「ハコモノ」にするか荷物検査をするか
和歌山で週末に起きた岸田文雄首相に対する襲撃事件は衝撃的だった。爆発物を持った男が何の検査もされずに首相のすぐそばに立っていたのだ。
幸いなことに、すぐには爆発せず、警官が蹴り出して首相を避難させ、容疑者を漁師さんらが捕まえて、被害は最小限に抑えられた。
この記事の画像(12枚)この事件の最大の問題は安倍晋三元首相が殺害されてまだ9か月しかたってないのになぜ「模倣犯」のような犯行が行われたのかという事だ。論点は2つある。
1つめは、安倍氏が奈良県の大和西大寺駅前という明らかに危険な場所で街頭演説中に撃たれた。その教訓が生きてないという問題だ。これについて警察の警備を批判する人がいるがそれは警察が少しかわいそうだと思う。
警察は危険な場所で首相に街頭演説してほしくないし、荷物検査もやりたいのに政治家、政党の側がそれを嫌がっている側面がある。警察の予算や人員も足りない。ただ政治家にとって選挙は民主主義の原点であり、有権者に直に接することはやめられないだろう。
岸田氏は事件の後に、次の街頭演説の予定を変更せず行い、「大切な選挙、最後までやり通さなければならない」と述べて事件に屈しない姿勢を見せた。
安倍氏自身も応援に行く際に「ハコモノ」(=建物内での集会。警備しやすく安全だが無党派層は少ない)より「街頭」(=外なので危険だが無党派層が多い)を好んだ。自分が行くことで票を増やしたいと強く思っていた。
だが街頭はやはり危険なことが今回改めてわかった。首相がある日突然亡くなるという事はあってはならない。だから少なくとも首相だけは街頭をやめるとか、やっても必ず荷物検査をする、しかないと思う。
テロは連鎖するのか
2つ目の論点は、9か月前の安倍氏殺害事件と今回の襲撃事件は「連鎖」しているのではないかということだ。というのは、今回の容疑者のものとみられるTwitterによると、容疑者が抱いていたとされる不満が、選挙制度にとどまらず、安倍氏の国葬や岸田氏自身にも向けられていた可能性が浮上しているのだ。
最近八木秀次・麗澤大教授の話を聞く機会があった。八木氏は1932年(昭和7年)に相次いで起きた、政財界人に対するテロ事件の「血盟団事件」と、青年将校が反乱を起こし首相らを殺害した「五・一五事件」について、当時の新聞が煽情的に犯人を美化したことが連鎖につながったことを指摘した(当時テレビはまだない)。
五・一五事件で犬養毅首相を射殺した将校は禁固15年という判決を受けた後、恩赦などでわずか4年9か月で出所している。判決翌日の新聞はこの将校に対し同情どころか英雄扱いだった。また他の将校に対しても嘆願書が出されたり、花嫁志願者まで現れたという。メディアも世論も狂っていた。
テロリストを英雄にするな
八木氏は「殺人者が英雄視され、歴史に名が残るのであれば真似する者は出るのではないか」とした上で、まもなく始まる安倍氏暗殺の裁判について「五・一五の再現にならないか心配している」と語った。
五・一五事件が起きた昭和初期は保守2大政党の時代で、政治の腐敗に国民が怒り、むしろ軍人は清廉だとして同情や共感が高まっていた。現代では格差社会において不遇や不満を感じる者が何かをきっかけに殺人者になる。
過去と現在では背景は違うが、もしメディアや世論をまさに「媒介」することによって連鎖するのであれば、模倣犯はこれからも出てくる可能性があるということだ。
現代のメディアや世論は犯人に同情したり、あるいは共感することはないだろうか。
2019年にニュージーランドでの銃乱射事件で50人が死亡した時、アンダーン首相(当時)は「テロの目的の1つは悪名をとどろかせる事だ。だから私は(テロリストの)男に何も与えない。名前もだ」と述べて話題になった。
テロリストを英雄にしてはいけない。もちろん名も残してはいけない。そしてテロリストの思い通りに凶行が行われぬよう、我々は手を打たねばならない。それがテロに屈しない、ということだ。
【執筆:フジテレビ上席解説委員 平井文夫】