サウジは解放された近代国家になりつつあるのか?

 
 
この記事の画像(6枚)

サウジアラビア政権を批判してきたサウジ人ジャーナリスト、ジャマール・カショギ氏が10月2日に在イスタンブール・サウジ領事館内で殺害されたとみられる事件は、サウジを巡るいくつかの主要な問題を露呈させたという意味で実に興味深い。

最も重要なのは、サウジは本当に解放された近代国家になりつつあるのかという問題である。サウジは1932年に建国された王国であり、その王位はサウド家の人間によって継承されてきた。2017年6月に現サルマン国王の勅令によって次期国王に任命されたのが息子のムハンマドである。ムハンマドは皇太子となって以降、「厳格なイスラム教の統べる独裁国家」というサウジのイメージ払拭に努めてきた。女性の自動車運転や映画上映の解禁を皮切りに、ファッションショーや音楽イベントの開催、リゾート開発やテーマパーク建設計画といった「解放」政策を矢継ぎ早に繰り出し、それらは世界のメディアを賑わせた。

しかし一方で、反体制派とみなされた人権活動家や宗教指導者が次々と拘束されるという、かつてと変わらない「現実」が続いていることは大きく報じられてはこなかった。皇太子は女性に車を運転する「自由」は与えたものの、政権を批判したり政策に異議を唱えたりする「自由」は与えなかったのだ。カショギ氏暗殺疑惑は、真相解明を待つまでもなく、サウジには少なくとも私たちの考えるような「自由」はない、ということを思い出させるのに十分な事件だ。

「アラブの盟主」という立場は?

サウジはこれまで通りの安定した「アラブの盟主」という立場を維持できるのか、という問題にも疑問符がつけられた。サウジ情勢の専門家は暗殺疑惑事件に先立ち、サウジはここ50年で最も不安定な状態にあるという分析を示している。サウジの不安定化でまず思い出されるのは、2017年11月にムハンマド皇太子主導で数十名の王族や起業家らが汚職対策名目で拘束された事件だ。

アルワリード王子(左)とムトイブ王子(右)
アルワリード王子(左)とムトイブ王子(右)

世界的投資家として知られるアルワリード王子や、アブダッラー前国王の息子で現役の大臣でもあったムトイブ王子もこの中に含まれていた。王族や有力者で権力を分有することによって保たれてきた政治的安定を、皇太子自らが「改革」のために敢えて揺るがしたとも言える事態だった。この不安定性は今年4月から2ヶ月間皇太子がメディアから姿を消したことでクーデターによる暗殺未遂が取りざたされるという形で表面化、その後今年8月のアラムコIPOの延期決定がそれに追い打ちをかけた。

アラムコIPOは皇太子の推進する脱石油社会を目指す大規模経済改革「ビジョン2030」の屋台骨となるはずだったが、父親であるサルマン国王が反対し延期が決定されたとみられる。莫大な石油利権が特権層に独占されている構造が明らかになることを恐れた反皇太子勢力の影響によるものだとする見方もある。これは、反皇太子勢力がサルマン国王のもとに結集し、サウジを軌道修正し元来の政治的安定を取り戻そうとする動きの表れのひとつであって、皇太子による改革の「終わりの始まり」だという見方も示されている。

トルコのエルドアン大統領
トルコのエルドアン大統領

カショギ氏の事件をめぐり、同氏がコラムニストを勤めていたワシントン・ポスト紙が暗殺を命じたのは皇太子だと名指しで報道する中、トルコのエルドアン大統領に支援を求めたり疑惑払拭のための捜査を命じたりしたのがサルマン国王だったことは、「息子の尻拭いをする父親」像を想起させる。一方の皇太子は、事件の数日後にアラムコIPOは2021年までには実施すると明言、同社には2兆ドル(約227兆円)以上の価値があるという当初の見立てを改めて示すなど、イメージ回復に躍起だ。
 

中東諸国の対立

防護服で総領事館の調べに入る捜査員
防護服で総領事館の調べに入る捜査員

通常は見えにくい中東諸国の対立関係を明示したという点においても、同事件は特筆すべきである。ここ数年来、中東の主要国は親ムスリム同胞団か反ムスリム同胞団かで二分されてきた。この対立は今に始まったことではないが、2017年にサウジ主導で行われたカタール断交によってはっきりとした形で表面化した。

サウジはカタールがテロ組織であるムスリム同胞団やアルカイダ、さらにはイランの後押しするシーア派武装組織の支援を通して地域を不安定化させていると批判し、自国をテロから守るための必要措置として国交断交に踏み切ると宣言、UAEやエジプトといった反同胞団諸国がこれに続いた。

終身刑判決を受けたムスリム同胞団団長
終身刑判決を受けたムスリム同胞団団長

カショギ氏はサウジ当局が敵視するこのムスリム同胞団の熱心なメンバーであり、そのことが暗殺疑惑と大いに関係しているという見立ては容易に成立する。ゆえに事件現場とみられるイスタンブールのサウジ領事館前には、ノーベル平和賞受賞者でもあるタワックル・カルマン氏を初めとする名だたる同胞団員が集結しサウジに疑惑解明を求めるデモを行った。イスタンブールに同胞団員が多いのは、トルコが親同胞団国家だからである。同胞団が「祖国」エジプトでテロ組織指定された後に同胞団員を多く受け入れたのも、国交断交で経済封鎖されたカタールへの支援を続けたのもトルコである。

“中立な報道”は存在しない中東メディア

この対立は、暗殺疑惑を巡る中東のニュース・メディアの報道にもはっきりとみてとれる。たとえばサウジ資本のアルアラビーヤは、サウジがカショギ氏を暗殺したという噂を広めているのはカショギ氏の自称フィアンセやアルジャジーラであると報道するなど、サウジ擁護の姿勢を徹底している。一方カタール資本のアルジャジーラは、「盟友」トルコ筋でムハンマド皇太子の側近がカショギ氏殺害に関与したと写真つきで報道するなど、一貫してサウジ犯人説を主張している。中東メディアには基本的に、政治的に中立な報道など存在しない。

サウジは世界最大の石油輸出国であり経済的に重要な位置をしめるだけでなく、中東の安全保障やテロとの戦い、中東和平問題においても鍵を握る国である。今回の暗殺疑惑事件を通し、表面的な報道に踊らされることなく、サウジというのはどのような国なのかと見極め世界情勢を俯瞰することは無駄ではあるまい。

(執筆:イスラム思想研究者 飯山陽)

飯山陽
飯山陽

麗澤大学客員教授。イスラム思想研究者。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。著書に『イスラム教の論理』(新潮新書)、『イスラム教再考』『中東問題再考』(ともに扶桑社新書)、『エジプトの空の下』(晶文社)などがある。FNNオンラインの他、産経新聞、「ニューズウィーク日本版」、「経済界」などでもコラムを連載中。