そろばんを作り続けるため、どんなことをしているのか、取材して頂けませんでしょうか?
そろばんを作っている最後の1社です
こんなメールが、FNNプライムオンラインの編集部に送られてきた。送り主は、兵庫県小野市に本社を構える1909年創立のそろばんメーカー「株式会社ダイイチ」の宮永信秀社長だ。
そろばん(算盤)を作る最後の一社とはどういうことなのか?
ダイイチがある小野市は「播州算盤」の生産地として知られており、そこで作られる「算盤」は全国ナンバーワンのシェアを誇っているそうだ。
1976年には、「播州算盤」が通商産業省(現・経済産業省)の「伝統的工芸品」に指定されたが、電卓の普及などで徐々に需要が減少。
すると、「算盤」を作っていたメーカーの中から、今まで培った技術を活かして「珠のれん」が登場し昭和に大ヒットしたが、今では「木珠のれん」を作る会社は、小野市の「ヒョウトク」だけになってしまったことを以前編集部で取材した。
その中で「ヒョウトク」に、現在の算盤産業について聞いたところ「今、算盤だけを作っているところは1社」という話があり、記事を見た「ダイイチ」の社長が自社のことだと連絡をしてきたのだ。
(参照記事…あのジャラジャラって何のため?昭和世代には懐かしい「珠のれん」…最後の製造会社に聞いた)
「算盤メーカー」なのに自分で作らない会社も
小野市の播州算盤工芸品協同組合のサイトを見たところ「ダイイチ」も含め4社の名前が並んでいるが、全盛期と比べた算盤産業の現状はどうなのか?
「最後の1社」だというダイイチは、算盤を作り続けるためどんな努力をしているのか?
「株式会社ダイイチ」の5代目社長の宮永信秀さんに聞いた。
――組合のサイトで4社紹介しているが、なぜ「算盤」を作る最後の一社なの?
ウチ以外の3社は、今では家具やインテリア雑貨などを作っているんです。
「播州算盤工芸品協同組合」は「算盤」と「工芸品」とで分かれていて、ウチは「算盤」で、他の会社さんは「工芸品」部門なんです。この間の記事の中で「ヒョウトク」さんがおっしゃっていた「今、算盤だけを作っているところは1社」っていうのは、ウチなんです。
組合の中で算盤を作っているのはウチだけなんですが、日本国内では算盤を作っている会社は他にもあります。
――では「播州算盤を作っている最後の会社」ということ?
それはちょっと違うんです。ウチでは算盤を作っていますが、算盤の「玉」は作っていません。
算盤作りというのは四つの部門に分かれていて、「玉削り職人」「玉仕上げ職人」「ヒゴ竹職人」「組立職人」がいて、それぞれが全く別資本で成り立ってるんです。ウチは4番目の「組立」で、やっぱり最終的に組み立てているところが「算盤屋」とか「算盤メーカー」と呼ばれています。
このような「算盤メーカー」は、東京に2社、大阪に1社、兵庫にウチともう1社、島根に2社あります。ただし、ウチと島根の2社以外は、実質的には自社で作ってない、職人を雇ってるわけでもないんです。メーカーが組立職人に材料を支給し、1丁あたり幾らの工賃を払っているので、要は問屋みたいなものなんです。
――というと「兵庫県で算盤を作っている最後の1社」ということ?
そうなりますね。
需要減少の理由は消費税の導入
――算盤の最盛期と現在の生産数はどのぐらい?
ウチの会社は全然そういう資料とか持ってなくて…。小野市としての最盛期は昭和35年ぐらいで、年間350万丁ぐらい。1日1万丁ぐらい作っていたそうです。
最近、市役所が調査したのでは、だいたい年間7万丁とかかな?ただし、さっき分業の話をしましたが、島根では「組立」以外が途絶えてしまい、玉はこの辺りから買っているんです。
つまり市役所が調べた数も、小野市で作られた「算盤」の数ではないんです。
――今ダイイチではどのぐらい作っている?
算盤塾向けの23桁の製品だと年間約1万4000丁ぐらいです。
ウチは、カラフルな小さい算盤も作っていて、どこまで含めるかで答えが全然変わってくるんですけれど。
――算盤の需要が減少した理由は?
やっぱり消費税の導入です。
僕が小学生の頃は駄菓子屋さんにいくと、おっちゃんが算盤で会計してくれたんですけど、ある日突然、金額に1.03を掛けることになったんです。
算盤の掛け算は、足し引きほど簡単ではなく、やや専門的なんですよ。だからどんどん電卓に変わっていて、そうこうするうちにコンビニができたら、みんなレジがバーコードになっていったんです。
ずっと、算盤で計算してたおっちゃんがいきなり電卓を使いだしたのは、もう衝撃でしたね。
それまでは家でもお店でも会社でもどこでも計算する道具といえば元々算盤が当たり前だったんですけど、消費税の導入や電卓の普及など、徐々に算盤では不便な世の中になってきて、今では算盤は計算する道具としての役目を完全に終えて、子どもたちの勉強の道具になっています。
若い職人が8人も!算盤の今後は?
――ダイイチはなぜ算盤作りにこだわり続けている?
僕は今まで100年以上続いてきてる会社の5代目なので、やっぱりそれを僕の代で終わらせてしまうようには絶対にしたくないんです。
算盤がなくなるのは、イコール、ウチの会社がなくなるに等しいことなんですが、算盤を作る職人はすごく高齢なんですよ。「玉削り職人」さんだと63~4歳、「組立職人」は70~80歳。それであと10~15年経ったときを考えたら、ほとんどの方が引退されてるんじゃないかと思います。
その中でウチは生き残っていきたいので、今、若い人を職人にしています。上から言うと、工場長でもある僕の弟が35歳、その下に26歳、23歳、21歳が3人、17歳が2人。21歳の2人は今年の4月1日から加わったんです
――すごく若い!
でも手放しには喜べなくて、「玉削り職人」「玉仕上げ職人」「ヒゴ竹職人」は全然後継者がいないんです。将来的には、そういったところも内製化しないといけないと思うんですが、まだ全然手をつけられていません。
職人さんは閉鎖的なところがあって、ウチでやりたいから教えてと言っても、絶対教えてくれないんです。でもその職人さん自身も、自分がやめたらなくなってしまうのを自覚してるので、最後は僕が頭を下げて「あなたの仕事を取るわけではなく、残すために自分とこでやりたいんです」っていう思いを伝えなきゃないけないと思っています。
――どうやって若い職人さんを集めた?
地元の定時制高校の先生から紹介いただいて採用しています。
24歳の職人は4年生のときに働きに来て、卒業の時にそのまま働きたいと言うので正社員として採用しました。そうしたら学校の先生も、就職して頑張ってる姿を見て、他にいろいろな学生さんを紹介してくれるんです。
――算盤は今どんな人が使っている?
一部では、家計簿を算盤でつけていたりとか、ご年配の方がボケ防止に使ったりとか、そういうのもあるんですけれど、圧倒的に算盤を習っている子どもが使うのがほとんどです。
――これから、算盤はどうなっていく?
算盤の一番の魅力は、いかに速く弾いて、正確に答えを出すかだと思います。
そう考えると子供たちの勉強の道具として、まだ残り続ける価値があると僕は思ってます。
また、これからは子供たちが少子化で減るとされていますが、一方で増えていく高齢者に向けて新しい形で「算盤」を提供していかなければならないと考えています。
――ちなみにダイイチのみなさんは算盤を普段から使ってる?
これは難しい質問ですね。(笑)
ウチの若手職人は習ったこともないそうです。
僕自身は習いに行ってたんですが、やっぱり難しい計算や、間違えちゃいけないときは電卓を使っちゃいます。
ただ今は、僕の子供が3人とも習いに行ってます。
ダイイチはデパートの催事などに算盤を出品しているそうだ。そこでは算盤をよく使っていた世代の高齢の方がちょっと足を止め、グレードの高い製品を買っていくことがよくあるという。
時代とともに算盤に求められる役割は変わってしまったが、伝統の継承は若い職人に支えられていた。