東日本大震災で被災したふるさとを元気づけたいと、宮城県・女川町のがれき処理場の壁に絵を描き、注目された女性がいる。女性は絵本作家となり、2023年12年ぶりに再び女川で壁画に挑戦することになった。
ふるさとに描く12年ぶりの壁画
4月某日、宮城県女川町。とある施設で壁一面に絵を一心不乱に描く女性がいた。
この記事の画像(13枚)神田瑞季さん:
うれしくて涙が出そうになるくらい、書いててすごく幸せな気持ちでいっぱい。
こう話すのは、生まれも育ちも女川町。絵本作家の神田瑞季さん(27)だ。
5月にオープンする予定の宿泊施設の食堂に壁画を任された。絵は間もなく完成の時を迎える。
実は、神田さんが女川町に「壁画」を描くのは、12年ぶりだ。
2022年12月、神田さんは、壁画を描く施設の関係者との打ち合わせに臨んでいた。施設は、女川町の水産加工会社などが共同で運営する宿泊施設。神田さんは、壁画のほかにも、正面玄関に飾る作品なども手掛けることになっていた。
神田瑞季さん:
最初のページを見ていただきますと、まず正面玄関の絵の案から。2案持ってきました。
神田さんに絵の制作を依頼した宿泊施設の関係者は、「神田さん自身の女川に対する強い思いを感じる。私たちと同じ思いで、前を向いてやっていけると感じた」と話す。神田さんの絵が持つ「力」に大きな期待を寄せているのがわかる。
実際に絵を製作中ということで、ご自宅にお邪魔して話を伺った。
神田瑞季さん:
こちらが正面玄関に飾らせていただく作品。「神田瑞季らしい世界観で思いきりやってほしい」というご要望を頂いたので、元気で明るい絵を目指しています。
陽の光に照らされ、キラキラと輝く大木。穏やかで温かみがあり、未来への希望を感じさせる作品だ。
ふるさとを「色」で元気に
神田瑞季さん:
灰色一色の世界にあった木の絵を、もう一度新しい町、新しい施設に描くことができるというのは、すごく思い入れがあります。何十年たっても、この絵を見る人に「どうやったら寄り添えるかな、寄り添えたらいいな」という気持ちは変わらないですね。
神田さんは2011年9月、東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた女川町を「色」で元気にしたいと、がれき処理場の壁に描いた絵を描いた。当時神田さんは、まだ高校1年生だった。
神田さんはその後、自身の体験をもとにした絵本の作画を担当。現在は絵本作家として活動していて、2021年から女川町でも個展を開いてきた。
12年の月日がたち、復興は着々と進み、町は大きな変貌を遂げた。自身も絵本作家になっただけでなく、結婚。新しい家族もできた。そんなタイミングで舞い込んできた壁画制作には、様々な思いが交錯していたと神田さんは話す。
神田瑞季さん:
がれき処理場の壁に描いた、当時の絵の無邪気さは再現するのはすごく難しい。あの時は高校生だったので。今の、結婚して子どももいる私が出す色は、どういう感じになるのか、楽しみでもあり不安でもあり…。
一方、自身の原点は「壁画」だと話す神田さん。新たな壁画制作に意欲を燃やしていた。
神田瑞季さん:
また「壁」に戻ってくることができたというのが感慨深く、うれしい。何かすごく込み上げてくるものがある。すごくワクワクしますね。自分の力だけでは、こんなに大きいものを描くことはできないので、本当にありがたい。みずみずしい、緑でいっぱいの壁画にしようと思っています。
「転機となった壁画を、もう一度女川で」
がれき処理場に描かれた壁画は姿を消したが、生まれ変わった女川に神田さんの壁画は、間もなくよみがえる。
神田瑞季さん:
今度の絵は、ずっと町の人たちと過ごしていける。女川を訪れた人とも、一緒にいられる絵になるのがうれしい。また見に行きたいと思ってもらえるよな空間にできたらいいなと思っています。
「ふるさとを色で元気にしたい」
揺るがぬ思いは、12年の月日をへて再び実を結ぼうととしている。
神田さんの思いがこもった壁画は、女川の街に寄り添い続けていく。
(仙台放送)