ロシアによるウクライナ侵攻開始から2月24日で1年。戦地を逃れ岡山・倉敷市に避難してきた女性と、日本で支援活動を続ける娘。この1年で大きく変わってしまった生活と、変わらない母国への思いを取材した。
今なお続く侵攻…避難生活も半年に
娘を頼り、倉敷市に避難してきたイエブゲニア・バビィさん(70)。半年がたち、最近、市が提供する市営住宅で一人暮らしを始めた。
この記事の画像(12枚)2022年2月24日にロシアによる軍事侵攻が始まって以降、イエブゲニアさんの住むウクライナ西部の都市・リビウでも昼夜問わず空襲警報のサイレンが鳴るようになった。持病があるイエブゲニアさんは、8月、娘の住む日本への避難を決めた。
リビウから避難 イエブゲニア・バビィさん:
今、ウクライナの病院では、かなり深刻な状態でないと診てもらえない。 点滴を打っている途中に空襲警報が鳴り、中断することも何度かあった。日本に来て治療を続けられて、だいぶ気持ちが落ち着いた
もともと2カ月程度を想定したという日本での生活。部屋には必要最低限の家具しかない。戦闘の長期化でイエブゲニアさんの期待は裏切られ、避難生活は半年を超えた。そんな状況の中、大好きな料理をする時間が癒やしのひとときだ。
倉敷市在住の娘 リリヤ・バビィさん:
(料理をしている時は)落ち着いている。本当に幸せな感じがする。懐かしい味
チャリティーで母国を支援
リリヤ・バビィさん(41)はイエブゲニアさんの娘で、倉敷市に住んで20年だ。
倉敷市在住の娘 リリヤ・バビィさん:
まさか1年続くとは思っていなかった
少しでも母国の力になろうと、リリヤさんは侵攻開始当初から支援活動を続けている。2022年8月から文化や歴史を伝え、支援につなげようとチャリティーイベントを開催。
9月にはウクライナのお守り「モタンカ」を作った。10月にはウクライナの郷土料理、手作りの母の味を紹介した。
リリヤさんから広がるコミュニティーは、異国で心細い思いをしている人たちにとって心のよりどころとなっている。
ウクライナ侵攻で日本に避難してきた人の数は2,000人を超え、岡山には12人が避難している。避難生活が長期化することでリリヤさんが懸念しているのは彼らの心の健康だ。
倉敷市在住の娘 リリヤ・バビィさん:
ウクライナに残った家族のことも心配で、日本での生活をどうやっていこうか、未来が見えない人もいる。メンタルの部分が少しでも楽になるようなサポートもしていきたい
侵攻から1年…「いまも心はウクライナにある」
侵攻開始から24日で1年。いまだ収束の兆しが見えない中、1日も早く故郷に平和が戻ることを願う日々が続いている。
倉敷市在住の娘 リリヤ・バビィさん:
時間がたつと落ち着くというより慣れていく。こんなこと慣れるのはあまり良くない。1年たった今も、次はどこにミサイルが落ちるかわからない。もしかしたら実家や姉の家、親戚の家かも。もう誰も人が亡くなってほしくない
リビウから避難 イエブゲニア・バビィさん:
自分の国で戦闘が起きていることは、今でも信じたくない。日本にいるけれど、いまも心はウクライナにある
倉敷市在住の娘 リリヤ・バビィさん:
侵攻が終わったら次の日にも帰りたい?
リビウから避難 イエブゲニア・バビィさん:
うん
(岡山放送)