチャンスだった。新しい世界貿易センタービルが真横にそびえ立つ絶好のロケーションだ。
夫婦二人三脚で地道な作業 “落書き”も重要な工程
壁画は5~6年残ればかなり長い方だという。Dragonさんも、別のアーティストの壁画の上に作品を描く。ストリートアートの運命だ。

5月の晴れた日。普段描く壁画とは異なり、今回はシャッター状の壁面で凹凸があるため、たまったホコリを拭き取る地道な作業から始まった。作品が長持ちするよう、白いスプレーで下地作りも丁寧に行う。
表面が凹凸している分、スプレーペイントも2~3倍必要になってくる。妻の綾子さんも手伝い、夫婦二人三脚だ。

綾子さんがリフトを一番高いところまであげて、せっせとスプレー缶を動かす。一見、落書きのようにみえるが、これは大きな壁画を描く際に目印になる重要な作業のひとつだ。ランダムのようで、規則的。目印は文字でも絵でも何でもいい。コミカルな「おにぎり」の絵や「わーとれ(WTCの意)」の文字などが並んでいく。「“女子女子”しているでしょ」とDragonさんは目を細める。
「美しい」「ありがとう」様々な人たちが共感
5月21日、モチーフの女性の左目から描き始めたDragonさん。女性の顔が半分もできあがらないうちに、人々の目はくぎ付けだ。始めたばかりだが、多くの人が足を止めて声をかける。「It’s beautiful!(美しい!)」「Fantastic!(すばらしい!)」

作業開始から5日後、一気に華やかさが増した。

「私のルーツの人物をやっと誰かが描いてくれた!ありがとう!」
そう叫んで立ち去ったのは、アメリカ先住民系の女性だった。また、通りがかった中国系の女性は「漢字で『愛』と書かれている……すごく美しい」と話し、写真に収めた。

さまざまな人が共感する作品作りには、Dragonさんのテクニックがある。
「あんまり人種を限定しないように、どの人種にも取れるように」
確かに、羽根の頭飾りでアメリカ先住民には見えるが、見ようによってはアジア系にもアフリカ系にも見える。未来を描いているようで、過去を象徴する要素もちりばめられている。

「こう好きとか、こう思ったとか、すごくいい言葉をかけてもらえるので、その度にちょっと手は止まったりするんですけれど、すごく嬉しい。すごく幸せというか。毎日描いてて、こんな楽しいものはないんで……それをかみしめてやっています」
「一体感が生まれるような絵を」
6月7日、カナダの山火事による煙でニューヨーク市の大気の指数が1960年代以降最悪を記録し、火星のようなオレンジ色の空の元で制作を余儀なくされた。

今回の制作では途中でリフトも故障し、最後までハードル続きだったという。そんな苦難を乗り越え8日、最後に署名をして作品を完成させた。

「ニューヨークは色んな人種や国籍、アイデンティティーを持った人が集まってくる場所なので、色んな色を使って、色んな文化がミックスしたような絵を描きたかった。何か、一つになれるような、一体感が生まれるような絵になればいいなと」
ポジティブなオーラを発する作品に引きつけられ、日本を含め、制作の依頼が相次いでいる。街中で思いがけずDragonさんの作品に出会う機会が今後、増えそうだ。
(FNNニューヨーク支局 弓削いく子)
【関連動画】
ストリートアーティストDragon76が語るMURAL(壁画)への思い 制作現場に密着